
カーゼニ
更新2018.02.19
幸せとは何か?高級輸入車など要らん!と言っている私が考える幸せの定義

伊達軍曹
ただし誤解してほしくないのは、私はなにも高額輸入車や、それを買う人らのことを否定しているわけではない……ということだ。
とある超絶高級レストランでの体験

貧乏人の倅として生まれ、あいにく今現在も二級市民として生きている都合上、自分では高級新車を買った経験はない。しかしこんな仕事をしていると、800万円はおろか数千万円のクルマに試乗する機会もあるわけで(さすがに数億円のクルマは乗ったことありません)、そういった高額車の素晴らしさはきちんと理解しているつもりだ。
わたくしは「幸せとは何か?」ということについてのみ、日々考えをめぐらせている。そして考え続けた結果として、「わたしは高額車を買わない。なぜならば、そのほうが(わたし個人としては)幸せだから」と判断しているだけなのだ。
そのニュアンスをご説明するにあたり、寓話というか、過日わたしの身に実際に起きた出来事を通じて話を進めよう。
その日、わたしは都内某所にある「世界トップレベルの超絶フランス人シェフが経営するレストラン」にいた。当然ながら私的にメシを食いに行ったわけではなく、仕事だ。某輸入車の某モデルの、かなり限定された某お披露目会に関連する仕事である。

基本的にはそのクルマの潜在ユーザー層でいらっしゃる富裕層の皆さまが招待されたイベントだったが、ごく少数のプレス関係者も招待され、超絶瀟洒な空間のなかで、超絶フランス人シェフ様が統率制作する超絶料理に舌鼓を打ったのだ。
わたしがその「ごく少数のプレス関係者」だったのかって?
まさか。
その日わたくしが担当した仕事は「瀟洒なバンケットルームの壁際にギャルソンのように立ち、富裕層の皆さまや少数の有名ジャーナリストが食する超絶料理をそっと眺め、脳内にメモり、後日その様子をオフィシャルマガジンに記事として書く」というものだった。料理のにおいだけはかいだが、水の1杯も供されていない。
そして役目を終えた自分は、担当親方であるNさんに仁義を切ってから超絶レストランを後にし、近隣の公園へ徒歩にて直行。そこのベンチで、当日朝に自作した弁当をもそもそと食べ始めたのだった。あちらのコース料理はたぶん4万5000円ぐらい。片や、わたくしの弁当は原価300円ぐらいだ。
幸せは「比較」「無理」「背伸び」のなかには存在しない

……この話を聞いてあなたはどうお思いだろうか。
「売れないライターっつーのはミジメなものよのう」と思うのかもしれない。
確かにそうなのかもしれない。その見方を別に否定はしない。
ただわたくしはそのとき、つまり公園のベンチで1人もそもそと弁当を食っていたその瞬間、大いに幸せだった。
ギョーカイに一切おもねることのないスタンスでいる割には毎日何かしら仕事の注文があり、フツーに旨い弁当を作る程度のお金と時間はあり、中年男としてはきわめて健康体なため、腹さえ減ってりゃ何食っても旨いと感じ、そして何より今日は素晴らしい天気だ。お天道様の光がマジであたたかい。嗚呼、生きてて良かった……という感じで、実は結構な幸せを噛みしめていたのである。
「そんなことねえべ? ジャーナリストとしてちゃんと招待されて、チヤホヤされながら4万5000円のコース食ったほうが断然幸せだべ?」
そんな声もあるかもしれない。
……まぁ話としてはわかるが、一概にそうとも言えんわけですよ。チヤホヤされる理由もないのにチヤホヤされ、よく知らない、別に好きでも仲良しでもない人らとテーブルをともにして食う4万5000円より、わたしとしては1人でのんきにお天道様の下でお弁当食ってるほうが、けっこう地味に幸せだったりもするのだ。

「足るを知る」と言うと説教くさくなり、「身の丈で生きる」と言ってしまうとどこか貧乏くさく、人生の上昇機運が減じてしまいそうな気もする。それゆえ、どうにもうまくこのニュアンスを説明できない。
まぁ説明できないがゆえに寓話というか、ある日の事実を持ち出したわけだが、とにかく「幸せというのは“比較”や“無理”“背伸び”のなかには存在しない。ただそこに、自分の足元に、ずっと前から何食わぬ顔して存在していたそれに、ある日気づくだけなのだ」というのが、わたしが考える幸せの定義の一端である。
だがいつかウルスは欲しい。そのためには「階級闘争」しかない

そんなこんなで、わたくしは「無理をして」「他者の目を気にして」高額車を買うという(自分にとって)馬鹿げた行為は、アルピナB3Sを最後にキッパリとやめた。爾来、100万円とかせいぜい200万円ぐらいの気に入った中古車を買い、「あ~シアワセだなぁ~」とかなんとか言いながらのんきに生きている。
だがしかし、冒頭付近で申し上げたとおりわたくしは高額車の素晴らしさも十分理解しているつもりだ。そして自動車愛好的日本男児たるもの、いつかは功成り名遂げて新車のポルシェ911とかランボルギーニ ウルスとか、そういったクルマに乗るべきだとも考えている。「背伸びしてそれらを買う」のが馬鹿げているだけで、それらクルマ自体は本当に素晴らしいのである(※ウルスは乗ったことないけど)。
しかし1文字10円のライター稼業だけを続けていても、クラスチェンジなど夢のまた夢。100年たってもウルスなど買えないだろう。
ということで自分は世の中に対して階級闘争を挑むべく、いわゆる仮想通貨を大量に買ってこました。
世の中ではそれら暗号通貨の暴落により悲鳴を上げている者も多いようだが、わたしに言わせればド素人である。今が調整による「底」で、ここからは大反発すること間違いなし。そうすればわたくしも晴れて「億り人」であり、「ウルスの人」である。
で、その後どうなったかというと……。
大量に買ってこました仮想通貨はさらなる暴落を続け、いわゆるナンピンをかまして買い下がった自分は昨日、見事に破産した。それゆえこれからちょっと裁判所に行かねばならぬため、今日のところはこれにて失敬させていただく。御免。
[ライター/伊達軍曹]