更新2023.11.22
本気度が試される瞬間にどう動くか?それはクルマ選びにも当てはまるかもしれない
中込 健太郎
筆者はこれまでの職歴や今の立場などから、しばしばクルマに関する相談を受けることがあります。車種選びもそうですし、最近では購入や所有に関する方法論のアドバイスを求められることも少なくありません。
しかし、それぞれにどれほど誠実な回答をしたとしても、効果的に活用して、私がアドバイスしたことが何かの一助になっているなと思えるケースは限られるように感じます。その理由は「質問者の真剣さ・本気度」だったりするものだなあと思うのです。今回はそんな「クルマと真剣さ」についてお話ししたいと思います。
▲マセラティ430と一台目の積載車(この後、現在までに4台の積載車を購入している)
■質問をもらう時点で、アドバイスした結果はある程度分かるもの
子供の頃からクルマの本を読み漁り、多少なりともクルマの知識が多く、好きなんだろうなということを覚えていてくれている方は少なくないようです。
クルマのことで困ったら筆者(中込)に相談してみようという人がいらっしゃいます。こういうのは印象、キャラクターの問題ですので、そんなことでも思い出してくれただけでも嬉しく、そしてありがたい限りです。
ただ、メールでも電話でも(今ですとSNSだったりもしますが)、質問をいただいた時点で「この人にアドバイスをして役立ててもらえるかどうか」はある程度わかってしまうものだと、振り返ると改めて思うのです。
内容ではありません。その熱量というか、問題の深さと申しますか。例えば「●●というクルマを買おうと思うがどう思うか」と聞かれたとします。
まあ、この手の返事「いいんじゃないの?」としか答えられない訳です。この種の質問を投げ掛けてくる方は、いずれそのクルマを購入することになりますから。それはそれでめでたしめでたし、なんです。私に連絡を下さったことで何かが変わった・・・ということはないですね。おそらくはとりあえず誰かに聞いてみたかったのでしょう。言ってみれば、購入前に少しずつしておきたい「ある種の告知欲の表れ」なのではないかと思うのです。
多少クルマが好きな筆者(中込)に「いいと思う」と言われることで承認欲求も満たされるよ、と言ってくださる人もあるかもしれません。
しかしそれはこの際、このささやかな告知欲に比べたら、おそらく相当些末なことであると思います。見える結果はそのクルマを、もし私が反対しても買うだろうなというだけのことです。
ただ、車種は決まっていても「どういう風にグレードを選べばいいか?」とか「グレードや装備、選ぶ時の注意点などはあるか?」というような質問だと、ある程度活かしてもらえそうです。
ディーゼルモデルやハイブリッドモデルは、そのエクストラコストや使用頻度を考慮に加えるなどして慎重に選ぶべきだと考えます。同じ予算ならトリムレベル(グレード)を上げるか、後からつけられないサンルーフなどを選択すれば、売却時にプラス査定になる可能性もある・・・などなど。自分の希望を推進するうえで、より具体的に現実的な問題に向き合おうとしています。
他方「こういう用途を想定してクルマを購入したいんだがどうしたらいいか」という相談をしてきた人は結構参考にしてくれます。子どもが小さくてクルマが必要、予算はこのくらい。どれを選ぶとどういう利点があるか・・・いまひとつ区別がつかないというようなケースです。こういった場合は特徴と併せて選択肢を示してあげると、それをベースに判断して選択できるというもの。
この違いは何なのでしょうか?おそらく「答え=課題」が明確な判断として自身の中にあって、それが解決されるのを助けるアドバイスを私に求めているケースが想定されます。もし役に立てば、アドバイスを参考にしてくれていて、課題がない場合は私が何を言おうと関係ないということなのではないかと思うようになりました。
▲クルマはコミュニケーションツールである。そう確信する瞬間がある
■クルマ選びにおける一番のハードルは選択対象のクルマではなく、自分自身?
これを言っては身も蓋もありませんが、クルマを購入する際の課題は、案外自分の心の持ちようなのではないかと思うのです。前で紹介した過去の事例などもそういう面を見て取ることができます。
それぞれ車種へのこだわり、思いの丈があって、ある課題や不安要素が解決されればどのみち購入するのだと思います。購入予定の車種がグレードなども含めてすべて決まっている人には何も申し上げることはない、というのが正直なところです。それでも、クルマを選ぶ際に少しでも不安に思っていることがクリアになるお手伝いはできます。
しかしそれがクリアになっても、最後無事に購入できるかどうかは、最終的にはご本人の決断にかかっているのです。
ここでもし、これを読んでくださっている皆さんの中にも「とはいえクルマは安い買い物ではないし、そうはいっても買ってしまっていいのかどうか不安・・・」という方もいるでしょう。そこで、どうしたら購入する決心ができるか不安という方がいるとしたら・・・以下のように考えてみてはいかがでしょうか。
●1.完璧なチョイスを求めすぎない!
クルマ選び、失敗してもいいのです。最初から完璧などあり得ません。自動車は物質です。いざとなれば替えは利きます。どうしても不満であるならば買い替えればよいと考えましょう。それより買ってみて初めて気づく便利さ、魅力というのもあるものです。
失敗したくないというクルマ選びでのこだわりは、クルマへ妥協したくないのではなく、スマートカスタマーでいたいというあなた自身のプライドの問題ではないですか?それにこだわりすぎて吟味し続け、クルマのない不便な日々をいつまで続けるのですか?クルマのある暮らしは負担の始まりではなく、肩の荷が下ろせるということなのですから。
●2.憧れのクルマを諦めないこと以上に、ご縁のあるクルマに乗る
あなたのあこがれのクルマはそれではない?ではその憧れのクルマ、今、売り物はありますか?もしいいのが見つからないというのであれば、それは今はご縁がないという証拠でしょう。そうはいっても、全然乗るなんて思わなかった。そんなクルマがもし今目の前にあるのなら、そのクルマに乗ってみてはいかがでしょうか。
そのクルマとの暮らしの中で新たな出会いや、その暮らしの中で仲間ができ、そんな人がもしかすると憧れのクルマのご縁をつないでくれるだってあるのですから。
●3.クルマはあなたの暮らしを機能的にも行動範囲的にも大いに広げてくれる
あなたのクルマはアルファ・ロメオでなければだめですか?BMWを何が何でも追いかけ続けますか?それも悪くはないでしょう。
しかし、それ以前に自動車であり、それはすなわち機能的な省力化装置なのです。今までこなせなかったスケジュールをこなせるようにもなるでしょう。仲間も増えるかもしれません。それに付随してクルマのある暮らしでできる人のつながりも計り知れません。あなたのアビリティを格段に向上させてくれます。予算が限られているならその予算内で。
思いもよらないスタイルのクルマなら、あなたの生き方、キャラクターも一変させてみるくらいの気持ちで迎え入れ、飛び込んでみてはどうでしょう?
●4.「どんなクルマ、がある暮らし」より「どんな、クルマがある暮らし」を
あの人は何に乗っている。そう思われることはないとは言いません。クルマは衣服のようなものとして、時にその人の印象を左右したりもします。しかし別の見方をすると、他人の視線のためにクルマを買うのですか?
それがあなたを強烈に支援してくれているスポンサーならまだしも、そうでもないのであれば、むしろ、そんな目を気にすることはないのでは?むしろ、新しいクルマとの関係性は、新しい印象づけに作用するかもしれません。
少しオーバーに言えば、あなたの新たな可能性を引き出してくれるかもしれないのです。あまり既成のクルマのキャラに引っ張られることなく、もっと自由に、クルマとともに歩くことであなたの未来を力強く歩き出す一助にしてほしい、と思うのです。
▲落ちているものを安易に拾ってはいけない、とは親の教えだが、時にクルマはそういうものも務めて拾うべきタイミングがあるように思う
■踏み出すことは「真剣さ」の現れ
私はクルマに関する相談をいただくことが多いのですが、実際購入するのは相談者の方です。購入するにあたっての相談を持ち掛けることは真剣さの現れだと思うのです。どんなに多くのクルマを所有する方でも、購入時は決断することが求められますし、真剣に思い描くカーライフがあってのことでしょう。他方、一度もクルマを買ったことがない人は、買ってみないことにはいつまでもクルマのある暮らしを机上論でしか見れていないのではないかと思うのです。
今は「気軽に試せる」「所有せずに利用できる」サービスが多く、自動車関連でもそういうものが増えてきました。もちろん利用しないのと利用するのでは雲泥の差があります。でも同様に所有しないのと所有している人ではさらに大きな違いがあるように感じるのです。
筆者の周りも、クルマを自身で所有する人は、カーシェアも「いろんなクルマにかわるがわる乗れる」というクルマ趣味の一部として利用していたり、「荷物も運べる終電後始発前にタクシーよりも使い勝手のいいアシ」として活用しています。全然軽微で気軽ではない「ガッツリ活用」するケースもありますので、提供されているサービスの使いようにもさがあるように感じます。
みんながみんなクルマのことばかり考えてるわけではありません。だから私にもアドバイスを求めてくださるのでしょう。経営者向けのセミナーなどでも言われることかもしれませんが、こんなクルマに関しても私は思うのです。「本気ではない方には何を言っても無駄」だと。
「クルマなんて買って意味あるの?」外からそう言い続ける人との間の壁を唯一崩し去る方法は、こういう人がいやいやでもやむを得ない事情であっても、クルマのある暮らしを始めなければならなくなることだと思うのです。
▲クラシックカーのイベントの手伝いをする機会が増えたのも積載車を手に入れてからだ
クルマがある暮らしって、紐解いていくと「真剣さ」なしではすまされないことだと思いますから。皆さんも真剣に生き抜きましょう、それがフィアットでもシトロエンでも、根は同じだと思いますので(笑)。
[ライター・画像/中込健太郎]