ライフスタイル
更新2019.01.08
「短時間・短距離」の試乗でも、そのクルマの本質が理解できるのかを考えてみた
JUN MASUDA
「短時間や短距離のの試乗でも、そのクルマのことが理解できるのか?」と。
結論から言おう。 短時間の試乗や短距離の試乗でもそのクルマのことは理解できる。 これは間違いない。いやむしろ、短時間や短距離の試乗で理解できないクルマは残念なクルマである、ともボクは考えている。
短時間や短距離の試乗で判断できるクルマは個性がある
ボクは、クルマの出会いと人の出会いとはよく似ている、と信じている。 そして人の印象が、出会った瞬間や、少し話してみたときにほぼ決まってしまうのと同様に(そしてその印象はめったなことではひっくり返らない)、クルマの印象も初期の段階で決まってしまう、と考えている。
そしてやはり人と同様に、そのクルマを好きになれるかどうかは「フィーリング」の問題だ。 外観はもちろんだが、ドアを閉めたときの音や、シートに座ったときの印象、目に入るダッシュボードやメーター、ステアリングホイールの感触、エンジンを始動させたときの音や振動など。そういった小さな部分で、そのクルマの印象は決まってしまう、と考えている。
そして、たとえ短距離であっても、アクセルを踏んで走り、ステアリングホイールを回してカーブを曲がり、ブレーキを踏んで停止すれば、そのクルマと自分が合うか合わないかはだいたいわかる。 そのクルマを理解するには、わざわざ限界まで追い込まなくてもいい。
アクセルを踏んだときに自分が期待したより遅かったり速かったりしないか、ハンドルを切ったときに思ったより曲がりすぎたり曲がったりしないか、ブレーキを踏んだときに予期した通りに効いてくれるかどうか。
ちょうど初対面の人と会話をしたときの「言葉のキャッチボール」のように、自分にとってテンポがいいと感じるかどうか、楽しい、そしてもっと話していたと感じるかどうかというのと同じだ。
たとえ短い時間でも、たとえ短い距離であったとしても、それが自分にとって自然であり、もっと乗っていたいと思うクルマであれば、それは自分にとっていいクルマだとボクは考えている。
逆に、「ちょっと違うな」と違和感を抱いたり、長い時間乗らなければいいところを探せないようなクルマは、あなたにとっていいクルマではないかもしれない。
自分がいいと思うクルマがほかの人にとってもいいとは限らない
ただ、自分にとってフィーリングがそのクルマと合うと感じたとしても、他人が同じように感じるかどうかはわからない(経験上だが、むしろ自分と同じように感じるようなケースの方が稀だ)。
これも「人と人」の関係同様に相性があるためで、自分が好きな人を他の人も好きになるかどうかはわからないし、自分が好きになれない人を他の人が好きになる場合もある。
だからこそ、クルマは試乗しなければ何もわからないと信じているし、他の人の意見を鵜呑みにしてはいけないとボクは考えている。
そして、そのクルマに対して何かを感じ取ったならば、その「直感」を信じるべきだ。 たとえそれが根拠のない印象でも構わない。ボクらはこれまで生きてきた上で、様々なことを学んでいる。 そして「直感」とは、経験に裏付けられた、生きてゆく上で頼りにすべき瞬時の判断力だ。
そのクルマを「いい」と感じた理由を説明できなくても構わない。 自分の感性に訴えかけてくるものがあれば、それは自分の経験が「前に進むべきだ」と背中を押しているのだから。
[ライター・撮影/JUN MASUDA]