ライフスタイル
更新2019.04.15
ファッションアイテムか、それとも高性能か?現代のスーパーカーオーナーが求めるものとは?
JUN MASUDA
かつては、「スーパーカーでしか踏み込めないパフォーマンス領域」があり、そこへ到達するためにはスーパーカーしかないといった動機が主だったはずだが、いまではスーパーカーはファッションアイテムの一部となってしまった感がある。
それは、スーパーカーのディーラーが、ブランド通りにショールームを構えるようになったことを見ても明らかであり、スーパーカーメーカー自身も「自社の製品をブランド品だと見ている」のであろう。
どうしてこういった現象が発生したのか?
こういった状況については「時代の流れ」としかいいようがないが、なぜそうなってしまったのか。
ボクは、その理由について主に2つある、と考えている。
まずひとつ目だが、これは「スーパーカーでしか踏み込めない領域」がほとんどなくなってしまったことだ。 クルマに関する技術が向上したおかげで、今やサルーンであってもスーパーカー並みの加速や最高速を実現できるようになった。
だから「スーパーカーを持つ意味というものが必然的に失われた」というわけだ。
もちろん、サーキットにおいてはサルーンがスーパーカーに及ぶべくもないが、一般道における加速性能だともはや両者の間に差はほとんどない。
そしてふたつ目は、上で述べたように、スーパーカーが「ブランド品化」もしくはファッションアイテム化してしまったことだ。
ただ、これについてはスーパーカーに限ったことではない。 現在「ブランド」として認知されている多くの製品がこれと同じ道をたどっている。
たとえば「ルイ・ヴィトン」は旅行者のために頑丈で壊れないトランクを作ったことがそのブランドのルーツだ。 そしてルイ・ヴィトンも当初から「ブランド化」「ファッションアイテム化」を標榜していたわけではなかったと聞く。
ただ実直に、「優れたカバン」を作ろうとしてきた結果、その姿勢や機能性、そして機能に基づいた美しいデザインが評価され、それが「ブランド」として認知されるようになり、今の地位があるようだ。
そのほかにも同様の例はたくさんあるが、スーパーカーも同様に、単一の目的を追求した結果、それが他の製品にはない「ブランド価値を備えることになった」のだろう。
そしてブランド価値とは「排他性」と言いかえることができると考えている。しかし、その排他性というものは、裕福な人々にとって自己アピールの手段にもなりうる。
高価なものであればそれを手に入れることができるだけの財力を示せることになるし、レアものであれば「手に入りにくいもの」を手に入れることができるだけの立場にあるということを示せるわけだ。
スーパーカーを購入する層も細分化しつつあるようだ
スーパーカーがこういった性格を持つようになったため、現代のオーナーも「その高い性能を求める、従来どおりのオーナー」、そして「高級腕時計やアパレルと同列にクルマを捉えるオーナー」に別れてきたのではないかとボクは思う。
前者の場合は「そのクルマが欲しくて」お金を貯め、借金をして購入するケースも多いだろう。 だから、そのクルマをとても大切にする傾向がある、とボクは考えている。 もしかすると、クルマは「主」で、オーナーが「従」かもしれない。 クルマを購入する際にも、そのスーパーカーメーカーのヘリテージを重視し、その歴史に沿った内容でオーダーするかもしれない。
後者の場合はおそらく「そのクルマの見た目が気に入ったから」ポンと現金で買う場合も多そうだ。
その場合はもちろんオーナーが「主」で、クルマは「従」となるだろう。
だから、そういったオーナーはそのクルマを、そのスーパーカーメーカーの伝統とは関係のないボディカラーに塗ったり、ブランドのコアとは関連性のない「自分仕様の」カスタムを施すことがあるかもしれない。
いずれの場合も「端的な例」であり、すべてのオーナーがこのどちらかに属していたり、こういった性質を持つわけではない。
ちなみにボク個人に限って言えば、正直なところ「両方の側面」を持っていて、そのスーパーカーメーカーの伝統を重視したいとは考えているが、自分が「カッコイイ」と考えるカスタムも行わずにはいられない。
そして、そのクルマの性能に見合った使い方をすべきだとは考えるものの、やはりスーパーカーはファッションアイテムという側面を持っていて、ある種のステータスシンボルだとも考えている。
[ライター・撮影/JUN MASUDA]