試乗レポート
更新2023.11.22
ポケットグランドツーリング!フィアット500Cの試乗レポート
中込 健太郎
初めてフィアット500に乗った際、かわいいが、かわいいことだけでも存在意義があるのだな。と感じたものでした。すなわち。かわいいことが支配的で、自動車としてのレベルはあくまでも前時代的。そしてその雰囲気やキャッチーなアイコンのために犠牲にしているものも散見される。そういうクルマだったという印象を拭い去ることができない。そんな一台だと言わざるをえない。今から振り返ると、そういうクルマのレベルを出ていないと言わざるをえませんでした。もちろん、それだけでも見るものを笑顔にする存在に、それ相応の価値はある。とは思いつつ、ちょっと遠出をしようという時にハンドルを積極的に握りたいクルマかと言われると、決してベストな選択肢ではないと感じたものです。
山中湖のギャラリーアバルトミュージアムの山口寿一館長の著書「知れば知るほど外車術」によれば、往年のフィアット500、現代によみがえった可愛らしい500の元になり、ダンテ・ジアコーサが開発主任技術者を務めた、往年のいわゆるNUOVA500は、当時最も安価な輸入車であったものの、楽しいがあくまでも近場での利用を想定して作られたクルマである点は否定できず、せいぜい熱海くらいまでがやっと、というようなクルマだったと記述があったと記憶しています。当初のフィアット500に乗った印象としては、そうした点も踏襲していた、そんなクルマだと感じたというわけです。
しかしこのほど、外観上の変更も、されたはされたものの、最小限ながらクルマとしての刷新が図られ、随分と色んなところから「相当良くなった」という声を聞く新しい500に関する評価を聞いていたものだから、何か機会を見つけてちょっと乗ってみたいと感じておりました。今回せっかく浜松にパンダリーノの取材に行くので、何かフィアットのモデルを試乗を兼ねて拝借しようと思いFCAにご連絡したところ、真新しい500C、ルーフが開閉式の幌になっている500ベースのオープンモデルを拝借することができたので、その試乗の感想を書き留めておきたいと思います。
まず、少しフィアット500自体からは話が逸れますが、「オープンモデルがやめられない体になってしまった。」というのがまず走り出してほどなく感じたことです。普段からシルビア・ヴァリエッタをアシに利用している筆者。日頃からオープン・エア・モータリングを気軽に楽しんでいます。ボタンひとつで屋根を開け放つことができることがこんなに楽しいものか。こんなにも尊いものか。そんなことを日常的に噛み締めています。この500C、幌の作りとしてはそれほど信頼性の高いものではありません。電動開閉ながらあくまでも開口部の雨をしのぐものと言わねばならないでしょう。
しかし、やはりボタンひとつで二段階にスライド。しかも随分と頭上近いところにあるルーフがボタンひとつで開け放たれるのです。開放感も結果としては随分と身近に感じることができるオープンモデルだと思います。サイドの窓枠は残るフルオープンにはならないモデルではあるものの、実質的には十分に開放的です。しかも走行中でもボタン操作でホロの開閉ができます。あまり速度が速い時には作動しませんがタウンスピードでは走行中に開閉可能。これは停止中でないと開閉できないヴァリエッタオーナーとしては大いに「妬く」ポイントなのです。閉めていてもそこそこ外界の音は侵入します。しかしながらオープンカフェでお茶を飲むときに「うるさい」と苦情を言う人はいないでしょう。そんな感じです。不快ではありません。
その上で、ステアリングのマナー、デュアロジックの変速タイミングの制御、乗り心地など1900か所にも及ぶ改良点は伊達ではない。それが個人的な感想でした。2ペダルながら基本的にはマニュアルミッションと同様のギヤを持つデュアロジック。慣れれば楽しい、の慣れるレベルのハードルがさらに低くなり、より滑らかに的確に、明確にタイミングがつかめるようになりました。マイルドにアクセルを踏んであげる、はたまたイタリア人のように、おのおののギヤで目一杯踏み込み、クラスをわきまえず積極的に走ることだって可能です。
この場合、相当ハイパフォーマンスなのは正直ちょっと驚きでした。とても900ccのエンジンだとは思えないパフォーマンスを発揮します。ダイナミックな走り。一言で言うとそんな感じでした。東名高速の大井松田〜御殿場くらいのカーブの多い登坂区間でも流れをリードするくらいのペースは簡単に維持できます。そしてペースもさることながらよく曲がる。昔の感覚だとアバルトモデルにツインエアエンジンを搭載した、そのくらいシャキッとしたし、走っても気持ちいい車に仕上がった印象でした。絶対的なホイールベースは短いのでぴょこぴょこする傾向はあります。しかしずっとフラットにもなりましたし、その振動自体も随分大人びた印象です。
クルマがシャキッとすると、ついつい遠くまで足を伸ばしたくなりますね。正直浜松、私の中ではそれほど長距離ではない部類の距離ですが、それでもチョイ乗りという距離でもありません。そんな距離の移動に500Cを借り出して後悔があったかといえば無く、むしろ小さいボディのアドヴァンテージ。狭い道にも積極的に入って行きたくなるスタンス。旅をすると「路地が呼んでくる」ことってありませんか?クルマで走っていても。この道狭そうだけど行けるかな?と思うことがあるものですが、そんな時にも躊躇なく入っていける。真の意味で「旅ができる」クルマなのです。そういう意味ではまぎれもなくグランツーリズモになった。そう感じるくらいのクルマには仕上がっています。
それでも、機械としての精度は向上しても、人を笑顔にする資質はスポイルされておらず、いよいよこのクルマがそのアピアランスで人を惹きつける真の意味が出てきた。その部分に商品としての正当な価値が出てきたと言えるのではないでしょうか。もしキャッチーな外観に惚れて買ってもクルマとしても一定のクオリティをクリアしている。もちろん免許を取ったばかりの女子の皆々様はもちろん、小粋に近所を流すのがメイン、というおじさんラナバウトとしても全然アリだと思うのです。笑う角には福来る!!なかなかにこやかに暮らすことも容易ならざる昨今。こんなクルマで「つい、にたついてしまう。」そんなのも悪くはないと思うのです。
そしてこの絶対的にナローな車幅、ある人はこのクルマで新しい恋が始まるかもしれません。そして陽光燦々と、折々の風を香りながらドライブすれば、ある人は思いがけない詩が降りてくるのかもしれません。屋根を開け放てば、赤いインパネにはキラキラと木漏れ日が映り込みながらドライブが出来るというわけです。もし、何も始まらなくとも、何も生まなくとも、そんな明るいカラーの内装を見ながらドライブしていれば、次の一歩を踏み出す、新しい1日を愉しく生きる、ちょっとしたビタミンをくれているようには思えるではないか、と言ったらオーバーな表現だと叱られるでしょうか。
まあ、騙されたと思って、一度機会があればこのクルマで森の方へでもドライブにお出かけなればいいのです。スタタタタタと軽やかに鼻歌のようなエンジンの音を聞いていたら、なんとなく嫌なことも忘れられるのではないか。新しいフィアット500Cはそんな一台じゃないでしょうか。
静岡のかつての友人の奥様の愛車がアバルト500のマニュアル(!)、別の友人がプジョ−208の納車直後ということで、夜中に集合し、ちょっくら日本平ホテルまでドライブしてきた。こういうことをちょこちょこしたくなるクルマ。クルマ好きならこのクルマがつまらないシティラナバウト泊りのクルマなのか、それとも「ともにカーライフを紡げる伴侶」たり得るクルマなのか、ここで明文化するまでもないでしょう。
[ライター/中込健太郎]
山中湖のギャラリーアバルトミュージアムの山口寿一館長の著書「知れば知るほど外車術」によれば、往年のフィアット500、現代によみがえった可愛らしい500の元になり、ダンテ・ジアコーサが開発主任技術者を務めた、往年のいわゆるNUOVA500は、当時最も安価な輸入車であったものの、楽しいがあくまでも近場での利用を想定して作られたクルマである点は否定できず、せいぜい熱海くらいまでがやっと、というようなクルマだったと記述があったと記憶しています。当初のフィアット500に乗った印象としては、そうした点も踏襲していた、そんなクルマだと感じたというわけです。
しかしこのほど、外観上の変更も、されたはされたものの、最小限ながらクルマとしての刷新が図られ、随分と色んなところから「相当良くなった」という声を聞く新しい500に関する評価を聞いていたものだから、何か機会を見つけてちょっと乗ってみたいと感じておりました。今回せっかく浜松にパンダリーノの取材に行くので、何かフィアットのモデルを試乗を兼ねて拝借しようと思いFCAにご連絡したところ、真新しい500C、ルーフが開閉式の幌になっている500ベースのオープンモデルを拝借することができたので、その試乗の感想を書き留めておきたいと思います。
まず、少しフィアット500自体からは話が逸れますが、「オープンモデルがやめられない体になってしまった。」というのがまず走り出してほどなく感じたことです。普段からシルビア・ヴァリエッタをアシに利用している筆者。日頃からオープン・エア・モータリングを気軽に楽しんでいます。ボタンひとつで屋根を開け放つことができることがこんなに楽しいものか。こんなにも尊いものか。そんなことを日常的に噛み締めています。この500C、幌の作りとしてはそれほど信頼性の高いものではありません。電動開閉ながらあくまでも開口部の雨をしのぐものと言わねばならないでしょう。
しかし、やはりボタンひとつで二段階にスライド。しかも随分と頭上近いところにあるルーフがボタンひとつで開け放たれるのです。開放感も結果としては随分と身近に感じることができるオープンモデルだと思います。サイドの窓枠は残るフルオープンにはならないモデルではあるものの、実質的には十分に開放的です。しかも走行中でもボタン操作でホロの開閉ができます。あまり速度が速い時には作動しませんがタウンスピードでは走行中に開閉可能。これは停止中でないと開閉できないヴァリエッタオーナーとしては大いに「妬く」ポイントなのです。閉めていてもそこそこ外界の音は侵入します。しかしながらオープンカフェでお茶を飲むときに「うるさい」と苦情を言う人はいないでしょう。そんな感じです。不快ではありません。
その上で、ステアリングのマナー、デュアロジックの変速タイミングの制御、乗り心地など1900か所にも及ぶ改良点は伊達ではない。それが個人的な感想でした。2ペダルながら基本的にはマニュアルミッションと同様のギヤを持つデュアロジック。慣れれば楽しい、の慣れるレベルのハードルがさらに低くなり、より滑らかに的確に、明確にタイミングがつかめるようになりました。マイルドにアクセルを踏んであげる、はたまたイタリア人のように、おのおののギヤで目一杯踏み込み、クラスをわきまえず積極的に走ることだって可能です。
この場合、相当ハイパフォーマンスなのは正直ちょっと驚きでした。とても900ccのエンジンだとは思えないパフォーマンスを発揮します。ダイナミックな走り。一言で言うとそんな感じでした。東名高速の大井松田〜御殿場くらいのカーブの多い登坂区間でも流れをリードするくらいのペースは簡単に維持できます。そしてペースもさることながらよく曲がる。昔の感覚だとアバルトモデルにツインエアエンジンを搭載した、そのくらいシャキッとしたし、走っても気持ちいい車に仕上がった印象でした。絶対的なホイールベースは短いのでぴょこぴょこする傾向はあります。しかしずっとフラットにもなりましたし、その振動自体も随分大人びた印象です。
クルマがシャキッとすると、ついつい遠くまで足を伸ばしたくなりますね。正直浜松、私の中ではそれほど長距離ではない部類の距離ですが、それでもチョイ乗りという距離でもありません。そんな距離の移動に500Cを借り出して後悔があったかといえば無く、むしろ小さいボディのアドヴァンテージ。狭い道にも積極的に入って行きたくなるスタンス。旅をすると「路地が呼んでくる」ことってありませんか?クルマで走っていても。この道狭そうだけど行けるかな?と思うことがあるものですが、そんな時にも躊躇なく入っていける。真の意味で「旅ができる」クルマなのです。そういう意味ではまぎれもなくグランツーリズモになった。そう感じるくらいのクルマには仕上がっています。
それでも、機械としての精度は向上しても、人を笑顔にする資質はスポイルされておらず、いよいよこのクルマがそのアピアランスで人を惹きつける真の意味が出てきた。その部分に商品としての正当な価値が出てきたと言えるのではないでしょうか。もしキャッチーな外観に惚れて買ってもクルマとしても一定のクオリティをクリアしている。もちろん免許を取ったばかりの女子の皆々様はもちろん、小粋に近所を流すのがメイン、というおじさんラナバウトとしても全然アリだと思うのです。笑う角には福来る!!なかなかにこやかに暮らすことも容易ならざる昨今。こんなクルマで「つい、にたついてしまう。」そんなのも悪くはないと思うのです。
そしてこの絶対的にナローな車幅、ある人はこのクルマで新しい恋が始まるかもしれません。そして陽光燦々と、折々の風を香りながらドライブすれば、ある人は思いがけない詩が降りてくるのかもしれません。屋根を開け放てば、赤いインパネにはキラキラと木漏れ日が映り込みながらドライブが出来るというわけです。もし、何も始まらなくとも、何も生まなくとも、そんな明るいカラーの内装を見ながらドライブしていれば、次の一歩を踏み出す、新しい1日を愉しく生きる、ちょっとしたビタミンをくれているようには思えるではないか、と言ったらオーバーな表現だと叱られるでしょうか。
まあ、騙されたと思って、一度機会があればこのクルマで森の方へでもドライブにお出かけなればいいのです。スタタタタタと軽やかに鼻歌のようなエンジンの音を聞いていたら、なんとなく嫌なことも忘れられるのではないか。新しいフィアット500Cはそんな一台じゃないでしょうか。
静岡のかつての友人の奥様の愛車がアバルト500のマニュアル(!)、別の友人がプジョ−208の納車直後ということで、夜中に集合し、ちょっくら日本平ホテルまでドライブしてきた。こういうことをちょこちょこしたくなるクルマ。クルマ好きならこのクルマがつまらないシティラナバウト泊りのクルマなのか、それとも「ともにカーライフを紡げる伴侶」たり得るクルマなのか、ここで明文化するまでもないでしょう。
[ライター/中込健太郎]