オーナーインタビュー
更新2016.04.28
セナとともにF1を駆け抜けたヘルメットマン、川﨑 和寛さんへインタビュー
松村 透
去る2015年2月10日。青山のホンダ本社にて、新生マクラーレン・ホンダの記者会見が開かれました。久しぶりに、マクラーレン・ホンダの名前を冠したF1マシンがサーキットを駆け抜けます。それから遡ること20数年前、日本は空前のF1ブームでした。まさにそのとき、アイルトン・セナとともにF1サーカスを転戦していた方が今回の主役、川﨑 和寛(かわさき・かずひろ)さんだ。
川﨑さんは、セナから「ヘルメットマン」の愛称で呼ばれ、1990年、91年にセナが使用したヘルメットをデザインしたその人。セナが被っているヘルメットに「RHEOS(レオス)」のロゴを見掛けたら、それは川﨑さんが手掛けたものなのです。1990年日本GP、スタート直後の鈴鹿サーキットの1コーナーで、フェラーリに移籍したアラン・プロストと接触し、コースアウトしたときに被っていたのも、1991年ブラジルGPで念願の母国優勝を決めたときに被っていたのも「RHEOS」製ヘルメットでした。
F1という極限の世界を経験した川﨑さんだから、目つきの鋭い寡黙な方かと思いきや、当時のエピソードを分かりやすく、しかもユーモアを交えて披露してくださる、優しい眼差しが印象的なエンスージアストでした。
──まずは、川﨑さんのお仕事について聞かせてください。
アイルトン・セナ、ゲルハルト・ベルガーのヘルメットを手掛けたプロジェクトリーダーとして、1989年のシーズンオフ〜1991年までマクラーレン・ホンダのスタッフとしてF1サーカスに帯同しました。現在は、KDS(有限会社河野電機)にて、ホンダ時代の経験を活かし、プロダクトデザインの企画から管理まで全般を担当しています。プロジェクトの一つとして、現在は訪問介護用の浴槽のデザインを手掛けています。
──現在の愛車を手に入れるきっかけとは?
当時のセナは、F1ヨーロッパラウンドの間はポルシェ944ターボに乗っていたんです。セナもポルシェが好きだったんですね。そのときの私はポルシェ914に乗っていたんですが、セナにそのことを話したらすごく喜んでくれて、持っていた914の写真にサインをしてくれたんです。
現在の愛車である944は、ポルシェとしては7台目にあたります。私が求める条件(1989年式、左ハンドル、MT、ガンメタ、快適性)でクルマを探しているときに、ある人を介して出会いました。程度は抜群。記録簿を見ると前オーナーの深い愛情が注がれた個体で、しかも私が求める条件をすべて満たしていたんです。さらに、944ターボの足回りと968クラブスポーツのブレーキが組み込まれていて…。まさに運命を感じる出会いでしたね。
▲オドメーターの数値に注目。16万キロを走破したとは思えないコンディション
──ポルシェに乗ろうと思ったきっかけとは?
かつて、ポルシェ・デザイン社とホンダがタイアップする機会があり、その豊富なアイデアに驚いた記憶があります。フェルディナンド・ポルシェ博士は、クルマだけでなく戦車の設計にも携わっています。プロダクトデザイナーとしてポルシェに乗っておかなければ恥ずかしいぞ!という思いもありましたね。
もう少し遡ると、若い頃、友人が湘南に住んでいて、二人で葉山あたりをナナハンで走っていたんです。すると白いポルシェ911(ナロー)が現れて、コーナーをハイスピードで駆け抜けて行く。お互い、ポルシェの速さに驚かされましたね。その後、当時通っていた学校で「クルマのカタログを入手して絵を描きなさい」という課題が出て、これなら堂々とポルシェが見られるぞ(笑)と、当時飯倉にオープンしたばかりのミツワのショールームへ行ってみたんです。するとショールームレディが「坊や何しに来たの?」と聞いてくるわけです。そこですかさず「今、ポルシェは買えないけれど、学校の課題で絵を描くためにカタログをもらいにきた」と告げたら、「じゃあ、早く大人になって成功してポルシェを買ってね」と言ってカタログをくれたんです。あれは嬉しかったなあ。
そういえば、関越道で、あの白洲次郎が操るナローに追い越されたんです。実は、そのことを知ったのは10数年後だったんですが、すでに高齢だったはずなのに、途方もないスピードで駆け抜けて行きましたよ。
▲ノーマルの状態を保ちつつも、運転席はさりげなく純正スポーツシートを装着
──川﨑さんから見た、アイルトン・セナの印象は?
一言で表すなら「孤独な人」。心を許せる人がいなかったんでしょうね。あれは忘れもしない、1990年7月29日のF1ドイツGP。この日はとても暑かったので、セナのヘルメットに汗対策を施したんです。その汗対策の裏側に、赤いペンでこっそり「必勝」と書き、額の部分に貼ったんです。結果、レースはセナが優勝!この日は私の誕生日で、最高のプレゼントとなりました。レース後、セナが汗対策に気づき「これは何の素材?日本語で何て書いてあるの?」と聞くので、「実は紙ナプキンなんだ。【必勝】とは、セナが勝つための日本のおまじないだよ」と伝えたらとても喜んでくれて。セナもワールドチャンピオンに向けて勢いがついてきていたし、私の仕事を信頼し、仲間としても心を開いてくれたのが分かった。セナとの確かな絆を実感できた瞬間でしたね。
セナは貪欲な探究心を持ちつつ、良い意味でものすごくエゴイスト。自分がF1で世界一になるため、常に努力を惜しまない人でしたね。一緒にF1の世界で仕事をするようになったとき、最初の3戦くらいのセナはあらゆることを質問攻めにして、私の仕事をチェックしてきた。その後、私のヘルメットに対するこれまでの経験やノウハウ、仕事への想いを伝えたときに「あとは任せるよ」と言ってくれたのは本当に嬉しかったですね。
月日が流れ、私もこのプロジェクトから離れるときがやってきました。それを知ったセナが「何かお礼をさせて欲しい」と申し出てくれた。そこで私は「お礼はいいよ。ラブレターをくれないか」と頼んだんです。そうしたら「これからもずっと友達でいたい」というメッセージと直筆のサインが書かれたFAXが届いたんです。ワールドチャンピオンを勝ち取ったときも、メディアの問いかけに対して、マシンだけでなくヘルメットもその要因だと答えてくれたセナの義理堅い一面を垣間見ましたね。
▲リヤウィンドウに貼られたセナのステッカー。納車時に、友人がプレゼントしてくれたのだとか
──今の愛車を手に入れて良かった点、苦労している点は?
●良かった点
きちんとエアコンが効くことです。年齢的にも快適性はとても重要。私も過去に911を所有していたけれど、エアコンの効きが弱い空冷モデルを実用として扱うのはちょっと厳しい。その点、944なら私が求める趣味性と実用面の両方を満たしてくれます。あとはやはり、セナが944に乗ってきたあの光景が忘れられないですね。
●苦労している点
苦労している(…と言うほどでもないけれど)、運転席側のパワーウィンドウの故障。あとは、タイヤの選択肢が少ないことくらいです。
──予算抜きで、欲しいクルマBEST3は?
1.マクラーレンF1GTR
2.ランチア・ストラトス
3.ポルシェ914 IMSA
です。ポルシェ914 IMSAは、70才までにはアメリカまで探しに行ってでも手に入れますよ!
──川﨑さんにとって、愛車はどんな存在ですか?
私のアイデンティティであり、コミュニケーション・ツールです。クルマ、ポルシェ、セナを通じて、多くの人たちとの出会いがありました。今の愛車である944を通じて、これからもきっと新しい出会いがあるはずです。
▲美しいリヤビュー。ポルシェは911だけではないことを再認識させてくれるデザイン
〜オーナープロフィール〜
お名前:川﨑 和寛さん
年齢:65才
職業:(有)KDS プロダクトデザイナー/企画管理(元ホンダ エンジニア兼デザイナー)
現在の愛車:1989年式 ポルシェ944 S2(5MT)
[ライター・カメラ/江上透]
川﨑さんは、セナから「ヘルメットマン」の愛称で呼ばれ、1990年、91年にセナが使用したヘルメットをデザインしたその人。セナが被っているヘルメットに「RHEOS(レオス)」のロゴを見掛けたら、それは川﨑さんが手掛けたものなのです。1990年日本GP、スタート直後の鈴鹿サーキットの1コーナーで、フェラーリに移籍したアラン・プロストと接触し、コースアウトしたときに被っていたのも、1991年ブラジルGPで念願の母国優勝を決めたときに被っていたのも「RHEOS」製ヘルメットでした。
F1という極限の世界を経験した川﨑さんだから、目つきの鋭い寡黙な方かと思いきや、当時のエピソードを分かりやすく、しかもユーモアを交えて披露してくださる、優しい眼差しが印象的なエンスージアストでした。
──まずは、川﨑さんのお仕事について聞かせてください。
アイルトン・セナ、ゲルハルト・ベルガーのヘルメットを手掛けたプロジェクトリーダーとして、1989年のシーズンオフ〜1991年までマクラーレン・ホンダのスタッフとしてF1サーカスに帯同しました。現在は、KDS(有限会社河野電機)にて、ホンダ時代の経験を活かし、プロダクトデザインの企画から管理まで全般を担当しています。プロジェクトの一つとして、現在は訪問介護用の浴槽のデザインを手掛けています。
──現在の愛車を手に入れるきっかけとは?
当時のセナは、F1ヨーロッパラウンドの間はポルシェ944ターボに乗っていたんです。セナもポルシェが好きだったんですね。そのときの私はポルシェ914に乗っていたんですが、セナにそのことを話したらすごく喜んでくれて、持っていた914の写真にサインをしてくれたんです。
現在の愛車である944は、ポルシェとしては7台目にあたります。私が求める条件(1989年式、左ハンドル、MT、ガンメタ、快適性)でクルマを探しているときに、ある人を介して出会いました。程度は抜群。記録簿を見ると前オーナーの深い愛情が注がれた個体で、しかも私が求める条件をすべて満たしていたんです。さらに、944ターボの足回りと968クラブスポーツのブレーキが組み込まれていて…。まさに運命を感じる出会いでしたね。
▲オドメーターの数値に注目。16万キロを走破したとは思えないコンディション
──ポルシェに乗ろうと思ったきっかけとは?
かつて、ポルシェ・デザイン社とホンダがタイアップする機会があり、その豊富なアイデアに驚いた記憶があります。フェルディナンド・ポルシェ博士は、クルマだけでなく戦車の設計にも携わっています。プロダクトデザイナーとしてポルシェに乗っておかなければ恥ずかしいぞ!という思いもありましたね。
もう少し遡ると、若い頃、友人が湘南に住んでいて、二人で葉山あたりをナナハンで走っていたんです。すると白いポルシェ911(ナロー)が現れて、コーナーをハイスピードで駆け抜けて行く。お互い、ポルシェの速さに驚かされましたね。その後、当時通っていた学校で「クルマのカタログを入手して絵を描きなさい」という課題が出て、これなら堂々とポルシェが見られるぞ(笑)と、当時飯倉にオープンしたばかりのミツワのショールームへ行ってみたんです。するとショールームレディが「坊や何しに来たの?」と聞いてくるわけです。そこですかさず「今、ポルシェは買えないけれど、学校の課題で絵を描くためにカタログをもらいにきた」と告げたら、「じゃあ、早く大人になって成功してポルシェを買ってね」と言ってカタログをくれたんです。あれは嬉しかったなあ。
そういえば、関越道で、あの白洲次郎が操るナローに追い越されたんです。実は、そのことを知ったのは10数年後だったんですが、すでに高齢だったはずなのに、途方もないスピードで駆け抜けて行きましたよ。
▲ノーマルの状態を保ちつつも、運転席はさりげなく純正スポーツシートを装着
──川﨑さんから見た、アイルトン・セナの印象は?
一言で表すなら「孤独な人」。心を許せる人がいなかったんでしょうね。あれは忘れもしない、1990年7月29日のF1ドイツGP。この日はとても暑かったので、セナのヘルメットに汗対策を施したんです。その汗対策の裏側に、赤いペンでこっそり「必勝」と書き、額の部分に貼ったんです。結果、レースはセナが優勝!この日は私の誕生日で、最高のプレゼントとなりました。レース後、セナが汗対策に気づき「これは何の素材?日本語で何て書いてあるの?」と聞くので、「実は紙ナプキンなんだ。【必勝】とは、セナが勝つための日本のおまじないだよ」と伝えたらとても喜んでくれて。セナもワールドチャンピオンに向けて勢いがついてきていたし、私の仕事を信頼し、仲間としても心を開いてくれたのが分かった。セナとの確かな絆を実感できた瞬間でしたね。
セナは貪欲な探究心を持ちつつ、良い意味でものすごくエゴイスト。自分がF1で世界一になるため、常に努力を惜しまない人でしたね。一緒にF1の世界で仕事をするようになったとき、最初の3戦くらいのセナはあらゆることを質問攻めにして、私の仕事をチェックしてきた。その後、私のヘルメットに対するこれまでの経験やノウハウ、仕事への想いを伝えたときに「あとは任せるよ」と言ってくれたのは本当に嬉しかったですね。
月日が流れ、私もこのプロジェクトから離れるときがやってきました。それを知ったセナが「何かお礼をさせて欲しい」と申し出てくれた。そこで私は「お礼はいいよ。ラブレターをくれないか」と頼んだんです。そうしたら「これからもずっと友達でいたい」というメッセージと直筆のサインが書かれたFAXが届いたんです。ワールドチャンピオンを勝ち取ったときも、メディアの問いかけに対して、マシンだけでなくヘルメットもその要因だと答えてくれたセナの義理堅い一面を垣間見ましたね。
▲リヤウィンドウに貼られたセナのステッカー。納車時に、友人がプレゼントしてくれたのだとか
──今の愛車を手に入れて良かった点、苦労している点は?
●良かった点
きちんとエアコンが効くことです。年齢的にも快適性はとても重要。私も過去に911を所有していたけれど、エアコンの効きが弱い空冷モデルを実用として扱うのはちょっと厳しい。その点、944なら私が求める趣味性と実用面の両方を満たしてくれます。あとはやはり、セナが944に乗ってきたあの光景が忘れられないですね。
●苦労している点
苦労している(…と言うほどでもないけれど)、運転席側のパワーウィンドウの故障。あとは、タイヤの選択肢が少ないことくらいです。
──予算抜きで、欲しいクルマBEST3は?
1.マクラーレンF1GTR
2.ランチア・ストラトス
3.ポルシェ914 IMSA
です。ポルシェ914 IMSAは、70才までにはアメリカまで探しに行ってでも手に入れますよ!
──川﨑さんにとって、愛車はどんな存在ですか?
私のアイデンティティであり、コミュニケーション・ツールです。クルマ、ポルシェ、セナを通じて、多くの人たちとの出会いがありました。今の愛車である944を通じて、これからもきっと新しい出会いがあるはずです。
▲美しいリヤビュー。ポルシェは911だけではないことを再認識させてくれるデザイン
〜オーナープロフィール〜
お名前:川﨑 和寛さん
年齢:65才
職業:(有)KDS プロダクトデザイナー/企画管理(元ホンダ エンジニア兼デザイナー)
現在の愛車:1989年式 ポルシェ944 S2(5MT)
[ライター・カメラ/江上透]