
カーゼニ
更新2018.09.03
クルマ好きの自家用車遍歴はその人の履歴書。であるならば、あなたは今後どういった遍歴を積み重ねていくのだろうか?

伊達軍曹

当時のクラウンは今で言う5000万円級のクルマだった?

写真のクルマが仮に初代クラウンだとするならば、当時の価格はGAZOO.comによれば101万4860円で、これは当時の年間平均所得の約12.5倍だったという。現在の水準で言うと「5000万円ぐらい」ということだろうか? 後に没落した軍曹父ではあるが、「彼にも羽振りのいい時代があったのだなぁ」と、没落後に(正確に言えば没落途中に)生を受けた彼の末子は平成の世に思う。
考えてみれば自家用車の遍歴というのは、「その男の人生遍歴そのもの」でもあるのかもしれない。もちろん「クルマ好きの男」に限った話ではあるが。
軍曹父も、いろいろなクルマに乗っていた人だった。私が記憶しているのはクジラのクラウン(4代目)のハードトップからだが、一族最年長の従兄弟によれば「最初に買ったクルマはトヨタのパブリカ」だったらしい。おそらく昭和36年(1961年)頃の話だろう。

と、ここまで書いてみて、現在の貨幣価値で言う5000万円のクルマであった初代クラウンは、どうやら中古で買ったブツらしいことが判明した。あるいは借り物か。
なぜならば、「最初に買った自家用車」であるパブリカのデビューが昭和36年なのだが、翌昭和37年にクラウンは、2代目のRS40系へとフルモデルチェンジされている。
ということは、自家用車が今よりムチャクチャ高価で貴重だったその時代に、「登場したばかりのパブリカを買ったけど、飽きたんで、半年乗っただけでモデル末期の初代クラウンに買い替えましたわ」なんてことは絶対になかったはず。おそらくはパブリカの次ぐらいに中古で初代トヨペット クラウンを買ったのだろう(または先ほど言ったとおり、誰かに借りて山中湖までドライブに出かけたか)。
自家用車遍歴は「人生の履歴書」でもある

まぁわからないし、確認のしようもない。ただ、その後の軍曹父の自家用車遍歴は、私が記憶している限りでは以下のとおりだ。
・トヨタ マークII(兄からそう聞いただけで、私は記憶なし)
・クジラのクラウンのハードトップ(ここから記憶あり)
・トヨペット コロナ/5代目(このあたりから没落が始まる)
・日産ローレル/4代目C31型(やや持ち直した?)
・日産ローレルスピリット(やっぱダメか!)
・赤い日産ガゼール(……何があったんだ?)
・何らかの日産車(覚えていない)
・何らかの日産車(これも覚えてない)

このあたりから小生は親元を離れて自活を始めたため、父の自家用車遍歴はさらに覚えていない。
が、記憶によればY32系だったかY33系だったかの日産グロリアなどを買って少々の持ち直し感を見せたものの、最晩年は「もう大きいクルマを運転するのはしんどい」と言ってトヨタのカローラを買った。たしか8代目のE11型だったように思う。
だが身体がしんどいのかクルマを運転する気力が湧かないのか、新車で買ったそれはさほど走行距離が伸びないまま売却され、本人は運転免許を返納した。
貴殿にとってはいささかの関係も興味もない軍曹父の自家用車遍歴をつらつら書いてしまい、申し訳なく思う。「何が言いたいんだ?」と言われれば、自分でも正直よくわからない。
ただひとつあるのは、「自家用車遍歴とは、その男の(自動車愛好家としての)履歴書なのだなぁ」という感慨だ。もちろん、先に述べたとおり「その者がもしもクルマ好きであったならば」という話だが。
自家用車遍歴からは、その男のその時点でのゼニの多寡も、センスや考え方も、気合や気迫のようなものも、すべてが(もちろん完全にではないが)浮かび上がってくる。
「バカな奴だったな(笑)」と笑ってもらえる自動車を買いたい

であるならば、自分の場合はどういった遍歴を今後積み重ねていくのだろうか?
まぁ大したゼニを投入できないことはあらかた決定しているため、大してきらびやかな遍歴にはならないだろう。
しかし私の死後、仮に誰かがそれを何らかの機会に俯瞰したときに「つまんねえクルマばっか買ってた奴だな」とは思われたくない。
これは私のオリジナルではなくテリー伊藤さんがおっしゃっていたことのパクリだが、「バカなクルマばっか買ってた奴なんだな(笑)。でも……なんか面白そうな男だったんだな」と思ってもらいたいと、切実に思っている。
そのためには……まぁぶっちゃけゼニだな。なんだかんだ言ってゼニがなければクルマは買えない。ならばこの「カーゼニ」などの原稿をシコシコ書くことでゼニを稼ぎ、「あいつ、バカだなぁ(笑)」と喜んでもらえるクルマを今後も買えるよう、私は精進したいと思っている。
[ライター/伊達軍曹]