更新2025.01.31
プラレール号の記録簿 vol.9:「ポルシェ止まり」という表現について思うこと
松村 透
少し前に、SNSで「ポルシェ止まり」というワードが話題になりました。
フェラーリやランボルギーニ、マクラーレン、ロールスロイス、ベントレー・・・などなど。
世界を代表するラクジュアリーブランドを目指す人たちにとっては、ポルシェはあくまでも通過点なのかもしれません。
この「ポルシェ止まり」というキーワード、SNSでの反応はさておき、自分なりにプラレール号の存在を改めて考えさせられる良い契機となったのです。
■正直「ポルシェ止まり」という発想はなかった
「ポルシェ止まり」・・・いわれてみれば確かに。
「もっと頑張って稼げばフェラーリやランボルギーニなどのスーパーカーが買えるかもしれないのに、ポルシェに甘んじてていいのですか?」・・・なんて面といわれたことはありませんが、そういう考えがあっても不思議ではありません。
で、自分自身はどうなのか?自問自答してみたところ・・・。
どうやら「ポルシェ止まり」で落ち着きそうだなという結論に至りました。
その理由を以下にまとめました。
■経済的・時間的にも趣味車の増車はありえない?
仕事と主夫業(家事育児)に追われてプラレール号ですら満足に乗れていないのに、さらに趣味車を増車できたとしても乗る時間を捻出できそうにありません。
家族持ちで、さらに複数の趣味車を所有している方って、どうやって時間を捻出しているのか気になります。真似したいので教えて欲しいです。
さらに、自宅にもう1台分のクルマを置けるスペースがないので、近所に月極駐車場を借りる必要があります。
車種にもよりますが、分かりやすく増車する趣味車を仮にフェラーリだとしましょう。
フェラーリを自宅から少し離れた青空駐車場に止めておく勇気はありません。
かといって、プラレール号を青空駐車場に置き、フェラーリを自宅駐車場に止めるという選択肢は当然ながらナシ。
さらにはプラレール号と入れ替えるカタチでフェラーリ(もちろん他の車種でも)に乗り換えるという選択肢ももちろんナシ。
やむを得ず月極駐車場に置くとしたら仕事用のクルマになりそうです。
■それまで築いてきた人間関係がリセットされる(かもしれない)という怖さ
引っ越しや転職など、置かれている環境がガラリと変わると、それに伴ってそれまでの人間関係がリセットされます。
そして、ほぼイチから新たに構築していくこととなります。それはクルマ界隈でも同じこと。
頼りになる主治医、ツーリングや飲み会などで心おきなく話せる友人・知人、そしてグループ・・・。
増車であれば人間関係を継続していくことも可能ですが、乗り換えとなると疎遠になっていく確率が高いです。
プラレール号を手放して、仮にフェラーリを手に入れたとしましょう。
1度くらいは「お披露目」と称して仲間内のツーリングにも参加できるかもしれません。
しかし、2回目以降は気まずさがあります(仮に向こうがなんとも思っていないとしても)。
また、頼りになる主治医も、自分の足で探すか、誰かに紹介してもらう必要があります。
また、どこかのグループに入れてもらったとして、車種が変わるとオーナー像もかなり違ってきます。
これまでプラレール号、そしてポルシェを通じて築き上げてきた人のつながりや一気に希薄になることへの怖さ。
そして、アラフィフから事実上、ゼロスタートで人のつながりを再構築していくモチベーションがもはや残されていない・・・。
仕事であればともかく、こちらは趣味の世界。
公私ともにクルマ漬けの日々ゆえに、プラレール号との時間は数少ないリフレッシュできるひとときでもあります。
そんな得がたい時間を提供してくれるプラレール号を手放してまで、是が非でも欲しいクルマが見つからないこともまた事実。
年を取るとはこういうことなのか、アガリの1台を手に入れたからこその贅沢な悩みなのか・・・。
いつの間にか、いままで築いてきたものを失う怖さの方が勝っていたのです。
攻めよりも守りに入っている・・・。
趣味の世界とはいえ、この心境の変化に、正直いって自分でもショックでした。
■妥協点としての「○○○止まり」なのか、自分自身が納得したうえでの「○○○止まり」なのか
いわゆる「魔が差して」、アガリの1台だと思って所有してきた愛車を手放し、後になって思い切り悔やんでいる、そして悔やんでも悔やみきれない想いを抱えている人を何人も(取材を含めるとそれこそ何十人単位も)見てきました。
そのいっぽうで、資金的に余裕があるのか(これはこれでうらやましい)、短期間でクルマを買い替え、所有しているあいだに次の愛車候補を物色している知人もいます。
結論として、通過点としての「ポルシェ止まり」であるなら、いますぐにでも自身が納得できる「○○○止まり」を目指さないとポルシェに乗っている意味がありませんし、ポルシェに対しても失礼です(これはポルシェに限らず、他の車種であっても同様ですが)。
妥協点としての「○○○止まり」なのか、自分自身が納得したうえでの「○○○止まり」によって意味合いがまったく変わってきます。
もしも「ポルシェ止まり」が文字どおりの終着点であるならば、周囲から何をいわれても気にする必要はありません。
「○○○止まり」のクルマを所有している、あるいは対象となるクルマをすでにロックオンしている状態って、実は結構シアワセなことなんじゃないか・・・って思います。