ライフスタイル
更新2018.02.20
現代のスポーツカーが速くなりすぎた結果、「絶対的な速さはなくとも楽しく走る」という需要も生まれた
JUN MASUDA
それは「スポーツカー」の中でも分化が進んでいることだ。
かつては「スポーツカー」といえば、サーキットを速く走るという目的に特化したものだった。
そのための「必要な要件」がハイパワーなエンジンであったり、強固なボディ、締め上げられた足回りであったワケだ。
最近のスーパースポーツは手におえないほど速い
最近のスポーツカーにおいてもそれらに変わりはない。
だが、そのレベルが高くなりすぎた。
最近のスポーツカー、とくに「スーパーカー」レベルになると、700馬力以上が普通になってきた。
マクラーレン720S、ランボルギーニ・アヴェンタドールS、フェラーリ812スーパーファストといった面々はゆうに700馬力を超えている。
パワーがあるのはいいことだ。
お金と同じで、「あればあるだけいい」とボクは考えている。
ただし、パワーがあればクルマはそのぶん速くなる。
そして、人の能力には限界がある。
動体視力や反射神経や、そもそも四肢が物理的に動く速度などだ。
クルマのパワーが増加し、スピードが速くなったとしても、マニュアル・トランスミッション装着車において、「シフトチェンジにかかる時間」が速くなるわけではない。
それを操作するのはボクら人間だからだ。
しかし現代のスーパースポーツはより強力に、より速くなっていて、「マニュアル・トランスミッションを操作する間に進む距離」が一昔前のスポーツカーに暗べて飛躍的に伸びている。
とくに700馬力を発生するようなクルマだと、時速0キロから100キロに達するのはわずか2.7~2.9秒だ。
ポルシェ911GT3は500馬力だが、マニュアル・トランスミッション採用車の0-100km/h加速は3.8秒、PDK採用車だと3.4秒となっている。
この数字を見るに、マニュアル・トランスミッションは非効率的な存在でしかないこともわかる。
このレベルを持つクルマの性能を運転技術で補う時代はもはや終焉を迎えつつあり、それよりもクルマの性能をいかに効率的に引き出すか、を各メーカーは重視している時代になったと考えていい。
実際に、ポルシェのスポーツモデルにおけるトップレンジ、911GT2RSではマニュアル・トランスミッションは用意されていない。
700馬力をリアタイヤのみに伝達するというこのモデルにおいて、マニュアル・トランス・ミッションは非効率的であるばかりか、「危険」であると判断されたのかもしれない。
それを証明するかのように、かのワルター・ロール氏も「ポルシェ911GT2RSは速くなりすぎ、人の能力を超えつつある。一つのミスも許されない車になってしまった」と発言している。
フェラーリはとうの昔にマニュアル・トランスミッションを廃止したし、ランボルギーニも同じだ。
マクラーレンだってマニュアルは最初から考慮に入れていない。
こういった「スーパースポーツ」を生産するメーカーのクルマはあまりに性能が高くなり、そして価格も高くなった。
そして効率を重視するために、マニュアル・トランスミッションを廃止した(ポルシェは一部モデルにおいてマニュアル・トランスミッションを作っているが)。
こういったクルマが属するグループについては、「効率追求型」だと考えてもいい。
加速性能やサーキットのタイム、つまり「絶対的な」性能を追求する、あまりにピュアな存在だ。
そして、彼らの存在意義を維持するには、ピュアであり続けなければならない。
一方で、絶対的なタイムを重視しないスポーツカーも出てきている
そういった状況の中で出てきたのが「効率追求型」に対して「楽しみ追求型」グループだ。
新しく出てきたわけではないが、「ロータス」はその最たる例だろう。
もちろんサーキットでのタイムを重視してはいるが、ニュルブルクリンクで最速を狙うわけではない。
あくまでも「自分が出す」タイムをいかに更新してゆくかという、スキルの向上によってのみ成し遂げられる挑戦を重要視したクルマだとぼくは考えている。
つまり、「人間の操作が無駄」という考え方ではなく、「人間の操作によってタイムが大きく左右される」という考え方を持つクルマでもある。
そして、近年多く見られる「新興メーカー」も同様の例だといっていい。
少し前だと、新興メーカーはこぞって絶対的な数値を追求することが多かった。
加速性能や最高速、ニュルブルクリンクのタイムがそれに該当する。
新しいメーカーは知名度が低く、「数字」でしかその存在を世に知らしめることができないからだ。
ただし最近の傾向として、こういった新興メーカーが「マニュアル・トランスミッションしか設定しない」ことが多くなった。
「効率追求型」がマニュアル・トランスミッションを持たないことにへのアンチテーゼだとも言えるが、絶対的な数値よりも「操る楽しさ」という数値で表せない価値を追求していると言い換えてもいいだろう。
「効率追求型」スポーツカーの価格が高くなりすぎ、そのためにできた“空白の価格帯”にこれら「楽しみ追求型」がうまく収まったとも考えられる。
操る楽しさといえば「アストンマーティン」を忘れてはならない。
アストンマーティンは紳士的なイメージとは裏腹に、凶暴な性格を持っている。
そして、「マニュアル・トランスミッション搭載車を作り続ける」と明言しているメーカーでもある。
実際のところ、アストンマーティンに乗ってガツンとアクセルを踏むと、テールが見事に暴れる。
これはしつけが悪いのではなく、「そういった設定」を意図的に行っているためだ。
「効率追求型」は、駆動力をすべて前進にあてることだけを考えているので、テールスライドを許容しない。
それは無駄であり、タイムロスにつながる「悪」だからだ。
しかしアストンマーティンは違う。
たとえタイムをロスしようとも、「楽しさ」を優先したのだ。
そしてアストンマーティン同様の考え方を持つ大手メーカーも多くなった。
メルセデスAMGやBMW、フォードは「ドリフトモード」を搭載し、わざわざ「無駄な」走り方をできるようにした。
マクラーレンも、最新モデル「720S」ではこのドリフトモードを搭載している。
ポルシェはドリフトモードこそ搭載していないが、「走りを追求するにはマニュアル・トランスミッションは無駄」としてMTを設定していなかった「911GT3」に対しても、フェイスリフトを機にそれを復活させた。
さらには「サーキットのタイム」ではなく、「自分が気持ちいいと思える走り」を追求するための「911T」をも発表している。
やはりクルマは“楽しむ”ことが重要だ
こういったクルマたちの登場について、ボクは「効率追求型」がシンプルにタイムを追求した結果できた「ニッチ」だと考えている。
何ごとでも、効率を追求すると「楽しさ」が犠牲になる場合がある。
人間においても、活動に必要な栄養素やカロリーを摂取するにはタブレットやエナジーバーで十分かもしれないが、席に座り、ろうそくを灯していただく料理には趣(おもむき)という点においてやはり劣るだろう。
数は少ないかもしれないが(いや、これからはそのニッチがマジョリティになるかもしれない)、効率よりも趣を重視する層は必ずいる、ということだ。
こういった「ニッチ」は、言い換えれば新興スポーツカーメーカーにとって「チャンス」となったとボクは考えている。しかし、本来は「ストイックに速く走る」という目的のためだけに存在していたスポーツカーについて、実際は「楽しく走る」という要望が多かったこと、そしてそれに応えるメーカーや車があることは、いちクルマ人として興味深い事実だと思う。
[ライター・撮影/JUN MASUDA]