イベント
更新2018.06.20
筋金入りのヴィンテージカーが何十台と並ぶ光景が!2018年ノリタケの森クラシックカーフェスティバル
鈴木 修一郎
ノリタケの森クラシックカーフェスティバル2018
とはいっても筆者も詳細な告知を知ったのは5月に入るかどうかの時期でした、「情報源」は「カノカレかふぇ」(http://kanocarecafe.com)の壁に貼ってあった告知ポスターなのですが、なぜ情報がいまいち流れてこないのかと思えば、カノカレかふぇのマスターの後藤さん曰く「イベント主催者の小田さんは、インターネットやらない人だから」とのこと。
とはいえいくら空前のクラシックカーブームの昨今といえど、今の時代にインターネットに頼らずとも数十台のヴィンテージカー(中には戦前車まで)のエントリーが集まってくるあたり、よほど人望が厚い方であることが伺い知れます。
イベント恒例の駐車場チェック
さて、今回も例によってまずは駐車場を一回りしてみます。
レプリカか本物かという野暮な話は抜きでポルシェ550スパイダー
1970年代後半と思しきポルシェ911S、今年はなぜかポルシェの見学者が多かったような気がします。
ノリタケの森ですが名古屋駅から歩いて10分ほどのところにこんな公園があります。
これはポンプ室でしょうか、もしかしたらノリタケの旧工場が稼働していた時代からあったレンガ小屋をそのまま使っているのかもしれません。
会場付近まで来てようやくここが、名古屋のオフィス街の真ん中であることを思い出させてくれます。
いざ会場入り!最初に目に止まったのは…
まず目に留まったのが、1955年型ディムラーエンブレス。イベント主催の小田さんの愛車です。まだディムラー車が英国王室の御料車をになっていた時代のフーパー社が、一点物でコーチビルドしたボディを架装した、古き良き時代の英国高級車です。
さまざまな時代の要請や、ユーザーの要望に応じ、自動車が進化する事で「贅をつくした特別注文の一点物の高級車」の存在が許されなくなってしまったというのも皮肉なもので、こんな優雅なクルマが現れることは二度とないと思うと時代の流れとは時に残酷なものです。ゆえにクラシックカーには、金銭的な価値以上の魅力があるのでしょう。
そして、ちょっと奥にいくといきなり強烈なインパクトのあるクルマが…!
1886年型ドディオン・ブートン(フランス)
アルベール・ド・ディオン伯爵と、ジョルジュ・ブートン技師が創設した自動車メーカーの蒸気自動車(!)です。
昔のクルマが好きな方なら「ドディオン」と聞いてサスペンション形状の「ドディオンアクスル」を思い出す方もおられると思いますが、ドディオンアクスルはブートン技師の義弟シャルル・トレパルドゥー技師の考案によるものだそうです。
この当時のドライブトレインは、布ベルトで勾配の強い道ではベルトがスリップして登れないという欠点がありました。
1886年型のレオンボレー(フランス)
こちらは1886年型のレオンボレー(フランス)です。クラシックカーというよりヴェテランカーと呼ぶべきでしょう。まさか博物館クラスのパイオニア期のクルマが地元のイベントで見られるとは思いもしませんでした。自動車といえば20世紀前半から中頃にかけてはアメリカ、後半はドイツと日本が覇を競うような形でしたが、20世紀初頭まではフランスが技術的に先行していたと言います。
1962年トライアンフイタリア2000(ドゥエミーラ)
こちらは1962年トライアンフイタリア2000(ドゥエミーラ)。実は「たまたま」なのですが、HNKで放映されている語学番組「旅するイタリア語」を見ていたら、出演者でバイオリニストの古澤巌さんのお気に入りのクラシックカーということで番組内に登場して知ったクルマなのですが、古澤さんが現車を前に感激していたトライアンフイタリアの同型車が展示してありビックリ。
デザインはジョヴァンニ・ミケロッティ、「ヴィニャーレ」というカロッツェリアで架装されたボディが載っています。諸説あるようですが生産台数は320台(もしくはそれ以下)、番組内に登場したオーナーの話ではイタリア国内でも現存台数は3台しか確認されていないとのこと、まさかテレビで見た希少なクラシックカーの実車を数か月後に地元のイベントで見る事になるとは思いませんでした。
1967年ジャガーMK2・3.8L
筆者のお気に入りのマンガで昨年末、続編の連載が始まった「怪物王女」(光永康則・作)というホラーファンタジー作品の主人公の「リリアーヌ姫」の送迎車(もちろん、姫君なのでショーファーカーとして使われています)として登場するクルマゆえに、「怪物王女のジャガーだ」と見入っていたら、「鈴木君、久しぶり」と声をかけられ驚いて振り向くと、なんとこのクルマのオーナーは筆者のスバル360の前オーナーの方でした。
有難いことに、CLカーズも読んでおられるようで「まさか、鈴木君がライターやってるとはねぇ」と驚いておられました。「部品に関しては外車以上に厄介」としばらくスバル360から離れていたそうなのですが、また最近スバル360を入手したとのこと、やはり面倒くさいクルマというのがわかっていても惹かれる魅力があるようです。
(ちなみにジャガーMK2は機関系の部品はほぼすべて、内装・外装部品も7~8割くらいは新品で入手可能だそうです)
一方、筆者のスバル360は予想以上のボロさで、こうなったら自分で納得いくまで徹底的に直してやろうと、厚盛されたパテと何層もの塗膜と錆をまとめてサンダーで削り落として、腐り落ちたところはネット通販で買ったボンデ鋼鈑から切り出して手叩きで作り直して、GM−8300(やはり、この鈑金接着剤はクラシックカーオーナーの間ではかなり有名なようです)で貼り付けて、ようやくモノコックの修復が終わって錆止めを打ったところという報告をしておきました。
1967年NSU TTS
オートモービルクラブジャパンを主宰する元ラジオ番組ディレクターの是枝さんは今回NSUでのエントリー、筆者が「文章を書く面白さ」に目覚めたのは、1990年代に声優やアニメ関連のラジオ番組(いわゆる「アニラジ」)が一大ブームとなり、是枝さんがキューを振るっていた番組に投稿するようになり、いつしか「ハガキ職人」「常連投稿者」と呼ばれるようになったのがきっかけでした。
それが今になって、クルマの文章で対価を得る身になり、是枝さんとクラシックカーイベントで再会する事になるのですから、つくづく人とクルマが取り持つ縁というのは不思議なものです。
1960年メルセデスベンツ220SEカブリオレ
筆者の好きなオールドメルセデスはまず、ポントンベンツのカブリオレ。日本と同様敗戦国で一時期は自動車の開発を制限され、メルセデスの大型車も3Lモデルが上限だったのも一説には大型車の開発も制限がかかっていたからという話を聞いた事があります。
暫定戦後型の170Vから、いきなり一足飛びでボディ・フェンダー一体型の戦後型にモダナイズされたというのも大したものです。
1990年メルセデス・ベンツ 500SL
いやはや、R129をクラシックカーイベントで見る日が来るとは…このクルマが発売されたときは中学生でしたが、転倒時に作動するロールオーバーバーの機構に興味を持った記憶があります。
ダットサン 2000ロードスター(SRL311)
われらが国産車はフェアレディSR。左ハンドルなので北米仕様のSRL311でしょうか。安全対策でフロントガラスが高くなったハイウィンドウと呼ばれるモデルのようです。SRの9割は北米に輸出され、外貨獲得におおいに貢献したモデルの1台です。
昭和45年いすゞ ベレット1600GTR
もう一台の「R」ベレGです。ベレGと言えばやっぱりこのオレンジ色に防眩仕様の黒ボンネットですね。個人的にはノーマル車高にスチールホイールのオリジナルコンディションがポイント高いです。
昭和43年スバル360
青ガラスにフォグランプが付いているところを見ると筆者と同じ最終型スーパーデラックスのようです。ちなみにヘッドレストが付いていないタイプは最終型スバル360でもごく初期のモデルとなります。早く筆者も自分のスバル360を組まないと…
スーパーDX特有の装備、フォグランプですが、大半の現存車はマイナスの電流が流れる事で電位差腐食を起こしてしまうことで喪失していることがほとんどです。純正品のフォグランプを見つけることは不可能に近いくらい困難なのですが、実は形のよく似たメッキのプレス成型のフォグランプは新品で入手可能、現在も「IKK」というメーカーが3・1/2フォグランプ(白レンズ)という名称で製造しているようです。トラック用品店で1000~1600円くらいで販売されています。
また、360cc規格軽自動車のナンバープレートは自動二輪車のナンバープレートと同じサイズなので、二輪用品店で売られているナンバープレート枠が使用可能ですのでご参考までに。
昭和41年ホンダS800クーペ
オーナーやホンダ車好きの方には申し訳ないと思いつつも…ホンダSに始まり、CR−X、CR−Zとどうもホンダのファーストバッククーペはクーペというよりワゴンかライトバンに見えて仕方がないのですが…。ある意味、スピードだけでなく実用品としての機械にも人一倍固執した本田宗一郎らしいという気はしますが。
昭和37年日野ルノー カロッツェリア ワタナベ
ルノー4CVですが、実はかつて乗用車も製造していた日野自動車が乗用車技術を会得するためにルノー公団と提携し4CVをライセンス生産していた時期もありました。
どことなくVWを思わせる空冷リアエンジンのこのリアスタイル、4CVの開発には当時戦犯としてフランスに拘束されていたポルシェ博士のアドバイスがあったといいます。
このカロッツェリア ワタナベと呼ばれる個体は、まだ改造車の規制が厳しかった時代の日本のカスタムビルダーが仕上げたもので、当時のオーナーがジムカーナ等で使っていたのだそうです。
年式を確認し忘れましたが昭和42年と思われるトヨタ2000GT
今年のVIPスペースはトヨタ2000GTでした。「真夜中のスーパーカー」が真夏のようにクラクラしそうな日差しの中に突如現れると、まるで白昼夢でも見ているような気分になります。
当時の欧州車にも負けない流麗なスタイル「真夜中のスーパーカー」の白雪ではありませんが、どれだけ眺めていても飽きないものです。
会場内に地元のご当地アイドル「OS☆U」を発見
ところで、会場内を地元のご当地アイドル「OS☆U」(https://osu-idol.com)のメンバーが歩いているのを見かけ、「ハテ?クラシックカーイベントにアイドルがなぜ?」と思っていたら、名古屋で輸入車ディーラーを展開している株式会社アイカーズ(https://www.eicars.co.jp)がスーパーGT選手権に参戦しているアイカーズ ベントレー(http://magazine.eicars.co.jp)のレースクイーンをOS☆Uが務めているとのことでした。
大須は東京でいうところの秋葉原のような土地柄、オタクである筆者もよく行く場所ではあるのですが、まさか大須の地元アイドルがベントレーのGTマシンのレースクイーンを務めていたとはつゆ知らず…
1932年ロールスロイスファンタムⅡオープンツアラー
昨年、熱海から「ロールスロイス シルヴァゴースト」でエントリーしていたロールスロイス・ベントレーオーナーズクラブジャパンの和田さんは、今回ファンタムⅡでエントリーしていました。もちろん、昨年のゴーストと同様、熱海から自走でエントリー。さすがゴーストよりも新型(?)とあって東名高速を100km/hで巡行可能だそうです。
細かい所を見るとサビや塗装のクラックもありますが、和田さんにはロールスロイスは乗って走らせるための物であって、綺麗にして飾っておく物ではないのでしょう。
出力は「Enough(必要にして十分)」と、スペックを誇示することを良しとしなかった往時のロールスロイス。その7540cc直列6気筒エンジンは今も快調で、地元TV局の撮影クルーの要望に応じてエンジンをかける時も短いクランキングで始動し、振動もなくラジエターファンが見えるくらいにゆっくりと回っていました。
快適なロングドライブをするためにカーナビとモニターを追加し、リアと右フェンダー下にカメラを付けて視界確保するというのは、たとえヴィンテージのロールスロイスでも公道を走らせることを最優先するという和田さんの流儀なのでしょう。「ロールスロイスの最高の保管方法は毎日普通に使う事」とは言いますが、ここまでヴィンテージロールスロイスをカジュアルに使い倒す和田さんにはいつも頭が下がる思いです。
この日は、まだ6月に入ってすぐにもかかわらず、真夏のような暑さゆえに、筋金入りのヴィンテージカーが何十台と並ぶ光景には幻覚でも見ているのかと思うくらいでした。来年はどんなヴィンテージカーが集まるのか今から楽しみです。
[ライター・カメラ/鈴木修一郎]