イベント
更新2017.07.07
最高のロケーションと名車たち。第5回ノリタケの森クラシックカーフェスティバル
鈴木 修一郎
前回のトヨタ博物館クラシックカーフェスティバルのイベントのレポートに続いて、今回は第5回ノリタケの森クラシックカーフェスティバルのレポートをお届けします。
この時期、東海地区はクラシックカーイベントのイベントラッシュの時期で、週末になると毎週のようにクラシックカーイベントが開催されています。この日は他にも隣県の静岡県磐田市のヤマハ袋井テストコースではトヨタ2000GTの50周年記念イベントがあり、この翌週にはガルフノスタルジックカーフェスティバル名古屋(生憎、こちらは所用で行けませんでしたが)も開催されていました。
前週のトヨタ博物館クラシックカーフェスティバルに続いてこの日も雲一つない快晴。ノリタケの森(http://www.noritake.co.jp/mori/)はノリタケカンパニーのレンガ造りの旧工場跡地を利用した公園で、名古屋駅周辺のオフィス街のすぐ近くの立地でSEGES(シージェス)の「都市のオアシス2017」に認定される等、名実ともに都会のオアシスと呼ぶにふさわしいロケーションです。
▲会場に着くといきなり荘厳なクルマがお出迎え。例のダブルヘルカルギアマークのグリルでは無かったのでわからなかったのですが、1949年型シトロエン11BLトラクシオンアヴァンです
先日のトヨ博のレポートでも書きましたが、戦後すぐに相次いでボディとフェンダーが一体化したフラッシュサイドボディの新型へ移行したアメリカと違い、戦禍の爪痕の残るヨーロッパでは戦後もしばらくはフェンダーが独立した戦前型の車両を継続生産していました。とはいえ、トラクシオンアヴァンは1930年代のクルマながら既にモノコックボディにダブルウィッシュボーンサスペンションを採用、駆動方式はそのままシトロエンの前輪駆動車の名称同然となってしまった「トラクシオンアヴァン」(前輪駆動方式)、外観こそ旧態依然としていても機構的には、現在のクルマにも通じる高度なものであり、それゆえに23年(1934~1957年)に及ぶロングライフが可能だったのかもしれません。
▲1969年フェラーリ365GT2+2
筆者はスーパーカーブーム以降に育った世代なので、フェラーリといえば真っ赤なクサビ型ボディリにトラクタブルライトのミッドシップスポーツカーのイメージが強いのですが、こうしてみるとこの時代エレガントなフェラーリも悪くない物です。
ワイヤースポークにセンタースピナーロックのホイールが何とも優雅ですが、この丸いテールランプと左右2本出しのデュアルマフラーは紛れもなくフェラーリです。余談ですが昔、筆者の母がフェラーリ328の丸いテールランプを見て「あんなスカイラインあったっけ?」といい放った事があります。(苦笑)
▲1959年型ジャガーXK150S
1950年代末期になっても依然、戦前型の独立型フェンダーのデザインを頑なに踏襲しているあたりにイギリスらしさを感じます。
その、古典的スタイルとは裏腹にJAGUARの刻印入りのセンターロックスピナーのワイヤースポークホイールの向こうには当時最新のメカニズムであっただろう4輪ディスクブレーキが覗かせています。
エンジンは3.4Lの250馬力当時としてはこの風貌からは想像もつかない俊足マシンだったのではないでしょうか?スカイラインGTを最初に「羊の皮を被った狼」と評した三本和彦氏によると、このいい回しはイギリスで使われていたとのことですが、確かにこのクルマをみるとそれも納得ができます。
▲1964年ジャガーEタイプロードスター
往年のジャガーといえばこれを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?筆者自身、子供の頃読んだ自動車図鑑の各自動車メーカーの来歴の紹介ページのジャガーカーズの創業者サー・ウィリアム・ライオンズがEタイプの横に立っている写真が印象的で、昔のジャガーといえばEタイプというイメージがずっと残っていました。
本当にため息が出る美しさです。実は筆者自身、真っ赤なEタイプにはちょっとした思い入れがあります。筆者が社会人になりたての頃、まだ仕事に慣れるのにも苦労していた中、夕暮れ時、客先から会社へ営業車を走らせていたとき、真っ赤なEタイプクーペが追い抜いて行って、夕日の中に照らし出された真っ赤なEタイプクーペの美しさに深く感銘した事があります。あの時ジャガーの事をあえて英語風の発音で「ジャグァ」とか「ジャギュア」と呼びたくなる人たちの気持ちがよくわかりました。
▲年式を確認するのを失念してしまいましたがモーガン4/4
現在もなお、戦前型のこのデザインのまま当時と全く同じ手作業による製造工程で生産が続けられ「イギリス自動車産業の奇跡」ともいわれるクルマです。但し、新車で買えるといっても基本構造は1936年から変わっていないので、やっぱり「クラシックカーに乗るのと同じ覚悟」がいるようです。
▲1986年型パンサーJ72
アラフォー以上の輸入車好きの方ならパンサーと聞いてピンと来る方も多いのではないでしょうか?1980年代までは「ちょっと変わったガイシャ」として結構知られた存在だったと思います。筆者が読んでいた自動車関連の児童書にもクラシックスタイルのクルマを作る自動車メーカーとしてパンサーはモーガンやケイターハム、エクスカリバーと並んでよく紹介されていた記憶があります。
昔はSSジャガーのクラシックカーをモチーフにしたレトロデザインの新車(意地悪ないい方をすれば模造品)だったはずのパンサーも30年もたつとレトロデザインの新車にも相応の歴史ができていつしか本物のクラシックカーになると思うとなんとも不思議なおもむきがあります。
▲こちらも年式がわからなかったのですが1950年代後半と思われるディムラーのフーパーボディ架装車
自動車メーカーが作ったベアシャシーに顧客が注文した仕様のボディを外注のコーチビルダーが架装するという手法で高級車が作られていた古き良き時代の最後のクルマです。
ディムラーは後にジャガーに吸収され、ジャガーとはバッジエンジニアリングの姉妹車になってしまいますが、かつては英国王室に御料車を納入したり、日本でも大正天皇即位時に日本初の御料車として採用されるなど格式の高いブランドです。
とにかくこのノリタケの森のイベントは何を撮っても良い絵が撮れる最高のロケーションです。ここまでロケーションの良いクラシックカーイベントもそうそうないのではないでしょうか?
▲1967年型アルファロメオジュリアTIスーパー
流麗なクーペの多いジュリアシリーズの中で、実用セダンの野暮ったい外見から「醜いジュリア」と評されることもあるようですが、こうしてみるとなかなか味わい深い物があります。ジュリアTIスーパーというと、その昔日本石油(現ENEOS)のハイオクガソリン「日石レーサー100」のCMに登場したのをご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
実は私事ながら、このTIスーパーのオーナーの是枝正美さんは、筆者が学生時代聴いていたラジオ番組の収録スタジオのオーナーでディレクターもされていた方で、是枝さんが関わった番組の中には筆者が常連投稿者だった番組もあり、公開録音等のイベントで何度かお会いしたことがあり、ありがたい事に筆者の事を今でも覚えていていただけていました。
現在は東京都国立市で「SAKABAR CAR Fe 66」(http://acj1908.web.fc2.com/sakabar/carfe66.html)というダイニングバーを経営する傍ら、オートモビルクラブジャパン(このクラブ設立には日本の自動車史上における重要な史実があり、いずれ詳細な取材をしたいと思います)というクラブを運営しクラシックカーイベントで精力的に活動しています。
▲1955年型シボレーベルエアと1965年型フォードマスタングコンバーチブル
何処でクルマを撮っても絵になるのがこのイベントです。
真っ赤なレザーの内装がいかにもオールディーズアメリカン。オートマチックトランスミション、センターコンソールにはエアコンも付いてます。これでも当時マスタングはアメリカでは若者向けのエントリーカーだったというあたり、既に当時アメリカが富める国だった事がうかがい知れます。
▲赤煉瓦の前に1950年代のシボレー、この光景はアメリカンというより古いアメリカ車が今なお路上を闊歩しているキューバの一角を思わせるものがあります
ノリタケの森クラシックカーフェスティバルは主催が輸入車専門店のため参加車両は輸入車メインとなり国産車は少な目ですが、やはりトヨタ2000GT50周年とあってトヨタ2000GTとトヨタ1600GTがゲスト枠で展示されていました。
▲なんと特別ゲストは生けるレジェンド、元トヨタワークスドライバーの細谷四方洋氏!
去年につづき今年も優勝こそ逃したもののル・マンでの健闘が話題になりましたが、第一回鈴鹿500kmレースでのトヨタスポーツ800の無給油、タイヤ無交換のノンストップ走破や、トヨタ2000GTの78時間スピードトライアル、第一回富士24時間レースの優勝等、トヨタの耐久レースの礎を築いたドライバーといっても過言ではないかもしれません。
お話を少し伺ったところ、野崎 喩氏によるトヨタ2000GTのデザインは風洞実験もコンピュータによる解析も無いにもかかわらず空気の巻き込みの無い優れた空力デザインだそうで、スポイラー等の空力パーツが必要ないくらいの安定した空力性能を発揮し、78時間スピードトライアル二日目の台風による強風と豪雨によるウェット路面でも時速200km/h以上での巡行が可能だったとのことですが、更に話を聞いてみると、なんと200km/h以上の領域で失速させず、かつハイドロプレーニングをおこさないギリギリの車速を保つというスロットルワークだけでスタビリティをコントロールするという神業のようなドライビングであの記録を打ち立てたとの事です。
ちなみに細谷氏の隣に立っているのは、このイベントの主催の小田さんの経営する輸入車専門店マティス名古屋のある大曽根のゆるキャラの「おおぞねこ」筆者自身、自分が住んでる区内にこんなゆるキャラがいたというのはつゆほども知りませんでした……
▲今回は筆者の好きなスバル360のエントリーが無かったのですが、360cc軽自動車では後期型マツダキャロル360がエントリーしていました
性能やコスト的に不利になるのを承知で直列4気筒水冷OHV(振動、騒音対策とヒーターを効かすために水冷式を選択したそうです)エンジンを搭載するなど、マツダがプレミアムブランド志向になる片鱗はこの頃からあったのかもしれません。
▲1960年代のトヨタのスポーツカーといえばヨタハチの愛称で知られるトヨタスポーツ800も忘れてはいけません
実はヨタハチの設計者、長谷川龍雄氏は立川飛行機の航空機エンジニアで、トヨタ車の設計において軽量化や低重心化、空力性能の概念をもたらしたといいます。ヨタハチは580kgの軽量ボディに、cd値0.35という現在においても優れた空力性能を持ち、走行性能だけでなくガソリン1L当たり20km以上走行可能という現代のエコカーに迫る燃費性能で、新型「86」の開発に置いても「新型スポーツカーのヒントになるクルマが自社の過去のクルマ(ヨタハチ)にあった」と多田哲哉チーフが発言したほどです。(ハチロクにスバルの水平対向エンジンを使って低重心化を図るというアイディアにはヨタハチが2U型という水平対向2気筒エンジンを搭載していたことが少なからず影響しているようです)
▲「羊の皮を被った狼」S54B型スカイライン2000GT-Bとそれを見入る父娘
第1回日本GPで惨敗を喫したプリンスがどんな事をしてでも勝てという至上命令の下サーキットに送り込まれ、勝利は逃した物のポルシェに一矢報いた伝説のスカGは彼女の目にどう映ったのでしょうか?
スカイラインの他ベレットや初代シルビアも見入っていました。父親と同じかそれ以上にべレットやシルビア、フェアレディSRを熱心に見入る彼女は将来有望かもしれません。10年後にはAT限定男子を横目にキャブレターの吸気音を轟かせながら、ダブルクラッチを決めて颯爽とヴィンテージスポーツカーを駆る姿を期待してしまいました。
まだまだお伝えしたいことがありますので、後編に続きます。
[ライター・カメラ/鈴木修一郎]
この時期、東海地区はクラシックカーイベントのイベントラッシュの時期で、週末になると毎週のようにクラシックカーイベントが開催されています。この日は他にも隣県の静岡県磐田市のヤマハ袋井テストコースではトヨタ2000GTの50周年記念イベントがあり、この翌週にはガルフノスタルジックカーフェスティバル名古屋(生憎、こちらは所用で行けませんでしたが)も開催されていました。
前週のトヨタ博物館クラシックカーフェスティバルに続いてこの日も雲一つない快晴。ノリタケの森(http://www.noritake.co.jp/mori/)はノリタケカンパニーのレンガ造りの旧工場跡地を利用した公園で、名古屋駅周辺のオフィス街のすぐ近くの立地でSEGES(シージェス)の「都市のオアシス2017」に認定される等、名実ともに都会のオアシスと呼ぶにふさわしいロケーションです。
▲会場に着くといきなり荘厳なクルマがお出迎え。例のダブルヘルカルギアマークのグリルでは無かったのでわからなかったのですが、1949年型シトロエン11BLトラクシオンアヴァンです
先日のトヨ博のレポートでも書きましたが、戦後すぐに相次いでボディとフェンダーが一体化したフラッシュサイドボディの新型へ移行したアメリカと違い、戦禍の爪痕の残るヨーロッパでは戦後もしばらくはフェンダーが独立した戦前型の車両を継続生産していました。とはいえ、トラクシオンアヴァンは1930年代のクルマながら既にモノコックボディにダブルウィッシュボーンサスペンションを採用、駆動方式はそのままシトロエンの前輪駆動車の名称同然となってしまった「トラクシオンアヴァン」(前輪駆動方式)、外観こそ旧態依然としていても機構的には、現在のクルマにも通じる高度なものであり、それゆえに23年(1934~1957年)に及ぶロングライフが可能だったのかもしれません。
▲1969年フェラーリ365GT2+2
筆者はスーパーカーブーム以降に育った世代なので、フェラーリといえば真っ赤なクサビ型ボディリにトラクタブルライトのミッドシップスポーツカーのイメージが強いのですが、こうしてみるとこの時代エレガントなフェラーリも悪くない物です。
ワイヤースポークにセンタースピナーロックのホイールが何とも優雅ですが、この丸いテールランプと左右2本出しのデュアルマフラーは紛れもなくフェラーリです。余談ですが昔、筆者の母がフェラーリ328の丸いテールランプを見て「あんなスカイラインあったっけ?」といい放った事があります。(苦笑)
▲1959年型ジャガーXK150S
1950年代末期になっても依然、戦前型の独立型フェンダーのデザインを頑なに踏襲しているあたりにイギリスらしさを感じます。
その、古典的スタイルとは裏腹にJAGUARの刻印入りのセンターロックスピナーのワイヤースポークホイールの向こうには当時最新のメカニズムであっただろう4輪ディスクブレーキが覗かせています。
エンジンは3.4Lの250馬力当時としてはこの風貌からは想像もつかない俊足マシンだったのではないでしょうか?スカイラインGTを最初に「羊の皮を被った狼」と評した三本和彦氏によると、このいい回しはイギリスで使われていたとのことですが、確かにこのクルマをみるとそれも納得ができます。
▲1964年ジャガーEタイプロードスター
往年のジャガーといえばこれを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?筆者自身、子供の頃読んだ自動車図鑑の各自動車メーカーの来歴の紹介ページのジャガーカーズの創業者サー・ウィリアム・ライオンズがEタイプの横に立っている写真が印象的で、昔のジャガーといえばEタイプというイメージがずっと残っていました。
本当にため息が出る美しさです。実は筆者自身、真っ赤なEタイプにはちょっとした思い入れがあります。筆者が社会人になりたての頃、まだ仕事に慣れるのにも苦労していた中、夕暮れ時、客先から会社へ営業車を走らせていたとき、真っ赤なEタイプクーペが追い抜いて行って、夕日の中に照らし出された真っ赤なEタイプクーペの美しさに深く感銘した事があります。あの時ジャガーの事をあえて英語風の発音で「ジャグァ」とか「ジャギュア」と呼びたくなる人たちの気持ちがよくわかりました。
▲年式を確認するのを失念してしまいましたがモーガン4/4
現在もなお、戦前型のこのデザインのまま当時と全く同じ手作業による製造工程で生産が続けられ「イギリス自動車産業の奇跡」ともいわれるクルマです。但し、新車で買えるといっても基本構造は1936年から変わっていないので、やっぱり「クラシックカーに乗るのと同じ覚悟」がいるようです。
▲1986年型パンサーJ72
アラフォー以上の輸入車好きの方ならパンサーと聞いてピンと来る方も多いのではないでしょうか?1980年代までは「ちょっと変わったガイシャ」として結構知られた存在だったと思います。筆者が読んでいた自動車関連の児童書にもクラシックスタイルのクルマを作る自動車メーカーとしてパンサーはモーガンやケイターハム、エクスカリバーと並んでよく紹介されていた記憶があります。
昔はSSジャガーのクラシックカーをモチーフにしたレトロデザインの新車(意地悪ないい方をすれば模造品)だったはずのパンサーも30年もたつとレトロデザインの新車にも相応の歴史ができていつしか本物のクラシックカーになると思うとなんとも不思議なおもむきがあります。
▲こちらも年式がわからなかったのですが1950年代後半と思われるディムラーのフーパーボディ架装車
自動車メーカーが作ったベアシャシーに顧客が注文した仕様のボディを外注のコーチビルダーが架装するという手法で高級車が作られていた古き良き時代の最後のクルマです。
ディムラーは後にジャガーに吸収され、ジャガーとはバッジエンジニアリングの姉妹車になってしまいますが、かつては英国王室に御料車を納入したり、日本でも大正天皇即位時に日本初の御料車として採用されるなど格式の高いブランドです。
とにかくこのノリタケの森のイベントは何を撮っても良い絵が撮れる最高のロケーションです。ここまでロケーションの良いクラシックカーイベントもそうそうないのではないでしょうか?
▲1967年型アルファロメオジュリアTIスーパー
流麗なクーペの多いジュリアシリーズの中で、実用セダンの野暮ったい外見から「醜いジュリア」と評されることもあるようですが、こうしてみるとなかなか味わい深い物があります。ジュリアTIスーパーというと、その昔日本石油(現ENEOS)のハイオクガソリン「日石レーサー100」のCMに登場したのをご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
実は私事ながら、このTIスーパーのオーナーの是枝正美さんは、筆者が学生時代聴いていたラジオ番組の収録スタジオのオーナーでディレクターもされていた方で、是枝さんが関わった番組の中には筆者が常連投稿者だった番組もあり、公開録音等のイベントで何度かお会いしたことがあり、ありがたい事に筆者の事を今でも覚えていていただけていました。
現在は東京都国立市で「SAKABAR CAR Fe 66」(http://acj1908.web.fc2.com/sakabar/carfe66.html)というダイニングバーを経営する傍ら、オートモビルクラブジャパン(このクラブ設立には日本の自動車史上における重要な史実があり、いずれ詳細な取材をしたいと思います)というクラブを運営しクラシックカーイベントで精力的に活動しています。
▲1955年型シボレーベルエアと1965年型フォードマスタングコンバーチブル
何処でクルマを撮っても絵になるのがこのイベントです。
真っ赤なレザーの内装がいかにもオールディーズアメリカン。オートマチックトランスミション、センターコンソールにはエアコンも付いてます。これでも当時マスタングはアメリカでは若者向けのエントリーカーだったというあたり、既に当時アメリカが富める国だった事がうかがい知れます。
▲赤煉瓦の前に1950年代のシボレー、この光景はアメリカンというより古いアメリカ車が今なお路上を闊歩しているキューバの一角を思わせるものがあります
ノリタケの森クラシックカーフェスティバルは主催が輸入車専門店のため参加車両は輸入車メインとなり国産車は少な目ですが、やはりトヨタ2000GT50周年とあってトヨタ2000GTとトヨタ1600GTがゲスト枠で展示されていました。
▲なんと特別ゲストは生けるレジェンド、元トヨタワークスドライバーの細谷四方洋氏!
去年につづき今年も優勝こそ逃したもののル・マンでの健闘が話題になりましたが、第一回鈴鹿500kmレースでのトヨタスポーツ800の無給油、タイヤ無交換のノンストップ走破や、トヨタ2000GTの78時間スピードトライアル、第一回富士24時間レースの優勝等、トヨタの耐久レースの礎を築いたドライバーといっても過言ではないかもしれません。
お話を少し伺ったところ、野崎 喩氏によるトヨタ2000GTのデザインは風洞実験もコンピュータによる解析も無いにもかかわらず空気の巻き込みの無い優れた空力デザインだそうで、スポイラー等の空力パーツが必要ないくらいの安定した空力性能を発揮し、78時間スピードトライアル二日目の台風による強風と豪雨によるウェット路面でも時速200km/h以上での巡行が可能だったとのことですが、更に話を聞いてみると、なんと200km/h以上の領域で失速させず、かつハイドロプレーニングをおこさないギリギリの車速を保つというスロットルワークだけでスタビリティをコントロールするという神業のようなドライビングであの記録を打ち立てたとの事です。
ちなみに細谷氏の隣に立っているのは、このイベントの主催の小田さんの経営する輸入車専門店マティス名古屋のある大曽根のゆるキャラの「おおぞねこ」筆者自身、自分が住んでる区内にこんなゆるキャラがいたというのはつゆほども知りませんでした……
▲今回は筆者の好きなスバル360のエントリーが無かったのですが、360cc軽自動車では後期型マツダキャロル360がエントリーしていました
性能やコスト的に不利になるのを承知で直列4気筒水冷OHV(振動、騒音対策とヒーターを効かすために水冷式を選択したそうです)エンジンを搭載するなど、マツダがプレミアムブランド志向になる片鱗はこの頃からあったのかもしれません。
▲1960年代のトヨタのスポーツカーといえばヨタハチの愛称で知られるトヨタスポーツ800も忘れてはいけません
実はヨタハチの設計者、長谷川龍雄氏は立川飛行機の航空機エンジニアで、トヨタ車の設計において軽量化や低重心化、空力性能の概念をもたらしたといいます。ヨタハチは580kgの軽量ボディに、cd値0.35という現在においても優れた空力性能を持ち、走行性能だけでなくガソリン1L当たり20km以上走行可能という現代のエコカーに迫る燃費性能で、新型「86」の開発に置いても「新型スポーツカーのヒントになるクルマが自社の過去のクルマ(ヨタハチ)にあった」と多田哲哉チーフが発言したほどです。(ハチロクにスバルの水平対向エンジンを使って低重心化を図るというアイディアにはヨタハチが2U型という水平対向2気筒エンジンを搭載していたことが少なからず影響しているようです)
▲「羊の皮を被った狼」S54B型スカイライン2000GT-Bとそれを見入る父娘
第1回日本GPで惨敗を喫したプリンスがどんな事をしてでも勝てという至上命令の下サーキットに送り込まれ、勝利は逃した物のポルシェに一矢報いた伝説のスカGは彼女の目にどう映ったのでしょうか?
スカイラインの他ベレットや初代シルビアも見入っていました。父親と同じかそれ以上にべレットやシルビア、フェアレディSRを熱心に見入る彼女は将来有望かもしれません。10年後にはAT限定男子を横目にキャブレターの吸気音を轟かせながら、ダブルクラッチを決めて颯爽とヴィンテージスポーツカーを駆る姿を期待してしまいました。
まだまだお伝えしたいことがありますので、後編に続きます。
[ライター・カメラ/鈴木修一郎]