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更新2022.05.07

仕事・恋愛・ドライブ目的?人生が交錯する首都高メモリアル

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ryoshr

「首都高」というキーワードに触れたとき、人によってさまざまなイメージを思い浮かべるかもしれない。仕事やプライベート、走る目的や年代でも連想するものが異なるだろう。


■首都高の「そもそもの価値」とは?



縦横無尽に道路が張り巡らされている東京だが、クルマの数と道幅や設計の問題で機能不全となっていたと感じたことがあるかもしれない。よく使われる箇所を高速で結び、使う人が一定の料金を支払い、目的地に素早く到着できるということが首都高のそもそもの価値だったはずだ。


しかし、ご存知の通り、この首都高は渋滞のメッカとなってしまった。ある知人は、昭和の最後の頃、6号線の堤通から入って都心へ向かおうと首都高に乗ったそうだ。しかし渋滞でどうにもこうにもクルマが前に進まず、首都高でキャッチボールができたほどだ、と証言してくれた(時効)。


ひどい渋滞の理由はいろいろあると思うが、昭和末期から平成初期の頃、地方へ向かう高速道路との接続の整備が進んでいなかったことが要因のひとつだと思う。


近年では東名高速だけではなく、関越、東北などの高速道路へ首都高から一般道に降りることなく行けるようになった。首都高圏内を素早く移動したいクルマと、地方から地方へ行くクルマの中継をして首都高を使うクルマが一斉に箱崎・江戸橋あたりに集中した頃がもっとも渋滞が酷かったはずだ。


中継目的で首都高を使うクルマのために外環状線が整備されたことで、都心環状線に向かう渋滞は随分と緩和されたと感じている。


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■首都高は初心者にとって難所?



筆者が若葉マークの頃、父親のクルマを借りて首都高を使ったとき、どうにも車線変更や合流がうまくできずに悔しい想いをしたことがあった。


ガールフレンドを自宅まで送っていった帰り、クルマを返す時間に間に合わなくなるかもしれなかったこともあり、普段ならケチって使わない首都高を使おうを思ったときだ。国道246号線を横浜方面から都心へ向かい、三軒茶屋の入り口から首都高3号線上りに入ろうとしていた。


三軒茶屋の入口は、首都高では他に数箇所ある右側から合流する入り口だ。首都高は一般の高速と違い、追い越し車線という概念はないものの、東名高速から続いている首都高速3号線の右側車線はそこそこの速度でびゅんびゅん流れている。


筆者も左にウインカーを出し、タイミングを計るが、一向に合流できそうにない。ハンドルを握る手に力が入り、ミラーを見たり振り返ったりと典型的な合流できないタイプの運転になっていた。後続車も来ているのが見えていたので、停止するわけにもいかず、そのままの車線をしばらく走るしかなかった。


そうこうするうちにその車線は次の池尻出口で首都高を降りるための車線になり、若葉マークの習志野ナンバーは打つ手もなくそのまま池尻の出口で首都高を降りるしかなかった。


600円を支払い、首都高を経由して7号線までいくはずだったにも関わらず、わずか数百メートルで降りてしまったわけだ。貧乏学生にとって、この600円は高い授業料だったことはいうまでもない。


しかたなく国道246号線を走っていると、3号線の高樹町の入り口があった。「こうなったら破れかぶれだ」と、さらに600円を支払い、高樹町からの首都高リベンジを開始した。


高樹町の入り口は三軒茶屋とは違って左からの合流ではあるものの、加速車線が絶望的に短いのが特徴だ。


港区西麻布にあるこの入口は「素晴らしい加速のクルマしか入ってこない土地柄」が設計に反映されているのかと思うほどだ。


予想通りスムーズに合流などできるはずはなく、合流地点で止まってしまったものも、ちょうど通行が途切れるタイミングがあり、合流ができた。アクセルをベタ踏みする経験は多分これが最初だったはずだ。


なんとか合流はできたものの、心臓はバクバクでハンドルにしがみつくようにクルマを走らせ、しばらくすると谷町ジャンクションで中央環状線に同流し、霞が関トンネルへ続いていく。


若葉マークの筆者は高樹町で入ってからずーっと左側車線を走らせて来た。三軒茶屋で見た右側車線が怖かったこともある。霞が関トンネルの出口のあたりで4号新宿線への分岐がある。現在のこの箇所は2車線が環状線のまま右方向へ向かうので、首都高速4号線にはウインカーをつけて分岐していく形になっているが、同時は左側の車線は問答無用で分岐する車線だった。


環状線を江戸橋方向へ行こうと思ったら、あらかじめ右車線へ入っておく必要があったのだ。右車線が苦手な若葉マークはそのまま4号へと進むしかなかった。


「違う、これじゃ帰れない」ということはわかっていたので、次の出口ででようと思っていたのだが、次の外苑出口までの距離は本当に長く感じたことを覚えている。合計1,200円支払って三軒茶屋から外苑へ移動してからは、しばらく首都高から遠ざかってしまうのは無理からぬことだった。


■武勇伝は少なくない



今でも問題になっているルーレット族とは少し違う感覚だが、新しいクルマを手に入れて、その感覚に慣れるため、夜な夜な首都高へ走りに行ったという知人は少なくない。


それまでよりも性能のいいクルマを手に入れたものの、近所を走ってばかりではやっぱりつまらないものだ。


遠くにドライブへ行くというよりも、近場でそこそこの速度域でクルマを走らせることができ、適度にコーナーもある。さらにアップダウンもあるということから、首都高、しかも渋滞のない夜を選択することは自然なことだと思う。


しかし「適度なコーナー」は一般的なスピードで、しかも路面がドライな場合という条件があることを忘れてしまう友人も多い。例えば、首都高速5号線池袋線は、直角コーナーがいくつか続くコースだ。直角とはいえ、コーナーの緩さはまちまちなので、かなり減速が必要な箇所もいくるかある。


しかし、念願かなって憧れのクルマを手に入れ、その性能に酔いしれるとき、人は減速が甘くなることが多いようだ。


コーナーにノーズをいれようとステアリングを切ったとき、クルマが予想もしない挙動をしはじめた。我に返り、走馬灯のように脳内を流れる人生のページの中からコントロールを失いつつあるクルマの挙動を持ち直させる知識を見つけ出し、神業のコントロールで結果的にコーナーを無事に駆け抜けたという経験を持つ人は一人ではなかった。


そういう経験をした人が必ずその後で目にするのは「ルームミラーで見た自車の後方に広大な空間があり、後続車がまったく追随してこなくなる」という現象だ。


それは、素晴らしいコーナーワークと立ち上がりの加速で後続車を引き離したわけではなく、「あのクルマの近くを走っていたら事故に巻き込まれるかも」という恐怖から車間距離を取っているだけなのだ。


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■通行料金の値上げが止まらない



この4月から首都高の料金は値上げがあった。


値上げの詳細はここでは触れないが、値上げと同時に、いくつかの入り口料金所がETC専用となった。場所によっては現金では入れなくなったわけだ。


まあ、現金で乗った場合には最大料金を前払いすることになる。普通車の場合、いまや1950円だ。ただ、距離に比例する料金設定はメリットがないわけではなくて、例えば前述の三軒茶屋〜池尻間はETCなら300円、高樹町〜外苑は390円なので、貧乏学生の授業料としては安くなっているともいえる(笑)。


ETCが普及し、都心の首都高と横浜の首都高が一緒になった頃は長い距離を走ると、それ以前よりも安くなる使いかたもあったように記憶している。


しかし、今となってはETCを搭載していたとしても、肌感覚として高くなったと感じている。それによって使われる頻度を下げ、交通量を減らし、渋滞緩和を狙っているのでは?と勘ぐってしまうほどだ。


■「風景を買う」という感覚



目的地に早く到着するために首都高代を払う、いわゆる「時間を買う」という感覚が強かった。


・・・というか、それしか考えていなかった。渋滞していると、お金を返して欲しいと考えたことが何度もあった。しかし、とある友人が教えてくれたある言葉にハッとした。


「一般道を走っていると、見られることのない景色が首都高にはあるじゃないか。僕はあれを見るために首都高に乗っているといってもいいくらいだ」もう、目からウロコだった。


確かに、夜の東京タワーをキレイに見ようと思ったら首都高から見るのがおそらく一番だし、都会の夜景を感じようと思ったら、レインボーブリッジから見る東京の灯りは実に幻想的だ。それはベイブリッジから見る横浜の夜景も同じことだ。



運転者として路面や道路状況を見ているばかりではなく、同乗者として美しい夜景を見るために首都高にお金を払うことに抵抗がない、とのこと。


夜間、短い距離をタクシーで移動する場合でも首都高を使うことをお願いすることがあるという。


確かに、早く目的地に着くことだけが首都高の価値ではなく、クルマという個室空間で流れる夜景を助手席の人に見せられるという見方もある。その行為も料金に含まれていると考えると、それほど高いものでもないかもしれない、と思い始めた次第だ。「大人のたしなみ」としての首都高、といった感覚だろうか。


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■時代の流れとともに・・・



ものすごい渋滞、モウモウとあがる大型車の排気ガスといった首都高のイメージも随分とクリーンになってきた気もする。さらに、あおり運転の厳罰化などもあり、車線変更や合流についても随分寛容な運転マナーも定着してきたように思う。


もしかしたら、令和の若葉マークの人たちにとっての首都高は、昭和の若葉マークの人たちの感覚と随分と変わったのではないかと想像する。


景色を楽しむアトラクションの要素が強いのかもしれないし、それこそ目的地に早く到着できる「ファストパス」的に感じているのかもしれない。


筆者も若い頃とは随分と感じ方が変わってきて、合流も車線変更も以前よりはズムーズにできるようになったと思う。



それは、近隣を走るクルマというかドライバーとの意思疎通ができるようになったからではないかと想像している。


首都高に限ったことではないとは思うが、首都高には交差点も歩行者も自転車もいない分、実はドライバー同士の意思疎通を学ぶには最適な場所かもしれないとも思う。


今では右から合流する入り口でもちゃんと本線へ合流できるようになったことでそれが証明されたのではないかと。近頃、そんな気がしてならないのだ。


[画像/Adobe Stock ライター/ryoshr]

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