ドイツ現地レポ
更新2017.08.03
メルセデス・ベンツの光と影。不朽の名車300SLと、悲運のレーシングマシン300SLRに迫る
守屋 健
300SLのルーツはレーシングカー
▲300SLのクーペ・モデル。ガルウイングドアが目を引きます
第2次世界大戦後、メルセデス・ベンツのモータースポーツ部門は1951年から活動を再開しました。
1952年シーズンに間に合わせるために、セダンである300リムジン(W186)のエンジンや足回りを流用して新設計のチューブラーフレームに組み込み、応力を負担しない車体外皮は軽量なアルミニウムで仕上げました。「SL = Super Leicht(超軽量)」の名前の通り、車重をたった870kgに抑えた300SLプロトタイプ(W194)は、ワークスとして出場した1952年のル・マンで1-2フィニッシュを達成。ドイツ勢として初優勝を飾ります。同年のミッレ・ミリアでは2位と4位に入り、メキシコで開催されていた同じく公道レースのカレラ・パナメリカーナ・メヒコでは優勝するなど、各地のレースで大成功を収めました。
▲タイヤ上部のフィンも特徴的ですね
メルセデス・ベンツは300SLプロトタイプ(W194)を市販化する予定はなかったようですが、アメリカのディーラーからの説得により、2年後の1954年ニューヨーク・インターナショナル・オートショーで300SL(W198)として鮮烈にデビュー。低く流れるようなスタイリングは、見る者に衝撃を与えました。大変高価なモデルでしたが、公道を走れるレーシングカーとして人気を博し、クーぺ・モデルは1400台が生産されました。1957年にはロードスター・モデルが登場、1963年までに1858台を製造して生産終了となっています。
▲クロームが多用されたインテリアも美しいです。クーペ・タイプは小さな三角窓とルーフ後端のエア抜きしかなく、エアコンもないため、エンジンの熱が車内にこもって夏はかなり暑かったとか
300SLのスタイリングで最も目を引くのは、開放するとカモメが翼を広げたように見える「ガルウイングドア」でしょう。細い鋼管を溶接で繋げたチューブラーフレームで剛性を確保するためには、どうしてもドライバーの真横にもフレームを通すしかありません。しかしその構造にすると、通常のドアで言うところの敷居(サイドシル)が高くなりすぎて乗り降りしにくいため、苦肉の策として採用されたのが跳ね上げ式のドアでした。レーシングカーではそれで良かったのでしょうが、市販した際にやはり問題となったのか、前に折れる構造のステアリングを採用して、少しでも乗り降りが楽になるような工夫がされています。
▲クーペ・モデルの見るからに分厚いサイドシル。優雅に乗り込むのは難しかったでしょうね
▲300SLのチューブラーフレーム。細いパイプの溶接の手間を考えると、市販車には向かない構造なのは一目瞭然ですが、このフレームこそが300SLを特別にした一因でもあります
300SLプロトタイプ(W194)から豪華になった内外装に起因して、車重も増加。その車重増に対して行われたのが、エンジンのさらなるパワーアップです。300リムジン(W186)から流用した2996cc直列6気筒SOHCエンジンは115psでしたが、300SLプロトタイプ(W194)では、レース用にチューニングされ171psを発揮。市販型の300SL(W198)では、ボッシュ製の燃料直噴システムを世界で初めて採用し、215psまで出力を高め、最高速度を260km/hまで伸ばしました。300SLは文字通り、当時世界最速の市販車になったのです。
アメリカで大人気!300SLロードスター
▲300SLロードスター。ヘッドライトやバンパーの形状も細かく異なります
1957年から1963年まで生産された300SLロードスターでは、特徴的なチューブラーフレームが設計し直され、ドアの開閉も一般的な方法に改められました。敷居の高さは多少解消され、窓も開閉できるようになったことから、日常的な使い勝手はクーペ・モデルに比べ向上。1961年からは4輪ともディスクブレーキが採用されました。ロードスター・モデルは特にアメリカで好評だったようです。
▲優美なリアビュー。イタリアンデザインとも趣の異なる、ドイツのクラシックなデザインの傑作だと思います。こういった曲線を感じさせてくれるモデルが、現行のクルマにもっと増えてほしいですね
世界中の有名人がこぞって買い求めたことも、300SLの名声をより高めました。レーシングドライバーのスターリング・モス、ヨルダンのフセイン国王、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン、コメディアンのトニー・ハンコック、女優のソフィア・ローレン、プロレスラーの力道山、俳優の石原裕次郎と、枚挙にいとまがありません。
300SLと300SLR、似ているのは名前だけ?
▲以前カレントライフでもご紹介したトランスポーターの上に載る300SLR。ボディはより軽量なマグネシウム合金で作られています
さて、その名前やスタイリングから300SLのエボリューションモデルと思われがちな300SLRですが、関連性は全くありません。メルセデス・ベンツが1951年にモータースポーツ部門が活動を再開し、300SLプロトタイプ(W194)を開発していた同時期に、1954年から導入される2.5リッターエンジン規定のF1マシンの開発もスタート。さらにそのF1と基本コンポーネントを同じくするプロトタイプ・スポーツカーの開発も始まりました。F1マシンはW196R、スポーツカーはW196Sの社内コードが付けられ、W196Rは「メルセデス・ベンツW196」として、W196Sが「メルセデス・ベンツ300SLR」の名前で知られるようになります。
つまり300SLR(W196S)は、300SLプロトタイプ(W194)や市販型の300SL(W198)を元にしているのではなく、同時期のF1マシンW196(W196R)と兄弟車、ということがいえるでしょう。にも関わらず、300SLRという名前を付けられたのは、市販型300SLの宣伝や広報のため、と言われています。
▲リアに乗った板のようなものが、後述するエアブレーキです
エンジンを比べると、差異はよりはっきりしてきます。300SLの2996cc直列6気筒SOHCに対して、300SLRは2979cc直列8気筒DOHC。ボッシュ製燃料直噴システムを採用し、最高出力は300ps以上を達成。300SLRは当初クーペ・モデルで計画していたものの、ドライバーから車内の暑さ、視界の悪さ、騒音の大きさを指摘され、結局レースに使用されたのはオープン・モデルのみでした。生産台数はわずか9台で、クーペ・モデルはそのうち2台が製造されています。
強力なエンジンを手に入れて、他を圧倒する高性能車となった300SLRにも、弱点がありました。それはブレーキです。300SLRは4輪ドラムブレーキで、当時のライバル・ジャガーDタイプの4輪ディスクブレーキと比べると、ル・マンのような高速サーキットでの制動力や耐久性に大きな差がありました。そこで苦肉の策として取り入れられたのが、エアブレーキです。ドライバーがマニュアルで操作して、コクピット後ろにあるフラップを立ち上げ、空気抵抗で制動力を少しでも稼ぐというもので、もちろん当時世界初の技術でした。後年、マクラーレンF1をはじめとする多くのスポーツカーにエアブレーキやアクティブエアロダイナミクスが採用されていますが、そのご先祖と言えるでしょう。
▲当時のレーシングカーらしい、簡素でスパルタンなコクピット
F1マシンW196の開発に忙殺されていたため、300SLRのデビューは結局、1955年にずれ込みます。デビュー戦のミッレ・ミリアでは1-2フィニッシュで圧勝。優勝を飾ったスターリング・モスとデニス・ジェンキンソンのコンビは平均速度157.7km/hという驚異的な記録を残し、1957年に大会が終了するまで破られることはありませんでした。300SLRのエンジン音があまりにうるさく、当時はまだインカム・システムもなかったため、コ・ドライバーは手のサインでナビゲートした、という逸話が残っています。
そして、運命の1955年のル・マン。ピエール・ルヴェーの運転する300SLRが周回遅れの車両に追突、マシンは宙を舞いスタンド側壁に落下して爆発。引きちぎれたエンジンなどが次々とグランドスタンドに飛び込み、観客をなぎ倒し、運転していたピエール・ルヴェーを含む80人以上が死亡するモータースポーツ史上最悪の大惨事が起こります。レースは続行されたものの、メルセデス・ベンツはル・マンを棄権。その後のツーリスト・トロフィーやタルガ・フローリオでも300SLRは優勝し、1955年は出場した6レース中5レースで優勝するという圧倒的な成績を残しますが、本社はレース活動からの全面撤退を発表。稀代のレーシングマシンは、たった1年で活躍の場所を失ってしまうのです。
▲300SLRのクーペ・モデル。2台しか製造されていません。クーペ・モデルはレースには出場せず、レース活動撤退後は設計者のルドルフ・ウーレンハウトが公道で走らせたことから、「ウーレンハウト・クーペ」の名前で知られています
F1マシン、レーシングスポーツカー、市販スポーツカーの距離が近かった時代
F1マシンW196と300SLR、300SLプロトタイプと市販型の300SL。こういったクルマを見ていくと、F1やレーシングスポーツカーのメカニズムや構造が、今よりもずっと市販車に近かったのがわかります。市販型の300SLに採用されたチューブラーフレームは、まさにレーシングカーそのものの構造ですよね。現代のF1やプロトタイプカー、市販車を見比べても、共通点を見つけることはなかなか難しいですが、この先、レーシングカーさながらの市販スポーツカーが生まれることはあるのでしょうか?
ドイツでは、2030年までに内燃エンジンを搭載した新車の販売禁止を求める決議が可決された結果、今後は電気自動車への移行が加速すると見られており、その流れはモータースポーツにも波及しています。先日、メルセデス・ベンツはDTMから撤退し、フォーミュラEへの参戦を表明。またポルシェもWECから撤退し、同じくフォーミュラEへの参戦を決めました。すでに参戦しているBMW、アウディを含めると、ドイツのメーカーは4つ揃うことになります。 フォーミュラEでの開発が、今後の市販電気自動車に生かされることを考えると、もう一度、トップカテゴリーのレーシングカーと市販車の距離が縮まる時代が訪れるかもしれません。そこに内燃機関が存在しないことに、筆者はどうしても、少し寂しい気持ちを拭い去ることができないのですが…。
[ライター・カメラ/守屋健]