
試乗レポート
更新2023.11.22
マセラティ430試乗レポート。このクルマにしかないオーラに惹かれる
中込 健太郎
「マセラティ430に乗ることにした。」

まさか私がこの車に乗ることになるとは思いませんでした。それが率直な今の所感です。このほどマセラティに乗ることになりました。今まで乗ってきたシトロエンBXに乗りたいという知人がおりまして、彼にそれを譲り、1993年式といいますから、FIAT傘下に入る直前に作られたマセラティ430が私のもとにやってくることになりました。
今年はマセラティがイタリアボローニャの地に工房を構えて100周年の年。いろんなところで様々なイベントが開かれています。しかしそんな中でもこの430も含め、所謂ビトゥルボ系と言われるこの頃のマセラティが取り上げられることはありません。しかし、この時期のマセラティがあったからこそ、今年100年という節目を迎えられたことはほぼ間違いない事実でもあるわけで、おそらく2015年になってしまったらこの車を買う意味はないのではないか、そんな気がしていました。

私がこのクルマと最初に出会ったのはまだ桜が咲きかけた頃だったと思います。よくある黒のボディとベージュの内装の組み合わせではなく、シックなグレーの外装にブルーの内装の組み合わせで、初めて見た時の軽いショックは今も鮮明に覚えております。そして運転席に座った時、強烈に感じた「ある種の殺気」は今でも忘れることができません。
このマセラティ430はおそらく、今まで私が所有した輸入車、メルセデスやシトロエンとは全く異質な車です。工業製品としての完成度もそうですが、そもそもマセラティというメーカー自体、「不要不急のクルマ」を作っているというと語弊があるかもしれませんが、社員のご飯を食べるための自動車製造ではなく、毎日働きに出る必要のない、貴族階級の人のためのクルマという点で大きな成り立ちの違いがあるように思うのです。そしてこういうクルマ、今はなかなか作られないと思います。そういう意味では文化遺産的な意味合いもあるクルマ。きっと今乗らなければ今後乗ることはないクルマでしょう。
こんなクルマを、大切に仕上げた方がいらして、その方が、私が乗るなら、ということで破格の条件で譲ってくださるということで今回の話がまとまった次第なのです。



知識レベルでは、悪名高い車です。「夏は乗れないと思ったほうが良い」「工場にいる時間のほうが車庫にいる時間より長い」・・・まあおよそ、手を出すのは酔狂以外の何ものでもない。他人は、半分面白がっていろいろ言いますが、乗ったことのある人の意見では「何もないわけではないが、世の中で言われているほどひどいこともない。」というのが、またかなりの意見の優勢となっているのです。それをまた、前のオーナーの方の「求道精神的」リフレッシュの恩恵を受けて私が乗れるというのは喜び以外の何ものでもないでしょう。信頼性を言い出しても切りはないし、上でも申し上げたとおり。きっと何かは起こるでしょうから、「無意味」なのだと思いますが、もしかすると新車の時よりも信頼性は向上しているのかもしれません。
私にないものをたくさん持っていそうなクルマ。初めてのイタリア車、「記念の年のマセラティ」から試してみることにしようと思います。

納車後のファーストインプレッション。
実はここで初めてお披露目するのですが、何人かに相談したところ、「ろくなことはない」「苦労するよ」などひどい言われようです。しかし、確かに信頼性は低いでしょうし、何もないことはないかもしれません。しかし、事前に試乗してみて、このクルマ以外で感じたことのない「オーラ」こそに「惹かれている」のであって、そういった「外野の老婆心」はすでに的外れな進言であると言わねばなりません。不安も含めて、傍らに置こうというのですから。その看過できない魅力に触れたいと思ったのですから。
その上で、実際所有したことのあるひとに言わせると「そうひどいことは起こらない」というものでした。「案ずるより産むが易し」とはよく言ったもので、このクルマの「怪しさ」も「妖しさ」も乗ってみないことには始まらないし、今回を逸したら、おそらくこれほどの個体もなく、私ももっと分別のある選択をしてしまうことでしょう。今しかない。そういう一台との出会いだったと言えるのです。ぞんざいに「ながら操作」をしないようにし、一つ一つの操作に呼吸を挟みながら行うと、止まって困ったということはそんなにないというのが、諸先輩経験者の談でした。前オーナーの寵愛を受けた個体、新車時にはなかった国産パーツもふんだんに盛り込まれているので、これでダメならこのクルマのどれに乗ってもダメ、ということになるでしょう。


そして先週納車となり、早速ストップランプがつかないという警告灯が付き始めました。実際ついたりつかなかったり。ただ、これはカプラーの接触不良だったらしく、トランクの内張りの配線を手で強く抑えたら解消されました。「ああ、こういう感じね。」というのが少しずつわかってきたような気がします。そのほかはすこぶる元気に走っております。エアコンも寒い時があるほどでした。まあ、当たり前と言えなくもないですが(笑)。
むしろ、何やらキワどい雰囲気、怪しい雰囲気とは裏腹に、2000回転以下で十分な性能を発揮するパフォーマンス、コンパクトなボディ、追い越しをかけるとなれば、お得意のターボでバイク並みの加速で交わします。「完調なビトゥルボは望外まっとうなクルマ?」そんな印象すら持っているのです。油断は禁物ですし、今後のことは何もわからないのですが。


「求む彼女!」
一点だけ感じが悪いことがあるのです。それは「助手席に乗る人がいないのか?」とクルマが言ってくることです。三点式シートベルトながら、二分割されていて、初めて乗った人は多分私が締めてあげねばならないでしょう。それ自体が妙に密着指向で日本人の感覚からするといかがなものかと思うのですが、ひとりで乗っていると「助手席のシートベルトが締まっていません」と警告灯が点きっぱなしになるのです。誰も乗ってないのに警告灯が点きっぱなし。助手席の重量を感知してということではない模様。まるで「今日もお一人でドライブですか?」と言われているようで非常にアレだと思うのです。仕方がないので、改めて彼女でも募集しようか、そんな気にすらなるというもの。
「ははあ、マセラティの流儀が少しわかってきたぞ。」
今、こんな感じなのです。
[ライター・カメラ/中込健太郎]

まさか私がこの車に乗ることになるとは思いませんでした。それが率直な今の所感です。このほどマセラティに乗ることになりました。今まで乗ってきたシトロエンBXに乗りたいという知人がおりまして、彼にそれを譲り、1993年式といいますから、FIAT傘下に入る直前に作られたマセラティ430が私のもとにやってくることになりました。
今年はマセラティがイタリアボローニャの地に工房を構えて100周年の年。いろんなところで様々なイベントが開かれています。しかしそんな中でもこの430も含め、所謂ビトゥルボ系と言われるこの頃のマセラティが取り上げられることはありません。しかし、この時期のマセラティがあったからこそ、今年100年という節目を迎えられたことはほぼ間違いない事実でもあるわけで、おそらく2015年になってしまったらこの車を買う意味はないのではないか、そんな気がしていました。

私がこのクルマと最初に出会ったのはまだ桜が咲きかけた頃だったと思います。よくある黒のボディとベージュの内装の組み合わせではなく、シックなグレーの外装にブルーの内装の組み合わせで、初めて見た時の軽いショックは今も鮮明に覚えております。そして運転席に座った時、強烈に感じた「ある種の殺気」は今でも忘れることができません。
このマセラティ430はおそらく、今まで私が所有した輸入車、メルセデスやシトロエンとは全く異質な車です。工業製品としての完成度もそうですが、そもそもマセラティというメーカー自体、「不要不急のクルマ」を作っているというと語弊があるかもしれませんが、社員のご飯を食べるための自動車製造ではなく、毎日働きに出る必要のない、貴族階級の人のためのクルマという点で大きな成り立ちの違いがあるように思うのです。そしてこういうクルマ、今はなかなか作られないと思います。そういう意味では文化遺産的な意味合いもあるクルマ。きっと今乗らなければ今後乗ることはないクルマでしょう。
こんなクルマを、大切に仕上げた方がいらして、その方が、私が乗るなら、ということで破格の条件で譲ってくださるということで今回の話がまとまった次第なのです。



知識レベルでは、悪名高い車です。「夏は乗れないと思ったほうが良い」「工場にいる時間のほうが車庫にいる時間より長い」・・・まあおよそ、手を出すのは酔狂以外の何ものでもない。他人は、半分面白がっていろいろ言いますが、乗ったことのある人の意見では「何もないわけではないが、世の中で言われているほどひどいこともない。」というのが、またかなりの意見の優勢となっているのです。それをまた、前のオーナーの方の「求道精神的」リフレッシュの恩恵を受けて私が乗れるというのは喜び以外の何ものでもないでしょう。信頼性を言い出しても切りはないし、上でも申し上げたとおり。きっと何かは起こるでしょうから、「無意味」なのだと思いますが、もしかすると新車の時よりも信頼性は向上しているのかもしれません。
私にないものをたくさん持っていそうなクルマ。初めてのイタリア車、「記念の年のマセラティ」から試してみることにしようと思います。

納車後のファーストインプレッション。
実はここで初めてお披露目するのですが、何人かに相談したところ、「ろくなことはない」「苦労するよ」などひどい言われようです。しかし、確かに信頼性は低いでしょうし、何もないことはないかもしれません。しかし、事前に試乗してみて、このクルマ以外で感じたことのない「オーラ」こそに「惹かれている」のであって、そういった「外野の老婆心」はすでに的外れな進言であると言わねばなりません。不安も含めて、傍らに置こうというのですから。その看過できない魅力に触れたいと思ったのですから。
その上で、実際所有したことのあるひとに言わせると「そうひどいことは起こらない」というものでした。「案ずるより産むが易し」とはよく言ったもので、このクルマの「怪しさ」も「妖しさ」も乗ってみないことには始まらないし、今回を逸したら、おそらくこれほどの個体もなく、私ももっと分別のある選択をしてしまうことでしょう。今しかない。そういう一台との出会いだったと言えるのです。ぞんざいに「ながら操作」をしないようにし、一つ一つの操作に呼吸を挟みながら行うと、止まって困ったということはそんなにないというのが、諸先輩経験者の談でした。前オーナーの寵愛を受けた個体、新車時にはなかった国産パーツもふんだんに盛り込まれているので、これでダメならこのクルマのどれに乗ってもダメ、ということになるでしょう。


そして先週納車となり、早速ストップランプがつかないという警告灯が付き始めました。実際ついたりつかなかったり。ただ、これはカプラーの接触不良だったらしく、トランクの内張りの配線を手で強く抑えたら解消されました。「ああ、こういう感じね。」というのが少しずつわかってきたような気がします。そのほかはすこぶる元気に走っております。エアコンも寒い時があるほどでした。まあ、当たり前と言えなくもないですが(笑)。
むしろ、何やらキワどい雰囲気、怪しい雰囲気とは裏腹に、2000回転以下で十分な性能を発揮するパフォーマンス、コンパクトなボディ、追い越しをかけるとなれば、お得意のターボでバイク並みの加速で交わします。「完調なビトゥルボは望外まっとうなクルマ?」そんな印象すら持っているのです。油断は禁物ですし、今後のことは何もわからないのですが。


「求む彼女!」
一点だけ感じが悪いことがあるのです。それは「助手席に乗る人がいないのか?」とクルマが言ってくることです。三点式シートベルトながら、二分割されていて、初めて乗った人は多分私が締めてあげねばならないでしょう。それ自体が妙に密着指向で日本人の感覚からするといかがなものかと思うのですが、ひとりで乗っていると「助手席のシートベルトが締まっていません」と警告灯が点きっぱなしになるのです。誰も乗ってないのに警告灯が点きっぱなし。助手席の重量を感知してということではない模様。まるで「今日もお一人でドライブですか?」と言われているようで非常にアレだと思うのです。仕方がないので、改めて彼女でも募集しようか、そんな気にすらなるというもの。
「ははあ、マセラティの流儀が少しわかってきたぞ。」
今、こんな感じなのです。
[ライター・カメラ/中込健太郎]