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更新2018.11.29
「軽さは正義!」な、スーパーカーがやってきたYa!Ya!Ya!
ryoshr
まず「軽さは正義!」であることを再認識したきっかけについてだが、幸運が重なって意図せずスーパーカーが「やってきて」しまったからだ。まあ、スーパーカーといってもフェラーリやランボルギーニではなく、小さなスーパーカーではあるのだが…。
ロータスを何台か持っている知り合いの社長さんが、車庫の関係でしばらく1台預かっていて欲しいとの依頼があった。筆者の自宅は狭い私道の奥にある。そのため、私道を使って車庫証明を比較的簡単に取得できることもあり、この依頼を引き受けることにした。
そのスーパーカーとは『ロータス・エリーゼ111S』という限定車だ。日本での最初の登録は2001年となっている。
並み居るスーパーカーと比べると価格的にはだいぶ手頃だ。そういう意味では「スーパーカー」と呼ぶには多少認識の相違があるかもしれないが、普段、ちょっと旧い国産セダンに乗る身からすると十分スーパーカーだと思う。
軽さは正義だと痛感
ドライバーの後ろに搭載された、ローバー製の横置き4気筒エンジンはこじんまりとしていているように映る。排気量は1795cc、カタログ値の最高出力156馬力。可変バルブタイミング機構(VVC)を備え、低回転から高回転までまんべんなくモリモリとしたトルクがある。このエンジンは、車検証上の重量750kgのボディを走らせるには十分過ぎると感じた。運転していても、車両自体の重量をまったく感じられないと錯覚してしまうほどだ。街中をジェントルに走っていても、シフトチェンジが楽しく、思わずにやけてしまう。さらに、ワインディングへ連れ出してアクセルを踏み込んだとたん、後頭部から感じるエンジンの振動と、「腰を持っていかれるほどの」加速感に思わず奥歯を噛みしめるほどだ。ありとあらゆる場所や速度で走っていても楽しいことこの上ない。
オープンはやはり楽しい
このクルマをオープンにしようとすると、キャンバストップを手動で外す必要がある。屋根部分のテンションを維持している骨をたたみ、Cピラー(?)の金具をL型のレンチを使って緩め、くるっと巻いて外すことになる。外したトップはエンジンルームの後ろにある小さなトランクの中に収める。そして、骨をはずしサイドのフレームを外すことによってこの車はオープンになる。実は、この先さらにロールバーのカバーとリアのガラスを外すことでさらなるオープン化も可能ではあるのだが、ここまでやると当然、風の巻込みも激しくなるのと、エンジンの熱が後頭部に上がってきて、暑くてたまらない。快適さという面ではここまで開けなくてもいいかもしれない。
そしてオープンにして走り出すと、前述の軽さと開放感と相まって、自動車を運転しているというよりも、バイクに近い感覚に思えてくる。さらに、バイクに比べると着座位置がずいぶんと低いため、速度感はバイクより高く、風を直接受けないので、ゴーカートの高速版のような感覚だ。運転席の楽しさに対して助手席の拷問っぷりは文書にし辛いが、これは相当なものだと思う。運転手がゴーカートのように楽しんでいる間、助手席の人は無限にジェットコースターに乗せられているような感覚だ。「それなりの」速度でコーナーリングし、急加速・急減速を繰り返されるため、拷問が罰ゲーム以外、何ものでもない。ワインディングを楽しむ場合は、絶対に一人で行くべきクルマだと思う。
快適装備?なにそれ、おいしいの?
前述の通り、キャンバストップを外すのは手動だ。サイドガラスは自分でくるくるとレバーを回して開け閉めをしなければならない。そして、何より大変なのは乗り降りだ。低い着座位置をめがけて腰を収めるためにはせまいフットスペースに片足を突っ込み、腰を押し込んだあと、残った足をフットスペースへ引き入れる感じ。これは、ぶっといサイドボディがその原因だ。構造上必要なものなのだろうが、乗り降りには大変なハードルになっている。スカートでの乗り降りはまず不可能なので、同乗者には事前にアナウンスが必要だ。そういう意味でも、デートカーとして箱根あたりにこのエリーゼで出掛けることになってしまったら…。大人しくレンタカーかカーシェアリングで他のクルマを調達した方が、お互いにとって穏やかで楽しいひとときを共有できるだろう。
ドライバー側では、ステアリングが乗り降りのときに邪魔なことこの上ないので、このクルマはフォーミュラーカーのようにステアリングが簡単に外れる機能がついている。「純正クイックレリース レッドステアリングホイール」というそうだ。そして苦労して自分の体を車内に収めたあと、体を支えてくれるシートは、まるで鉄板に革と布を張っただけのようなシートだ。カタログでは「レッドアルカンタラ & ブラックレザーシート」とあるが、座ってみるとあまりありがたみがない(笑)。ボディの振動がダイレクトに腰と背中に感じられるのだ。乗り心地という概念は忘却の彼方へ。文字どおり「ダイレクト感100%」だ。しかし、助手席との距離は近い。とにかく近い。これをどう活用するかは、ドライバーの運転技術以外の技術だが、お互いの今後のこと(?)を考えると、やっぱり他のクルマで出掛けた方がいいかもしれない。助手席に座るのが大柄な男性ならなおのことだ。酸欠になるとまでは言わないが、息苦しいことこの上ない距離感なのだ。
足し算よりも引き算の潔さ
車重も排気量も最小にして軽く、トップもガラスも全部手動にすることによって、重量がかさむモーターを使わない、シートのクッションもほぼゼロ、という潔さによって構成されたエリーゼ。どんなクルマより低い位置に座り、屋根も外せるこのエリーゼを運転する愉しみを与えてくれた某社長には感謝の言葉しかない。よく晴れた日曜日の朝、しっかりと防寒をして、エンジンの暖機をしながらトップを外し、緩やかに走り出し、ミッションが温まったところで、エンジンにムチを入れてみる。
流れる景色と、風の音と、オイルの匂いを感じながら、クルマを「操縦」するなどという最高の贅沢に接するチャンスがこの人生の中で遭遇できるなんてことは想像すらしていなかった。そんな意外性もあって、もしかしたら、この某社長に騙されているのではないか、と勘ぐってしまうほどだ。
身近な友人が最近、HONDAのビートを手に入れたり、S660が納車になったりと、ライトウエイトスポーツを愉しむおっさんが増えてきているように感じる。偶然「棚からぼたもち」のように同じ境遇となった自分もオフ会などで仲間に入れてもらおうと思っている。
改めて「軽さは正義!」のススメ
単に素人のインプレッション記事をまとめたところで、読者の方には何のメリットもない(と思う)。筆者が伝えたかったのは、馬力や重量が増大する一方で、この記事を通じて「潔いクルマ」への魅力を再認識するきっかけになれば…という思いだ。
「車庫付きの家ではなく、家付き車庫」「屋根無し車、屋根あり車庫」みたいな男子の夢を置い続ける同年輩の仲間も多いかもしれないが、それが実現した先にさらにスーパーカーをその車庫に納めるようになることは、かなり現実感が薄くなってしまう。仮に年齢を重ねてから購入できたとしても、もはや高齢者が運転できる代物ではないように思う。大パワーのクルマの電子デバイスに頼り切りで運転することは、車にとっても自分にとっても、「ヨロコビ」と言えるかどうかは疑問だ。
それであれば、常識的なサイズ感、パワー、価格を持ちあわせたエリーゼのような「軽さは正義!」のクルマの方が、自他ともに認めるジジイになっても楽しめそうな気がしてくる。ただ、問題は乗り降りだろう。腰をひねってぎっくり腰になって、駐車場で独りで身動きが取れなくなるようなことは避けたい。開いたドアの下から室内へ引き入れ損ねた足を残して固まっているオッサンを救助してくれる人がいない場合は、iPhoneの電源ボタンを5回押すと発信されるエマージェンシーコールの設定をしておくことをオススメする。
いくつになっても「軽さは正義!」を、それほど無理せず、ぎっくり腰に怯えることなく味わえるクルマは意外とたくさんあるように思う。身近なところだと、マツダロードスターの中古車あたりだろうか…。
[ライター・撮影/ryoshr]