
更新2018.03.14
「のりもの」の魅力を感じられる…呉艦船めぐりをして思ったこと

伊達軍曹
目次 ▼
- こんな近くで現役の潜水艦が見られるのは呉だけ
- ミリ物好き=好戦的というわけではない
- だが「空母」には理性を失わせる何かがある
- 結局、平和にクルマを愛好するのがいちばんか?
大日本帝国と日本国における文化の継承ならびに断絶について説明必要の考察は某週刊誌に、呉市の見どころについては某男性ファッション誌に書く予定ゆえ、エンジンオイルの香りがよく似合うここCLでは「のりもの」を軸に、呉の旧軍港にて筆者が感じたモロモロを記しておきたい。
こんな近くで現役の潜水艦が見られるのは呉だけ

賢明なるCL読者諸兄には今さら説明不要だろうが、呉とは言うまでもなく「海軍の町」である。
1890年(明治23年)に大日本帝国(当時)の第二海軍区を所轄する鎮守府として開庁され、呉海軍工廠も設置。あまりに有名な巨大戦艦「大和」もそこで建造された。そして帝国の敗戦後は進駐した英連邦軍が呉鎮守府の各施設を占領使用したが、それが割とソッコーで撤収したのちは日本国の海上自衛隊が継承。現在も「(ある意味)海軍の町」として成り立っている。
それゆえというのか何というのか、とにかく呉の港は誇張抜きで「すぐそこに護衛艦や潜水艦がうじゃうじゃいる」という状況だ。防衛機密保持の観点でどうなんだ? と心配になってしまうほどの激なる近さで、各種の戦闘艦ならびに訓練用の艦を見ることができるのだ。
この状況に対して、軍事アレルギーが強い人はいろいろ文句もあるのかもしれない。しかしこちとら単なる「のりもの好き」で、そして世界中の多くの男子に共通する「軽度のミリヲタ」でしかないため、自分は状況を大いに堪能した。
ミリ物好き=好戦的というわけではない

余談というか私事ではあるが、自分は「伊達軍曹」なる物騒な筆名を名乗っているものの、政治心情的に右派ではない。むしろ恒久的な世界平和の実現を願いながら、心の中の新宿西口で毎晩フォークゲリラを行っているほどだ。ただただ、のりものとしての戦闘機や戦闘艦艇などに、男子としてありがちな憧憬を抱いているだけである。
それゆえ、呉湾内に停泊中の海自護衛艦や潜水艦を間近に見ることができる「呉艦船めぐり」に参加した際も、チャーター船上では基本的に冷静そのもののアティテュードであった。むらさめ型護衛艦を見ても、そうりゅう型潜水艦を間近で目にしても、特に興奮することはなかった。
もちろん前述のとおりの「のりもの好きな軽度のミリヲタ」として、その威風堂々とした姿に感動は覚えたし、艦上で任務に就いている隊員各位の健康と武運も祈った。
しかし、だからといって「キエエエエエエエエーッ!」といきなり奇声を発して立ち上がり、手渡されていた小ぶりな自衛艦旗(いわゆる旭日旗)をブンブン振り回したと思ったら、旧海軍兵学校があった江田島方向に向かって最敬礼し、「尊皇攘夷! ソンノウジョオオオオオオイイーーー!!!」などと叫びながら手持ちの扇子で切腹の真似事をした……という事実はない。現代を生きる中道左派の常識人として、それは当たり前だ。
だが「空母」には理性を失わせる何かがある

▲出典:海上自衛隊
しかし呉艦船めぐりにて加賀、いや、ヘリコプター搭載護衛艦「かが」を間近で見たとき、突如として自分の中の何かが決壊した。そして決壊した堤防から、心の土手と住宅街に「ナショナリズム」という名の強烈な濁流が押し寄せてきた。
これまた賢明なるCL読者諸兄には説明不要だろうが、「かが」とは2017年3月に就航した海自最大のヘリコプター搭載護衛艦(DDH)だ。艦首から艦尾までの全通甲板を備える「ヘリ空母」である……ということは事前の知識として知っていたが、実際に見るそれは「ヘリ空母」というよりは「空母そのもの」だった。

73年前、一敗地にまみれた我が国。その敗戦により、悪しき部分ももちろん多々あったわけだが、同時にあったはずの「良き部分」までもがすべて白人強国によって捨てられ、隠され、侮辱され、結果として本邦の民草自身も今やそれを忘れてしまった我が国の伝統と誇り。そして「戦うべきときは闘う」という気概。それが今、真珠湾にて米帝を叩き、そしてミッドウェイの海に果てた旧日本海軍の大型空母「加賀」の名を継承して蘇るのだ。我が軍がついに再び「空母」を持ったのだから。
「キエエエエエエエエーッ!」
気がつくと自分は奇声を発しながらチャーター船上に立ち上がり、自衛艦旗をブンブン振り回しながら演説をしていた。
結局、平和にクルマを愛好するのがいちばんか?

「諸君! 今こそ再び立ち上がる時である!」「専守防衛などヌルい! ヌルすぎる!」「加賀、いや軽空母かがとF-35Bにより、米帝と協働し北朝鮮のミサイル拠点を先に叩く!」「ついでに中共も黙らせる!」「それこそが真の防衛である!」「遺憾ながらノースコリアの民草に若干数の犠牲も出ることだろう。だがそれもやむなしである!」「ケンポーカイセエエエッ! ソンノウジョオイイイイッ!」
演説を終え、江田島の方角へ向かって最敬礼した自分は、顔を上げた。白けきった、そして狂人に怯えたような顔の同船者たちが、わたしを見つめていた。
「コホンッ」とわざとらしく咳をひとつして、自分は所定の位置に座り直した。そしてカバンから中道左派の知識人として愛読している岩波書店『世界』4月号を取り出し、巻頭特集「東北の未来のために―復興8年目の現実から」を静かに読み始めた。

このように一部の「軍事系のりもの」には、自分のような中道左派常識人でさえも一時的に飲み込んでしまうほどの、何らかの強烈なパワーが含有されている。またそのパワーがあるからこそ、魅力的な軍事系ののりものなのだ……という言い方もできるだろう。
自分は今後、そこに注意しつつ軍事系ののりものをライトに愛好していく必要があり、またどちらかといえば「クルマ」というのりものを平和に愛好するのが、結局はいちばんなのだろうなと思いながら『世界』をカバンにしまい、港の売店で購入したおいたカーグラフィック2018年4月号を読み始めた。300万円台のクルマたちが、ジャイアントなテストを受けていた。
※本稿は、筆者が呉市に行って「呉艦船めぐり」に参加したという事実以外はすべてフィクションです。実在の個人・団体等とは一切関係ありません。
[ライター/伊達軍曹]