
車悦
更新2023.11.22
『キホンのキ・・・』ポルシェの原点ともいえるフォルクスワーゲンタイプ1
中込 健太郎
「クルマ」というとどんなクルマを思い出しますか?ポルシェ、フェラーリ、メルセデス(・・・最近女子でもマセラティを知っている方はうれしいものですが。)ただ、「カタチと車名が一致するクルマ」と絞り込むとなるとこのクルマ、かなりポピュラーな存在なのではないでしょうか。「ワーゲンビートル」正式にはフォルクスワーゲンタイプ1といいますね。今回はこのクルマに関して少し振り返りましょうか。

愛くるしいカタチは今でもファンは多いですね。というか、このクルマに関する人気、認知はクルマという域を超えているかもしれません。このクルマは少し前の時代のライフスタイルを彩るストラクチャーとして、老若男女に広く知られているものですし、カタチはすでに「クルマ」というカテゴリーを代表する形状認識をもたらしている面もあるでしょう。いろいろなイラストや、マーク、ワンポイントで描かれているクルマが「絶対これ、ビートルだよ」と言うことは少なくないでしょう。

かなり長い間改良を繰り返されて生産され続けていることもあり、すでに2000万台を大きく超える台数が世に送り出されているベストセラーカー、四輪車の最多量産記録を持つこのクルマは、なんだかクラシックでのどかな印象もありますが、実はその人気の秘密はこのクルマの基本性能の高さ、時代を超えた先進性、秀逸な経済性など、一見すべてに程々のようですが、センセーショナルな全方向にハイレベルなバランスが取られたクルマだったのです。

photo by By Lothar Spurzem [CC BY-SA 2.0 de](Wikimedia Commons)
ヒトラーが首相になって国民車構想を打ち出したのは1933年。当時、かのフェルディナント・ポルシェ博士は、ヒトラーの依頼によって長年温めてきた小型大衆車構想を実現することになります。それが、このタイプ1だったと言うわけです。そのときに広げた風呂敷は結局20世紀終盤までドイツでも通用し、生産され、排ガスの関係でヨーロッパで登録できなくなったあとも南米などでは継続生産。最終の生産終了は21世紀になってからでした。

photo by By Günther Pöpperl BICYCLE [GFDL or CC-BY-SA-3.0](Wikimedia Commons)
それもそのはず、基本コンセプト=国民車構想の内容は、頑丈で長期間大きな修繕を必要とせず、維持費が低廉であること。成人4人が乗車可能な仕様であること。連続100km/h巡航が可能なこと。7Lの燃料で100kmの走行が可能(=1Lあたりの燃費が14.3km以上である)な燃費。空冷エンジンの採用。流線型ボディの採用。このようなものでした。空冷水平対抗4気筒OHVエンジンをリアに搭載、後輪を駆動させるレイアウトは終始一貫。当初1000ccからスタートしたエンジンの大きさもバリエーションや、改良を重ね、1600ccまで拡大されました。

そして、このレイアウトがあるからこそポルシェ911なども存在した、といっても過言ではないでしょう。多数派のレイアウトではないにせよ、このクルマに乗ると、どうしてこの時代、ポルシェ博士はこのレイアウトに固執したのかがわかるはず。そして、このクルマ、街中から高速道路まで非常に扱いやすくなかなか心地いいドライブを今でも体感させてくれるのです。

クルマのキホン、名車のエッセンス、すべての人に平等に高速移動を可能にしたエポックメイキングな存在。そんなことに思いを馳せて乗ると、このクルマに乗ることの尊さが際立つのではないでしょうか。今でもいいものと出会えれば、ぜひ一度乗っておきたい名車であることは言うまでもありません。

愛くるしいカタチは今でもファンは多いですね。というか、このクルマに関する人気、認知はクルマという域を超えているかもしれません。このクルマは少し前の時代のライフスタイルを彩るストラクチャーとして、老若男女に広く知られているものですし、カタチはすでに「クルマ」というカテゴリーを代表する形状認識をもたらしている面もあるでしょう。いろいろなイラストや、マーク、ワンポイントで描かれているクルマが「絶対これ、ビートルだよ」と言うことは少なくないでしょう。

かなり長い間改良を繰り返されて生産され続けていることもあり、すでに2000万台を大きく超える台数が世に送り出されているベストセラーカー、四輪車の最多量産記録を持つこのクルマは、なんだかクラシックでのどかな印象もありますが、実はその人気の秘密はこのクルマの基本性能の高さ、時代を超えた先進性、秀逸な経済性など、一見すべてに程々のようですが、センセーショナルな全方向にハイレベルなバランスが取られたクルマだったのです。

photo by By Lothar Spurzem [CC BY-SA 2.0 de](Wikimedia Commons)
ヒトラーが首相になって国民車構想を打ち出したのは1933年。当時、かのフェルディナント・ポルシェ博士は、ヒトラーの依頼によって長年温めてきた小型大衆車構想を実現することになります。それが、このタイプ1だったと言うわけです。そのときに広げた風呂敷は結局20世紀終盤までドイツでも通用し、生産され、排ガスの関係でヨーロッパで登録できなくなったあとも南米などでは継続生産。最終の生産終了は21世紀になってからでした。

photo by By Günther Pöpperl BICYCLE [GFDL or CC-BY-SA-3.0](Wikimedia Commons)
それもそのはず、基本コンセプト=国民車構想の内容は、頑丈で長期間大きな修繕を必要とせず、維持費が低廉であること。成人4人が乗車可能な仕様であること。連続100km/h巡航が可能なこと。7Lの燃料で100kmの走行が可能(=1Lあたりの燃費が14.3km以上である)な燃費。空冷エンジンの採用。流線型ボディの採用。このようなものでした。空冷水平対抗4気筒OHVエンジンをリアに搭載、後輪を駆動させるレイアウトは終始一貫。当初1000ccからスタートしたエンジンの大きさもバリエーションや、改良を重ね、1600ccまで拡大されました。

そして、このレイアウトがあるからこそポルシェ911なども存在した、といっても過言ではないでしょう。多数派のレイアウトではないにせよ、このクルマに乗ると、どうしてこの時代、ポルシェ博士はこのレイアウトに固執したのかがわかるはず。そして、このクルマ、街中から高速道路まで非常に扱いやすくなかなか心地いいドライブを今でも体感させてくれるのです。

クルマのキホン、名車のエッセンス、すべての人に平等に高速移動を可能にしたエポックメイキングな存在。そんなことに思いを馳せて乗ると、このクルマに乗ることの尊さが際立つのではないでしょうか。今でもいいものと出会えれば、ぜひ一度乗っておきたい名車であることは言うまでもありません。