
車悦
更新2023.11.22
私たちが生きているうちに、内燃機関のクルマに乗れなくなる日は来るのだろうか?
中込 健太郎
今、ヨーロッパで、今後内燃機関のクルマの販売を終了させるプランなどが続々と発表されています。これを受けてクルマ好きでざわついている人も少なからず見かけます。皆さんの周りではいかがでしょうか。

▲ドイツ現地で見かけたCクラスクーペ(カメラ/ドイツ駐在員)
確かに化石燃料を使用した自動車は、サステナブルかというと、そうでもないのは間違いないでしょう。地球の中で埋蔵されているものを取り出して生成し使っているのですから、やがて枯渇します。もっとも70年前から「残り70年」と言われ続けているそうで、どうやら残りあと70年ほどで枯渇するとか。これは別に嘘でも詐欺でもなくて、実際その都度調査するとその程度の量が利用可能なのだと思います。その時の掘削技術や、利用可能な石油の量から判断して割り出した残量には違いないでしょう。でも、無限なわけではない。総じて低燃費になっていたり、代替エネルギーの自動車もどんどん増えてきていますから、もしかすると調査ベースの使用可能年数自体も延びるかもしれません。
しかしそれでも「永遠に」という答えに至らないことだけは間違いない。また、環境負荷も伴います。これもほかの方法にすることで負荷がないわけでもない。しかし内燃機関が環境負荷を伴うということは絶対的に動かしがたい。これは間違いないことでしょうから。その中で、国レベルの方針として今後内燃機関の自動車の販売を終了するという方針が打ち出される。さみしいですが、流れとしては突飛なことをいっているわけでも、無茶なことでもないのではないか。個人的にはそんなことを想っています。
こういう流れを見ると、すでに生産されたクルマなど私たちが生きている間に乗れなくなってしまうのでしょうか。心配になる方がいるのも無理のないことだと思います。これに関して、私自身の考えは「案外大丈夫ではないか」です。楽観的で申し訳ないですが。環境の事、エネルギー資源の事を考えて理想的な話でそれでいいのかと問われたら、理想論でいいなら僕はむしろ「直ちにやめるべき」そう思います。理想論だけで押し通すなら数十年待つ理由も意味も分かりません。ただ、理想だけでは解決できないのが普通なのではないか。だから努力目標や、様々な施策は今後も出てくるかもしれません。

▲黄色が目を引くフィアット・チンクエチェント(カメラ/守屋 健)
しかし実態として完全撤廃、利用中止になるか。その可能性は低いような気がするのです。内燃機関と変速機を組み合わせた自動車。自動車というシステムにマッチしているのはある程度周知の事実なのではないでしょうか。回転数に併せて力が出る。こういう挙動のリニアリティも人間にとって使い勝手のいいシステムになった理由でしょう。ですから新規の生産販売が終了しても残っていくような気がしています。そして世界の大多数がほかの方法で走るクルマに移行したとしても、特殊車両として、化石燃料を使用する内燃機関の自動車は残っていくような気がするのです。
ただ、だから何も気にすることはない。そんなことを申し上げる気はありません。古いクルマを大事に乗るとしても、むやみに空ぶかしや、自動車の走行や、コンディション維持に必要のないアイドリングはやめましょう。あと個人的には、トルクが細すぎて高回転でしかまともに動かないクルマは好きではありませんが、その理由の一つはこの辺りも影響しているかもしれません。アルファツインカムとか、高回転の心地よさを語り継がれるようなエンジンのクルマも、乗ると感銘を受けるのは、しっかり必要なトルクが出ていることに感銘を受けることも少なくありませんでした。もちろん今よりはるかにクルマ自体が軽いのでそれでよかったのかもしれません。
しかし、この点に関しては重たくなっている原因は何かという話です。安全は大事です。しかし、安全も環境も、人として望みすぎなのではないかと思ったりします。立場上人に薦めるなら安全なクルマを評価します。でも、こういう問題点が表面化してくると、そこまでして安全は求めない。これが個人的なクルマに関するスタンスではどこかにあるのです。

▲ドイツはドイツの交通事情がある(カメラ/ドイツ駐在員)
それよりも、移動できることの歓び、それに対する感謝。そしてそれは常に「死」さえも隣り合わせであるという「リスクの自覚」こそ、交通という社会の中でクルマを利用する者には必要なこと。やや論点がすり替わっていると思われるかもしれないが、環境の事にも思いを巡らせるなら、こう考えないではいられません。
そしてこういう考えだからこそ、どこかで「内燃機関を利用することを禁止されても仕方がない」と思っているということも申し上げておかねばならないでしょう。無事に帰ってこれたこと、地球に負荷を強いながらも様々な出会いや感動、用事が果たせたことに感謝する。私たちカーガイに必要なことはこの「感謝」ではないでしょうか。
同様に平和なことにも感謝。平和でなくてはいけません。私たち日本人は平和だからこそ石油が手に入り、自動車に乗れる面もあるのですから。今私たちがすべきことは使えなくなる心配、憂慮ではなく、今までありがとう。今回も無事にドライブを終えられてありがとう。そういう「感謝」だと思うのであります。
[ライター/中込健太郎]
(※当記事はメルマガ配信したコンテンツの再編集版です)

▲ドイツ現地で見かけたCクラスクーペ(カメラ/ドイツ駐在員)
確かに化石燃料を使用した自動車は、サステナブルかというと、そうでもないのは間違いないでしょう。地球の中で埋蔵されているものを取り出して生成し使っているのですから、やがて枯渇します。もっとも70年前から「残り70年」と言われ続けているそうで、どうやら残りあと70年ほどで枯渇するとか。これは別に嘘でも詐欺でもなくて、実際その都度調査するとその程度の量が利用可能なのだと思います。その時の掘削技術や、利用可能な石油の量から判断して割り出した残量には違いないでしょう。でも、無限なわけではない。総じて低燃費になっていたり、代替エネルギーの自動車もどんどん増えてきていますから、もしかすると調査ベースの使用可能年数自体も延びるかもしれません。
しかしそれでも「永遠に」という答えに至らないことだけは間違いない。また、環境負荷も伴います。これもほかの方法にすることで負荷がないわけでもない。しかし内燃機関が環境負荷を伴うということは絶対的に動かしがたい。これは間違いないことでしょうから。その中で、国レベルの方針として今後内燃機関の自動車の販売を終了するという方針が打ち出される。さみしいですが、流れとしては突飛なことをいっているわけでも、無茶なことでもないのではないか。個人的にはそんなことを想っています。
こういう流れを見ると、すでに生産されたクルマなど私たちが生きている間に乗れなくなってしまうのでしょうか。心配になる方がいるのも無理のないことだと思います。これに関して、私自身の考えは「案外大丈夫ではないか」です。楽観的で申し訳ないですが。環境の事、エネルギー資源の事を考えて理想的な話でそれでいいのかと問われたら、理想論でいいなら僕はむしろ「直ちにやめるべき」そう思います。理想論だけで押し通すなら数十年待つ理由も意味も分かりません。ただ、理想だけでは解決できないのが普通なのではないか。だから努力目標や、様々な施策は今後も出てくるかもしれません。

▲黄色が目を引くフィアット・チンクエチェント(カメラ/守屋 健)
しかし実態として完全撤廃、利用中止になるか。その可能性は低いような気がするのです。内燃機関と変速機を組み合わせた自動車。自動車というシステムにマッチしているのはある程度周知の事実なのではないでしょうか。回転数に併せて力が出る。こういう挙動のリニアリティも人間にとって使い勝手のいいシステムになった理由でしょう。ですから新規の生産販売が終了しても残っていくような気がしています。そして世界の大多数がほかの方法で走るクルマに移行したとしても、特殊車両として、化石燃料を使用する内燃機関の自動車は残っていくような気がするのです。
ただ、だから何も気にすることはない。そんなことを申し上げる気はありません。古いクルマを大事に乗るとしても、むやみに空ぶかしや、自動車の走行や、コンディション維持に必要のないアイドリングはやめましょう。あと個人的には、トルクが細すぎて高回転でしかまともに動かないクルマは好きではありませんが、その理由の一つはこの辺りも影響しているかもしれません。アルファツインカムとか、高回転の心地よさを語り継がれるようなエンジンのクルマも、乗ると感銘を受けるのは、しっかり必要なトルクが出ていることに感銘を受けることも少なくありませんでした。もちろん今よりはるかにクルマ自体が軽いのでそれでよかったのかもしれません。
しかし、この点に関しては重たくなっている原因は何かという話です。安全は大事です。しかし、安全も環境も、人として望みすぎなのではないかと思ったりします。立場上人に薦めるなら安全なクルマを評価します。でも、こういう問題点が表面化してくると、そこまでして安全は求めない。これが個人的なクルマに関するスタンスではどこかにあるのです。

▲ドイツはドイツの交通事情がある(カメラ/ドイツ駐在員)
それよりも、移動できることの歓び、それに対する感謝。そしてそれは常に「死」さえも隣り合わせであるという「リスクの自覚」こそ、交通という社会の中でクルマを利用する者には必要なこと。やや論点がすり替わっていると思われるかもしれないが、環境の事にも思いを巡らせるなら、こう考えないではいられません。
そしてこういう考えだからこそ、どこかで「内燃機関を利用することを禁止されても仕方がない」と思っているということも申し上げておかねばならないでしょう。無事に帰ってこれたこと、地球に負荷を強いながらも様々な出会いや感動、用事が果たせたことに感謝する。私たちカーガイに必要なことはこの「感謝」ではないでしょうか。
同様に平和なことにも感謝。平和でなくてはいけません。私たち日本人は平和だからこそ石油が手に入り、自動車に乗れる面もあるのですから。今私たちがすべきことは使えなくなる心配、憂慮ではなく、今までありがとう。今回も無事にドライブを終えられてありがとう。そういう「感謝」だと思うのであります。
[ライター/中込健太郎]
(※当記事はメルマガ配信したコンテンツの再編集版です)