ドイツ現地レポ
更新2017.04.26
イタリア生まれ、トルコ育ちのHナンバー「ムラート124」は、オリエンタルな雰囲気漂うフィアット124
NAO
トルコ系移民の多いドイツ。先日、ドイツトルコ交流協会のイベントで仕事をする機会があり、そのときに、Hナンバーのクルマを発見しました。よく見てみると、このクルマはトルコよりやってきたトファシュの「ムラート124」でした。
この写真から「これはフィアット124でしょ?」と気づいた方もいるかもしれませんが、まさにその通りです!トファシュは、フィアットからライセンス生産の認可を受けたフィアット124を、「トファシュ・ムラート 124(Tofaş Murat 124)」として、1971から1976年までの間に134,867台が生産・販売されました。
トファシュ(TOFAŞ)は、コチ財閥の傘下にあるトルコの乗用車製造会社です。1968年にトルコ初の自動車製造企業として発足し、現在はフィアット社との合弁企業となっています。社名のトファシュとは「Türkiye Otomobil Fabrikaları Anonim Şirketi A.S」の頭文字を取ったものであり、「トルコ自動車工場株式会社」という意味があります。本社はイスタンブール、工場はトルコ北西部の都市ブルサにあります。
国内自動車生産のおよそ7割が輸出に振り向けられているトルコ。トファシュも、トルコと欧州市場向けに、フィアットやアルファロメオ、ランチア車を製造しています。また、タクシー向けの車種も独自に生産・販売しているのです。
2016年で50周年を迎えたフィアット124は、VWビートルに続き、長期にわたって人気を博した車種でした。トルコだけではなく、ロシア(旧ソ連)、インド、韓国、エジプトに至るまで、世界各国で大規模にライセンス・ノックダウン生産されていたモデルです。フィアット124は、ロシアでは特に人気が高く、42年間で約1,800万台を売り上げていたほどです。
フィアット124は、ごくごくシンプルな箱型ノッチバックの後輪駆動4ドアセダンであり、軽量設計を特徴とするトータルバランスに優れた小型ファミリーカーとして愛されたクルマでもあります。エンジンは、元フェラーリの技術者アウレリオ・ランプレディ氏によって新設計されたランプレディ・エンジンを搭載。排気量1,198ccのOHVエンジンは、小型かつ軽量で、さらに高回転という、優れた設計を誇っていました。年々改良を重ねながら、約30年間フィアットグループの多くの乗用車に搭載されてきた同メーカーを代表するエンジンなのです。
オーナーさんがいらっしゃったので、このクルマに関して話を聞いてみました。オーナーさん曰く、フィアットではなく「ムラート124」としてHナンバーを取得したケースはとても珍しいとのことでした。この個体は、出稼ぎとしてドイツに移住したお父様のもの(これに乗ってドイツまで来たそうです!)を、こちらで生まれた現オーナーである息子さんが引き継いで乗っているのだそうです。
ちなみに「ムラート」は、ヨーロッパ系白人と、アフリカ系の特に黒人との混血を指す言葉です。イタリアとトルコの血を引くムラート124。現在、ドイツとトルコは非常に難しい関係になっていますが、戦後のドイツ復興を支えたのは「ゲスト労働者(Gastarbeiter)」としてドイツから招待され、やってきたイタリア人とトルコ人たちなのです。彼らは移民としてドイツに暮らし、家庭を築き、今では何世代にもわたっています。
イタリアとトルコの両親の元に生まれ、ドイツにやってきた…。そんな背景を持つドイツのHナンバーを掲げたこのムラートは、なんだかこの3つの国のつながりをここに表しているような気がしています。
[ライター・写真/NAO]
この写真から「これはフィアット124でしょ?」と気づいた方もいるかもしれませんが、まさにその通りです!トファシュは、フィアットからライセンス生産の認可を受けたフィアット124を、「トファシュ・ムラート 124(Tofaş Murat 124)」として、1971から1976年までの間に134,867台が生産・販売されました。
トファシュ(TOFAŞ)は、コチ財閥の傘下にあるトルコの乗用車製造会社です。1968年にトルコ初の自動車製造企業として発足し、現在はフィアット社との合弁企業となっています。社名のトファシュとは「Türkiye Otomobil Fabrikaları Anonim Şirketi A.S」の頭文字を取ったものであり、「トルコ自動車工場株式会社」という意味があります。本社はイスタンブール、工場はトルコ北西部の都市ブルサにあります。
国内自動車生産のおよそ7割が輸出に振り向けられているトルコ。トファシュも、トルコと欧州市場向けに、フィアットやアルファロメオ、ランチア車を製造しています。また、タクシー向けの車種も独自に生産・販売しているのです。
2016年で50周年を迎えたフィアット124は、VWビートルに続き、長期にわたって人気を博した車種でした。トルコだけではなく、ロシア(旧ソ連)、インド、韓国、エジプトに至るまで、世界各国で大規模にライセンス・ノックダウン生産されていたモデルです。フィアット124は、ロシアでは特に人気が高く、42年間で約1,800万台を売り上げていたほどです。
フィアット124は、ごくごくシンプルな箱型ノッチバックの後輪駆動4ドアセダンであり、軽量設計を特徴とするトータルバランスに優れた小型ファミリーカーとして愛されたクルマでもあります。エンジンは、元フェラーリの技術者アウレリオ・ランプレディ氏によって新設計されたランプレディ・エンジンを搭載。排気量1,198ccのOHVエンジンは、小型かつ軽量で、さらに高回転という、優れた設計を誇っていました。年々改良を重ねながら、約30年間フィアットグループの多くの乗用車に搭載されてきた同メーカーを代表するエンジンなのです。
オーナーさんがいらっしゃったので、このクルマに関して話を聞いてみました。オーナーさん曰く、フィアットではなく「ムラート124」としてHナンバーを取得したケースはとても珍しいとのことでした。この個体は、出稼ぎとしてドイツに移住したお父様のもの(これに乗ってドイツまで来たそうです!)を、こちらで生まれた現オーナーである息子さんが引き継いで乗っているのだそうです。
ちなみに「ムラート」は、ヨーロッパ系白人と、アフリカ系の特に黒人との混血を指す言葉です。イタリアとトルコの血を引くムラート124。現在、ドイツとトルコは非常に難しい関係になっていますが、戦後のドイツ復興を支えたのは「ゲスト労働者(Gastarbeiter)」としてドイツから招待され、やってきたイタリア人とトルコ人たちなのです。彼らは移民としてドイツに暮らし、家庭を築き、今では何世代にもわたっています。
イタリアとトルコの両親の元に生まれ、ドイツにやってきた…。そんな背景を持つドイツのHナンバーを掲げたこのムラートは、なんだかこの3つの国のつながりをここに表しているような気がしています。
[ライター・写真/NAO]