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更新2025.02.27

メルセデス・ベンツに興味を持ったきっかけは深夜のクルマ番組だった、という話

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松村 透

その昔、いまはなき晴海国際貿易センターで「輸入車ショー」というイベントが開催されていたことがあり、観に行った記憶がある。検索しても「輸入車ショー」ではヒットしないので、もしかしたらイベント名は違うかもしれない。いまや希少車として扱われているフェラーリ512Mが展示されたときだと記憶しているから、1995年あたりだと思う。


当時、筆者は高校生。ボンボンでもない普通の高校生がベンツに触れるなんてことは逆立ちしてもできなかった時代だ。


■メルセデス・ベンツに興味を持ったきっかけは深夜のクルマ番組だった



1990年前後、もしかしたら関東ローカルかもしれないけれど、TBS系列で「所印の車はえらい」という番組がオンエアされていた。たしか火曜日の深夜、午前0時40分〜1時10分の30分番組だったと思う。この番組を観るが何よりの楽しみだった。毎週録画していたけれど、やっぱりオンタイムで観たい。ずいぶんと夜更かししてたんだなぁ。


番組がはじまる前に必ずスバルのCMが流れる。これが番組開始の合図のようなものだ。映画「ダイハード」シリーズで一躍スターになったブルース・ウィリスが「スバル レガシィツーリングワゴン(初代)」に乗ったCMがオンエアされることが多かった。たしか、マエストロことジョルジョットジウジアーロが手掛けたとされる「アルシオーネ SVX」のCMだったこともあった。当時、人気絶頂だったCHAGE&ASKAのCMソングが印象的な「ヴィヴィオ」のときもあったっけ。


ここでテンションが最高潮になり、いよいよ番組スタート。ロック調の曲とともにタイトルバックが流れる。自分好みの内容だとガッツポーズしたものだ。そういえば「東京外車付き娘」なんて回もあった。真っ赤なメルセデス・ベンツ190Eで登場し「パパ(実の父)に買ってもらいました〜」とボディコンの衣装に身を包んだお姉さんの職業が「家事手伝い」だったことを思い出す。家事手伝い・・・。いまや専業主婦以上の特権階級かもしれない。当時「家事手伝い」だったお姉さんたち、現在は50代後半あたりか。達者で暮らしているだろうか。この時期、確定申告どうしてるんだろう。


そういえば、フィリップモリス社のタバコ「パーラメント」のCMも秀逸だった。特に選曲。このCMで知った洋楽も多い。個人的にはBobby Caldwellの「Heart of Mine」のバージョンが好きだったなあ。マンハッタンの夜景が観たくて、幼なじみと貧乏旅行してニューヨークまで行ったのも懐かしい思い出だ。



それはさておき、メルセデス・ベンツを強烈に印象づける回があった。このときは「高級チューンドカー大会」だった。ロケ地はお台場にある現在解体中の船の科学館。ゲストは、いまはなき故・夏木陽介氏だった。大人になり、たまたまこのときの映像を観る機会があったのだが、当時のお台場周辺は何もない、ただの空き地で驚いたことを覚えている。90年代後半にヒットした「踊る大捜査線」のテレビドラマ版のエンドロールで俳優の織田裕二がお台場周辺を歩いているけれど、あのときだってまだまだ周囲は空き地だらけ。そういえば、劇中でも湾岸署が「空き地署」なんて揶揄されていたっけ。



話が逸れた。この回では、生憎の雨のなか、ABT アウディ90、BMW 535i(E34)シュニッツァーコンプリート、ポルシェ911ゲンバラコンプリート(964tip)、そしてトリはメルセデス・ベンツ500SL AMG6.0(R129)の一気乗りという、なんとも贅沢な回だった。このとき印象に残ったのがゲンバラコンプリート‥ではなく、500SL AMG6.0(R129)だった。この日、ノーマルの500SL(R129)でロケ地に登場した夏木氏が乗り比べていたが、「メルセデスは床が厚い」といった趣旨のコメントが強烈な印象として残った。それってどういうフィーリングなんだろう。いちど乗ってみたい。地元の県立高校に通う学ラン高校生には夢のまた夢だった。余談だが、所さんが「アーマーゲー」を連発するので、それからしばらくは「AMG=アーマーゲー」がえらいと思い込んでいた(笑)。



当然ながら実車は買えないどころか、田舎町では見る機会もないので、さっそくタミヤの1/24スケールのプラモデル「メルセデス・ベンツ AMG 500SL」を買ってきてブルーブラックに塗装した。ホイールも同色に仕上げたのはいうまでもない。テレビに登場したAMG SLはシルバーだったけれど、個人的には断然ブルーブラック推しだ。それはいまでも変わらない。


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■はじめてメルセデス・ベンツの運転席に座り込む



それから数年後、ついにメルセデス・ベンツの実車に触れる機会が訪れた。冒頭で書いた「輸入車ショー」のイベント会場に併設される形で中古車が展示販売されていたのだ。・・・といっても、現代のメルセデスのように解錠されていて「どうぞどうぞ」なんて座らせてくれる時代じゃない。展示車はどれもきっちり施錠されていて、乗り込むことができない・・・と思いきや、1台のメルセデス・ベンツのドアが開いた。



確かブルーブラックの560SECだったと思う。セダンではなくクーペの方だ。当時の輸入車の多くが左ハンドルだった時代。この560SECももちろん左ハンドルだ。こんなチャンスはそうそうない。



運転席に乗り込み、分厚い本革シートに座る。「ベキョン」といったわけではないが、シートの座面の厚さと硬さ、そして反発力に驚いた。なんだこれは。細身で大経なステアリング、260km/hまで目盛られているメーター、そしてメルセデス・ベンツ伝統のシフトゲート。右手で握って操作してみたところ、残念ながらゲートは「P」から動かなかった。



右手を上から下へ、手前へ引くだけで、驚くほどなめらかに、スルスルッとDにシフトチェンジできる感動を味わえるのは数ヶ月後のことだ。前方に目をやると、ボンネットの先端にあるスリーポインテッドスターが見える。あれが夏木陽介氏が教えてくれた「陸海空を制するエンブレムか・・・」といたく感激したことを覚えている。運転席から見えるスリーポインテッドスター。オーナーとなった者だけが見られる景色。まさに成功者の証だ。



そのときだ。「コラーーーーー!降りろ!」。販売車輌に乗り込んでいたのを見つけた警備員がすっ飛んできた。「すいません」とだけ言い残し、慌ててその場を立ち去った。こんな具合に、メルセデス・ベンツとの邂逅は「イケナイコト」をしていたからこそ強烈に覚えているのかもしれない。



■それから数ヶ月後、アルバイトで560SELに乗る



輸入車ショー事件?から数ヶ月後、思いのほか早くメルセデス・ベンツの実車に触れる機会がやってきた。知人の紹介で世田谷にあるウィンドウフィルムを施工する専門店でアルバイトをすることになったのだ。とはいっても基本的には雑用係。いまでも付き合いのある師匠からカーフィルムの施工の手ほどきもしてもらったのだが、自分はどうもスジがよくないらしい。フィルム職人として独立する道は早々に諦めた。そこで、多忙な師匠の代わりに納引き(いわゆる納車引き取り)を頼まれることが多かった。


それでも、オフィシャルな形(時給が発生している)でさまざまなクルマに乗れるのだから、こちらとしても願ったり叶ったりだ。あるとき、師匠から「560SELにフィルムを貼るから引き取ってこい」と指令が下った。「ハイ喜んで」とはいわなかったが、心はウキウキだ。わずか数ヶ月前に運転席に座り、警備員にどやされたクルマに堂々と乗れるのだから(あちらはクーペで今回はセダンだが、運転できるだけでシアワセ。そんなことは気にしない)。



お店の軽バンで10キロほど離れた中古車販売店に向かい、代わりに560SELを引き取った。外装はブルーブラック、内装はブラックレザー。そしてもちろん左ハンドル。まさに王道の組み合わせだ。走行距離と年式は忘れたが、販売価格は確か400万円くらいだったと思う。


560SELに乗る前に何度か左ハンドルのクルマの納引きを済ませていたとはいえ、都内、それも世田谷の狭い道をSクラスで走るのはさすがに緊張した。ときどき「なんでこんな若いのがベンツなんか運転してんだ」という視線を感じる。こちらはブルーのツナギで運転していたから、誰がどう見てもオーナーではないことは一目瞭然。こちらのナリを見て「なんだ業者の人間か」と、妙に納得されたのを覚えている。



当時ハタチ。こうして念願のメルセデス・ベンツを運転する機会を得たのは役得としかいいようがない。信号待ちでアクセルを踏むとフワンと加速するV8 5.6リッターエンジン、少しロールするけれど、じんわりと曲がってくれるコーナリングフィール、大柄なボディのはずなのに、不思議と車幅が把握できる見切りの良さ、そしておそろしく切れるステアリング。晴海で感じた「ベキョンベキョン」に分厚い本革シート。ポルシェ911とはまた違った、それでいて硬質感に満ちたドアの開閉時の手応え。往復で20キロほど、時間にして1時間弱だろうか。深夜番組で観てから4年。夏木陽介氏が語っていた「床下が厚い」ってこういうことなのか!をついに実感することができた(借り物だけど)。これまで乗ってきた日本車とはまるで違う。まさに硬質感のカタマリのようなカッチリとしたクルマ。あっという間にメルセデス・ベンツの虜になってしまった。


その後、何の因果か、メルセデス・ベンツの取扱説明書を制作する会社に就職することになるのだが・・・これを話し出すと長くなるのでまたの機会に。


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■メルセデス・ベンツで日帰りで埼玉から京都へ



仕事でどっぷりメルセデス・ベンツ漬けになっていたある日のこと、当時現行モデルだったメルセデス・ベンツE300ステーションワゴン(S212)を借りて日帰りで京都に行く機会があった。途中、名古屋に住んでいた友人をピックアップして京都まで行くこととなったのだ。


仕事柄、メルセデス・ベンツを運転して近距離を移動する機会は多かったが、往復で1000キロ近くになる距離を走るのはこのときがはじめてだった。とにかく疲れない。たんたんと中央高速を西に向かい、ほとんど疲れ知らずで名古屋に、友人をピックアップして話し込んでいるうちに京都に着いてしまった。


そして帰路、名古屋で友人を降ろし、渋滞が解消するまで時間調整。名古屋から一気に埼玉まで空いている中央道をひた走った。名古屋を出たのが夜10時過ぎ。埼玉に着いたのが深夜2時近かったと思う。まったく疲れていないことに自分でも驚いた。翌日が仕事でなければ、このまま首都高を経て横浜くらいまでドライブできそうな余力が残っていたほどだ。



飛ばすわけでもなく、たんたんと流れに乗っただけ。たまたま借りたクルマがアヴァンギャルドではなく、素のE300だったことも良かったのかもしれない。乗り心地も硬すぎず、かつて仕事で乗った560SELを運転したときの感動がよみがえってきた。


さんざん仕事で接してきたメルセデス・ベンツ、中古車でもいいから自分の愛車として所有してみたいと本気で思ったのはこのときかもしれない。


■生きているうちにメルセデス・ベンツを所有・・・できるだろうか



このEクラスステーションワゴンを運転したのは2011年のこと。いまから14年も前のことだ。結局、いまだにメルセデス・ベンツを手に入れることは実現できていない。



日々、カーセンサーやGoonetでメルセデス・ベンツの中古車をチェックはしているのだが、なかなか機会がめぐってこない。経済的なことはもちろん、結局は自分のなかで覚悟が足りないのかもしれない。いつかは・・・と思っているといつまで経っても手に入らないことは分かっているので、5年以内には所有してみたいと思う、と宣言してしまおう。何はともあれ、お仕事頑張ります。


[画像・Mercedes-Benz / 撮影&ライター・松村透(株式会社キズナノート)]


 

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