ライフスタイル
更新2019.08.03
果たして、旧車のカスタマイズは「アリ」か「ナシ」か?
ユダ会長
一昔前であれば(特に英国旧車オーナーは)、すべてにおいてオリジナルにこだわる人が多く、非オリジナルを批判するケースも少なくなかった。当時は「それほどオリジナルにこだわるんだったら、タイヤの空気も当時のものを入れろ!」なんてジョークを実際に何度も聞いたことがある。しかし、ネットワークの普及で海外からたくさんの情報が入手できるようになり、その感覚は以前よりは失われていったような気がする。
カスタムにもさまざまな方向性がある
ひとことで「カスタム」と言っても、実にさまざまな方向性があり、そのすべてを肯定したり、否定するのは難しい。
前述のように、オリジナルにこだわったところで、消耗品(油圧のブレーキスイッチやダイナモなど見える部分も含めて)当時物を使い続けるには難がある。事実、現在の交通事情に合わせてタイヤはもちろんのこと、ダイナモをオルタネーターなどに換装している人は多い。そして「この換装はカスタムにあたるのか?」という問いに対する解釈は人それぞれだろう。しかし、遠からず過去にはそういう考え方があったことも記しておきたい。
各国のカスタム事情
さて、今回の本題を自分なりの解釈をまとめてみた。
最近、二輪業界のカスタマイズでは「ネオヒストリック」的なものがヨーロッパを中心として主流となりつつある。国産のCBや、トライアンフおよびBMW等をベースに、強烈な見た目でインパクトのある旧車スタイルを維持しつつ、随所に最新のカスタムを施しながら仕上げてある。これに近い流れが自動車業界でも起きているようだ。
アメリカでは定番ともいえるT型FORDやデュース、パネルトラック等に現行のV8エンジンを収め、足回りからフレームまで「ほぼ」別物のカスタムが行われてきたが、何の懐疑心もなく受け入れられてきたように思える。
一方、ヨーロッパでは英国やイタリア、ドイツを中心に各国で自動車のカスタム事情は異なる。特に英国では、バックヤードビルダーやプライベーターがカスタムしたクルマを持ち込み、いわゆる「サンデーレース」で盛り上がってきた歴史がある。「楽しく、真剣に、速く」走らせるとでも言うべきなのか。お国柄でクルマのカスタム事情はかなり異なる印象がある。
日本のカスタム事情は?
▲著者のMGBは、最初から受け入れられないことを前提にカスタムしている(※公認取得済みの車両です)
翻って、日本のカスタム事情はどうなのだろうか?
アメ車に関しては本国のカスタムの流れを受け継いでいるように思える。そしてネットワークの普及により、過去のように遅れた情報ではなく「現在進行系」の鮮度の高い情報にもすぐに敏感に反応できるようになった感がある。
では、ヨーロッパ車はどうであろうか?
20年以上前と比べると、考え方も少しはゆるくなって来たのか、あまり「オリジナル」に関して強い口調で推奨する人は少なくなったように思う。しかしコンペティション系のカスタムは認める人が多いなか、目新しいカスタムを行おうとすると「邪道」と考える向きがあることも事実だ。
著者のクルマを例に挙げてみると「ここまでやれば潔い」という人もいれば「こんなのMGではない」と言われることもある。もっとも、最初から受け入れられないことを前提にカスタムしているので「潔い」と言ってくれる人が多いことに驚いている。その一方で、長年に渡り根付いている「オリジナル至上主義」は間違いなく現在も残っており、それが実は日本の良いところではないかとも考えるようになってきた。
おそらくここまでオリジナルに固執した考えを持つのは世界中でも日本が一番ではないのか?
新車当時のままのような状態で動態保存している人もいて、それは自動車文化の継承として実は必要なことなのかもしれない。ただし、残念なことにほとんど乗らずに保存している人がいることもまた事実である。
旧いクルマのカスタムは「悪」ではなくなってきている?
▲HCC95ではオリジナル派もカスタム派もお互いを尊重しながら共存している
これは人それぞれの考え方なので、その考えを押し付けたり強制したりするものではないと考えている。
しかし、過去にはそれを言葉に出して非難している人が多かったことも事実だ。
我がクラブのHCC95では、オリジナル派がいる一方で、カスタム派も存在する。それぞれが混在しながら、誰かを非難することなく個々の乗り方の自由を尊重しながら共存している。
そういうスタイルが現在では主流になりつつあり、余程ナンセンスなカスタムを行わない限りは他人を卑下することなく自分のスタイルを確立している人が増えているように思える。
著者が考えるに、日本では以前よりも固執した考えの人が減りつつあり、カスタムや乗り方の自由度は確実に上がっているように思う。付け加えると、闇雲にカスタムを推奨するわけではなく、自分の乗り方を確立するのが古いクルマとの一番の付き合いではないかと考えている次第だ。
[ライター・撮影/ユダ会長]