オーナーインタビュー
更新2017.09.24
亡き父と姉に導かれて再びオーナーに。「シトロエン2CV チャールストン」オーナー、小笠原 麻季さん&堀内 聡さんにインタビュー
松村 透
ふと、そんな想いが頭をよぎることはありませんか?これだけインターネットが普及しても、かつて所有していた個体を見つけ出すことは容易ではありません。まして、再び手に入れるとなれば・・・確率でいえば限りなくゼロに近い、仮に実現できたとしたら・・・それはもう奇跡です。
▲左:堀内 聡さん 右:小笠原 麻季さん
今回のオーナーインタビューは、あえて「2人のオーナーと2台のクルマを1つの記事にすること」こだわりました。もちろん、それには理由があります。そうしなければ、今回の取材が1つの記事として成立しないのです。それくらい、このお2人は不思議な縁によってつながっています。
事実は小説よりも奇なり。
まるで誰かがシナリオを書き、そのストーリーに沿っているかのようなできことが、次々に、現実として起こり、現在に至っています。まさに一期一会。人もクルマも出会いを大切にしておきたい・・・と実感していただけると思います。
── オーナー紹介&どんな仕事をされているのですか?
▲フジテレビ系ドラマ「最後から二番目の恋」のロケ地としてもお馴染みの、江ノ電・極楽寺駅
かつて、ニューヨークに住み、ロシアや中央アジア諸国でオペラ歌手をしていました。現在は、鎌倉で陶磁器のお店とカフェを営んでいます。「スイート・ママ」という名前のお店です。
── 現在の愛車を手に入れるきっかけを教えてください
▲運命の導きで小笠原さんのところに帰ってきた、シトロエン2CV チャールストン
何といっても父の影響が大きいです。父はいわゆる「カーキチ」で、自宅にはさまざまなクルマがありました。若い頃に乗っていた色違いのMG-TDや、モーガンの写真を見せてもらったのも懐かしい思い出です。本屋さんから、発売日になるとカーグラフィックやNAVI、オールドタイマーなどの雑誌が届けられていました。私にとって、故小林章太郎さんは神様のような存在です。
── このシトロエン2CVとの出会いは憶えていますか?
▲シトロエン2CV チャールストン観ていると、道行く人たちが振り返っていきます
はい。あるとき、カーグラフィックの個人売買欄に、1台のシトロエン2CVが売りに出されているのを見つけました。当時、私は中学生でしたが、姉と相談して、親には内緒で「シトロエン2CVが憧れの存在であること」を、4枚の便せんにしたためた手紙を売り主に送ってみたんです。
すると、その手紙を読んだ売り主の方がいたく感動したそうで、私たちの住む鎌倉までシトロエン2CVでやってきてくださったのです。驚いたのは父です。何しろ突然、シトロエン2CVが家にやってきたのですから。そこで売り主の方が、それまでの経緯を父に説明してくださいました。事情を理解した父はその場で購入を決断。シトロエン2CVは我が家の一員となったのです。
── お姉様と相談したということは、もしや・・・?
▲何にも似ていないデザイン。いまだに熱狂的なファンが多いのも納得です
そうです。父にシトロエン2CVを買わせてしまおうと、姉と2人で考えました(笑)。クルマ好きの父のところにシトロエン2CVがやってくれば、興味を抱かないわけがありません。売り主の方は複数のシトロエンを所有するようなマニアで、大切に乗ってくれる方を探していたようなのです。クルマ好きの父なら適任ですし・・・。こうして、私たちの作戦は見事に成功しました。
── 売り主や、このシトロエン2CVにとってもいい嫁ぎ先が見つかりましたね!
▲アクセルペダルは、お父様が小笠原さんのために取り付けたアイテム。これも当時のまま。お父様が取り付けたというシフトノブは大切に保管され、堀内さんが現在のものに交換したそうです
そう思います。シトロエン2CVに魅せられた父は、発売されたばかりのシトロエン エグザンティアも購入。家にあったデイムラー ダブルシックスとともに、好きなクルマたちに囲まれた生活を送っていました。我が家に嫁いで来たシトロエン2CVも、オリジナルのグレーからピンク色に全塗装し、シートの生地も張り替えたり、小笠原家の一員となっていきました。私が運転免許を取得後は、姉と2人でキャーキャーいいながら箱根までドライブしたり、さまざまな思い出が詰まった1台でした。しかし・・・。
── 何があったのですか?
▲ダブルシェブロンのロゴ、グリルもお父様によるモディファイ。アイブローの取付けは堀内さんによるもの
姉は10年ほど前に、また父も病に倒れ、6年ほど前にこの世を去りました。父がクルマのメンテナンスを一手に引き受けてくれていたので、私だけでは維持することが難しくなり・・・シトロエン2CVも泣く泣く手放しました。同時に、父が所有していたクルマや雑誌など、そのほとんどを処分しましたが、唯一残したものが、このシトロエン2CVの純正グリルだったんです。
── そんな悲しいできごとがあったんですね・・・
▲天井にはすだれ。フランス車であるシトロエン2CVにも似合っています
その後も、別れたシトロエン2CVのことが気になって仕方ありませんでした。ピンク色ではリセールバリューも良くないはずですし、スクラップか部品取り車になっているのかも・・・と半ば諦め掛けていました。そんなとき、ふとした出会いが訪れたんです。
── それが堀内さんと出会ったきっかけですか?
▲小笠原さんのシトロエン2CVに対する愛情が伝わってくるステッカー。「エレファントモータース」は、堀内さんと、その仲間たち(全員が日産の直6エンジン車所有!)が所有するガレージの屋号であり、集いの場なんだとか。小笠原さんも堀内さんと一緒にエレファントモータースに遊びに行くのだとか。屋号の由来は、かつての日産純正オイルだった「エレファントオイル」からとったネーミングなんだとか
はい。コーヒーが飲みたくなり、コンビニに行ったときのことです。駐車場に1台のクルマが滑り込んできました。いわゆる「ハコスカ」です。思わず私はオーナーさんに声を掛けていました。
「こんにちは!それ、スカイラインですよね?」
彼(堀内さん)はハコスカから降りて来て、
「こんにちは。うん、そう。ハコスカってやつ。クルマ詳しいね」と返してくれたんです。
私がクルマ好きであること、かつてシトロエン2CVに乗っていたことを話しました。
[堀内さんによる補足]
彼女は「Two・CV」と、英語表記で2CVに乗っていたことを話してきたのですが、私は『あぁ、ドゥ・シェ・ヴォね!』と、フランス語表記で答えたその反応が彼女にとって決め手となったようなのです。この一言で彼女のすべてが変わったそうです。
お互いが鎌倉市内在住、しかも同い年、どこかでニアミスしていてもおかしくないはずなのに、このときが初対面でした。それが彼との出会いです。
そして、いつしか彼とお付き合いするようになり、そして、ある出会いが訪れます。
── それってもしや・・・?
▲小笠原さんが以前所有していた時代の痕跡を残すピンクのペイント
はい。あるとき、彼に「またシトロエン2CVに乗りたい」と話したのです。すると彼が「ネットで相場を調べてみよう」とクルマを探しはじめました。そのうち、1台のシトロエン2CVに目が留まりました。
「これ、程度良さそうだし、観に行ってみない?」
奇しくもその日は、父の七回忌にあたる命日でした。
お互いのスケジュールを合わせて、1週間後に観に行ってみました。そのクルマこそ、家族の一員であったシトロエン2CVそのものだったんです。ボディカラーこそイエロー/チャコールグレーのツートンカラーに塗り替えられていましたが、張り替えたシートや、シフトノブ、アクセルペダル、西武自動車の工具袋と折りたたみ傘、スピーカーの下に敷いていた生地など・・・父の痕跡があちこちに残っていたんです。塗り替えられる前のピンクのペイントも確認できました。
── そんなこと、本当にあるんですね・・・
▲お父様が貼り替えを依頼したシートの生地も当時のまま
私もそう思いました。このクルマの歴代オーナーを記した書類があるとのことで、探してもらおうとしたら・・・、偶然にも束の一番上にあり、すぐに確認できました。これで間違いなく、私の家のシトロエン2CVであると判明したんです。彼とも相談しましたが、「これはもう、買えってことなんじゃないの?」という結論に至り、購入を決めました。気付けば、シトロエン2CV手放してから6年の歳月が流れていました。
── 手放してから6年経って、同じクルマが買えるのは奇跡です!
▲排気量602ccのエンジンを収めるシトロエン2CVのエンジンルーム
今回、シトロエン2CVを買い戻すにあたり、彼の存在が非常に大きかったんです。クルマのメンテナンスは父親任せでしたから、私1人では購入を決断できなかったと思います。しかし、彼は自分のハコスカをメンテナンスしてしまいますし、シトロエン2CVが壊れても対処してくれます。彼が分からないことがあっても、仲間で所有するガレージにいる仲間たち(プロの整備士もいるそうです)が助けてくれます。身近ところに主治医がたくさんいることも購入の後押しになったことは間違いありません。
── 何だか、お父様とお姉様が導いているみたいです
▲こちらは、小笠原さんが以前所有していた時代のシトロエン2CVを、堀内さんがプラモデルで見事に再現したもの。このあと、実車と運命的な再会を果たすことになろうとは・・・
あのときコンビニで彼と出会っていなかったら、シトロエン2CVを見つけてくれなかったら、メンテナンスができなかったら・・・。いろいろな偶然が重なり、こうして思い出のシトロエン2CVに再び乗ることができているのが、いまでも不思議でなりません。
── まさに「事実は小説よりも奇なり」ですね
▲車体をロールさせてコーナーを掛け抜けるシトロエン2CV。それはまるで、ルパン三世カリオストロの城のワンシーンのよう
このシトロエン2CVは、私1人で運転しているときはぜったいに壊れないんです。彼と一緒にいるときに限って壊れます。天国で父が、娘を守るに相応しい相手かどうか試しているのかしら?と思うことが何度もあります(堀内さんも隣で苦笑い)。
── 手に入れて良かった点、苦労している点を教えてください
▲小笠原さんと堀内さんの地元は鎌倉。自転車で海を目指し、サーフィンを楽しむ人たちも・・・
●良かった点
・「おかえり!!!」もう、このひとことにつきます。地元の人たちも喜んでくれているのが嬉しいですね
●苦労している点
・しいていえば、暑いときの運転と、雨で窓ガラスで曇るときくらいくらいです
── 予算抜きで、欲しいクルマBEST3は? (上がりの1台も含む)
・3位.1970年ダッチ チャレンジャー:宝くじ当たったら欲しいですね。
・2位.シトロエン Ami6:クリフカットがたまらなく好きです
・1位.シトロエンSM シャンパンゴールド:私史上、もっともセクシーな1台です
・上がりの1台(ご自身にとって究極の1台とは?):いま所有しているシトロエン2CVです
── あなたにとって、愛車はどんな存在ですか?
▲左:堀内さんのスカイラインのキー 右:小笠原さんのシトロエン2CVのキー
「私のところに帰って来てくれた家族の一員」でしょうか。
父と姉は天国に行ってしまったけれど、不思議な力に導かれて再びこうして思い出の2CVを所有することができました。私には娘がいて、同じようにクルマが好きです。彼のハコスカも大好きですし、ガレージで一緒に過ごしたりもします。将来、彼のハコスカと私のシトロエン2CVを乗り継いでくれたら欲しいなあと思います。
── オーナープロフィール:
お名前:小笠原 麻季さん
年齢:41才
職業:会社役員
愛車:シトロエン2CV チャールストン
年式:1989年式
ミッション:4速MT
── そして、ハコスカの彼(堀内さん)のインタビューへ・・・
通常の構成であれば、ここで記事は終わります。しかし、今回はハコスカの彼(堀内さん)のインタビューもぜひご覧ください!
── 愛車と出逢ったきっかけは何でしたか?
▲幼少期の堀内さんを一瞬で魅了したハコスカ。プラモデルはお父様が造ってくれたそうです(画像提供:堀内 聡さん)
私が4才くらいのときの一瞬の出会いがきっかけです。
父が運転するマツダ ファミリア(5代目/初のFFモデル)の助手席に座り、T字路の縦の筋で信号待ちをしていました。すると横の筋の右手側から、1台のクルマが「イイ音」を轟かせて目の前を横切ったんです。それは2ドアの赤いハコスカでした。記憶では、ワタナベのホイールを履き、リアスポイラーとオーバーフェンダーが取り付けられていました。
父に「あのクルマは何?」と興奮して聞くと、「あれは昔のスカイラインGT-Rといって、レースでものすごく強かったんだよ」と教えてくれたんです。その一瞬の「強烈な」出会いが、私のその後の運命を変えました。幼心に「スカイラインGT-Rが欲しい!」と思ってしまったんです。父親に頼んでハコスカのプラモデルを造ってもらいました。
▲友人が貼ったという、"Kamikaze Moters" シリアルナンバーはNO.001
その想いは年を重ねても変わらず、高校生のときのクラスメートにも「将来、ハコスカを買う」と公言していたほどです。しかし、免許取り立ての若造に買えるわけもなく・・・、もっと年を取ってからでもいいかなと思っていました。そんなとき、家族が所有していたいすゞ ジェミニを買い替える話しが持ち上がり、当時、コンパクトながら馬力のある、スバル インプレッサ(GC8)に関心があったため、推してみたんです。しかも、もっともスパルタンなインプレッサWRX typeRAを・・・。さすがにエアコンすら装備されていないtypeRAは却下されましたが、インプレッサWRXが家のクルマとしてやってきました。こうして運転免許を取得後、わずか半年たらずでインプレッサWRXを乗り回していました(笑)。コンパクトなボディでありながら大パワーという、インプレッサWRXのパッケージと加速感に魅せられましたね・・・。
── このハコスカを手に入れたのはいつ頃ですか?
▲堀内さんの愛情とこだわりが詰まったハコスカ。居ながらにして人を惹きつけるオーラを放ちます
20代後半のときです。もう13年くらい所有しています。
4台のインプレッサ(すべてGC8)を乗り継ぎ、その後、このハコスカを手に入れました。あえて「GT-R仕様」のハコスカが欲しかったんです。
▲シンプルかつスパルタンな内装。ステアリングは当時のダッツン・コンペ
1台のクルマとしてはハコスカだけれど、トータルではインプレッサとの付き合いも長いですよ。事故車ベースのWRX typeRAを見つけてきて、WRX typeRA STI version2仕様に。この個体は2度エンジンブローしました。最後は大雨による水没で全損となりました・・・。後に別の個体に乗り換えて、前のクルマとそっくりの仕様に創りあげて、文字通り「箱替え」してみたり・・・。見た目はまったく同一の仕様だったので、乗り替えても気付かれませんでした。
── このクルマを所有して変化したことを聞かせてください
▲高校時代の友人たちと同窓会ツーリングしたときの模様(画像提供:堀内 聡さん)
「仲間が増えたこと」でしょうか。
高校のときにクルマ談義した仲間たちが、当時欲しいといっていたモデルを所有しているんです。
・日産サニー バン(B10)
・ロータス ヨーロッパ
・アルファ ロメオ1750GTV
・日産スカイライン2000GT 2ドアハードトップ(堀内さん)
2016年のゴールデンウィークには、同窓会を兼ねて仲間内でツーリングしましたよ。みんなが好きな「GTroman」ごっこしたり・・・(笑)。
── モディファイされている箇所はどこですか?
▲ボンネットの裏には、キャブレターのジェットのセッティングメモが。ご自身でメンテナンスされる堀内さんの愛車ならではのメモですね
購入時、エンジンやブレーキはノーマルでした。ウェーバーのキャブレターの調子がいまひとつ、マフラーも、パイプが針金で縛ってあるような状態でした。
── 購入後、モディファイした箇所はありますか?
▲現在は3基目になるという、2.8L改の3.0L仕様のL型エンジン
エンジンおよびミッションは3基目、マフラーも3本目です。現在は、L型2.8L改の3.0L仕様のエンジンを積んでいます。エンジンをフルトラ化(フルトランジスタ点火)に変更し、タコ足も組み込みました。フロントのオーバーフェンダーは、ギャランGTO純正品を流用しています。元々、この個体に装着されていたフェンダーを取り外し、あえて別のフェンダー見つけてきて加工して取り付けてあります。ワタナベのホイールも、フェンダーに収まるギリギリのラインを狙って履かせてあります。
▲ハコスカのレーシングカーと同じ造りを再現したというロールバー
ロールバーは、あえて当時モノの雰囲気を出すようにアレンジしてみたり、取付部分もレースカーと同じ造りにするなど、さりげなくこだわっています。その他、フロントの車高調や運転席のバケットシートや家のジェミニに装着されていた純正レカロシートをッ装着したり、パワーウィンドウを手動化したり・・・、あちこちに手を加えてきました。
── 愛車で「もっとも気に入っているポイント」はどこですか?
▲あえて14インチにこだわったという、ワタナベのディープリムホイール
「すべて」です(笑)。
── 愛車で「もっともこだわっているポイント」はどこですか?
▲フロントのオーバーフェンダーは、三菱ギャランGTOの純正品を流用して取り付けたそうです
あえて14インチのワタナベホイールを履かせていることでしょうか。
── 最後に、今後愛車とどう接していきたいと思いますか?
▲小笠原さんから堀内さんへ、今年のバレンタインデーに贈られたチョコレート(画像提供:堀内 聡さん)
いままでと変わらず、一生モノとして乗り続けたいです。最近は旧車の値上がりが著しいですし、思い切って手に入れて良かったです。
▲快音を轟かせてコーナーを掛け抜ける堀内さんのハコスカ
自分の理想形のハコスカを100%するなら、現在は50%くらい。残り50%は、ボディカラーの塗装やガラスの交換、ミッション、デフ、足まわりなどに手を入れたいです。あとは、もう1基エンジンを見つけてきて、気分で載せ換えて楽しむことも考えています。
彼女(小笠原さん)のお嬢さんにも乗り継いでもらいたいし、このクルマはぜったいに誰にも譲りませんよ!
── オーナープロフィール:
お名前:堀内 聡さん
年齢:41才
職業:会社員
愛車:日産スカイライン2000GT 2ドアハードトップ
年式:1971年式
ミッション:5速MT
── 補足:小笠原さんと堀内さんにお会いしてみて
▲鎌倉を感じさせる場所での撮影が実現できたのも、小笠原さんと堀内さんのお陰です
カレントライフのお問い合わせ窓口からメッセージを送ってくださった小笠原さん。ぜひとも取材してみたいと思いつつ、相次ぐ雨天で延期となり、ようやく実現しました。小笠原さんと堀内さんはまさに「ソウルメイト」。実際にお会いしてみて、強い絆と信頼関係で結ばれたお2人だと感じただけに、あえてこのような構成の記事としました。
▲堀内さんの腕時計はフランク三浦
▲小笠原さんの腕時計はTIMEX(タイメックス)
▲堀内さん愛用のPAN AM製バッグ。何と1960年代の当時モノ(!!!)なんだとか
なぜか地元・鎌倉でも接点がなく(かなりご近所に住んでいた時期もあったそうです)、偶然とは思えない出会いが重なり、まさに「事実は小説よりも奇なり」な導きで現在に至っている小笠原さんと堀内さん。小笠原さんのお父様とお姉様も、天国で喜んでいることと思います。あとは、この記事のことも喜んでいただけたら何よりです(天国にいらっしゃる、小笠原さんのお父様とお姉様、いかがでしょうか?)。
[ライター・撮影/江上透 画像提供/小笠原麻季 & 堀内聡]