ドイツ現地レポ
更新2023.11.22
ドイツの詩人、ハインリッヒ・ハイネの生家を訪ねて <時を経ても言葉を広める場所>
中込 健太郎
10月に入り、いよいよ秋めいて参りましたでしょうか。今年は猛威を振るった台風が幾度となく日本に来て爪痕を残していきました。一歩一歩、アンダンテ(歩くようにゆっくりと)な秋の深まりというのとは少し違うかもしれません。しかし、夕焼けの色やしだいに表情を変える木々、日が落ちてひんやりとした空気の匂いなどは、「ああ、秋だ。」と思わせてくれます。
秋、そんな夕方から、なんとなく出かけてみたりしたくなりますね。普段ついつい本を読まない暮らしになりがちであっても、確かに、読書の秋とはよく言ったもので、本を携えて出かけたりしたくなるものです。できれば秋から冬にかけてのヨーロッパなど訪れてみたいもの。いつもそう思うものです。
窓の外を見ながらそんな物思いに耽っていると、ドイツからハインリッヒハイネの生家についてのレポートが届きました。ハインリッヒハイネは18世紀の末に生まれた、詩人で、評論家でもあった人。その生家は現在書店になっているそうです。文学史的にみるとロマン派に属するといえる彼も、政治的動乱の時代を経験し、批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も多く発表するようになります。
平易な表現によって書かれたハイネの詩は、様々な作曲者から曲がつけられており、今日なお多くの人に親しまれていますね。人を想い、世界を思う。そしてかなわぬ想いのように、世相への疑問や、世の中の流れも思い通りになることはない。随分振り幅の大きい活躍をした当時の彼を取り巻く環境において、詩人でいることも評論家でいることも、寸分のぶれもなく「ハイネでいられる」という点ではまったく同じだったのかもしれません。
言葉を紡ぎ、人々の心を打ち、人々に警鐘を鳴らした彼が生まれた場所が、こうして時を経てもまだ、言葉を広める場所であるということを観ていると、なんだか世代を超えた「さだめ」のようなものを感じないではいられません。
秋になるとクルマと文学が非常に強く結びつきます。もしかすると、書に誘われ、クルマで旅をすると、人は多かれ少なかれ詩人に憧れるのかも。もしかするとそういうことなのかもしれません。
憧れの秋のドイツ、クルマで文学旅行などというのもオツかもしれませんね。ドイツは難しくとも、ちょっとお休みを取って、一般道を走ってゆったりとゆっくりと旅をされてみてはいかがでしょうか。ふとクルマを停めて空を見ていると、ふと忘れてしまいがちな大事なことを思い出させてくれるかもしれませんよ。
[ライター/CL編集部・中込健太郎 カメラ/ドイツ駐在員]
秋、そんな夕方から、なんとなく出かけてみたりしたくなりますね。普段ついつい本を読まない暮らしになりがちであっても、確かに、読書の秋とはよく言ったもので、本を携えて出かけたりしたくなるものです。できれば秋から冬にかけてのヨーロッパなど訪れてみたいもの。いつもそう思うものです。
窓の外を見ながらそんな物思いに耽っていると、ドイツからハインリッヒハイネの生家についてのレポートが届きました。ハインリッヒハイネは18世紀の末に生まれた、詩人で、評論家でもあった人。その生家は現在書店になっているそうです。文学史的にみるとロマン派に属するといえる彼も、政治的動乱の時代を経験し、批評精神に裏打ちされた風刺詩や時事詩も多く発表するようになります。
平易な表現によって書かれたハイネの詩は、様々な作曲者から曲がつけられており、今日なお多くの人に親しまれていますね。人を想い、世界を思う。そしてかなわぬ想いのように、世相への疑問や、世の中の流れも思い通りになることはない。随分振り幅の大きい活躍をした当時の彼を取り巻く環境において、詩人でいることも評論家でいることも、寸分のぶれもなく「ハイネでいられる」という点ではまったく同じだったのかもしれません。
言葉を紡ぎ、人々の心を打ち、人々に警鐘を鳴らした彼が生まれた場所が、こうして時を経てもまだ、言葉を広める場所であるということを観ていると、なんだか世代を超えた「さだめ」のようなものを感じないではいられません。
秋になるとクルマと文学が非常に強く結びつきます。もしかすると、書に誘われ、クルマで旅をすると、人は多かれ少なかれ詩人に憧れるのかも。もしかするとそういうことなのかもしれません。
憧れの秋のドイツ、クルマで文学旅行などというのもオツかもしれませんね。ドイツは難しくとも、ちょっとお休みを取って、一般道を走ってゆったりとゆっくりと旅をされてみてはいかがでしょうか。ふとクルマを停めて空を見ていると、ふと忘れてしまいがちな大事なことを思い出させてくれるかもしれませんよ。
[ライター/CL編集部・中込健太郎 カメラ/ドイツ駐在員]