
ライフスタイル
更新2019.08.12
カーシェアリングは自動車業界を変えるか?自動車メーカーが生き残る「2つ」の方法

JUN MASUDA
ボクは、できれば自分のクルマを所有したいとは考えているが、カーシェアについては肯定的だ。

カーシェアは便利な生活の実現に欠かせない
なぜカーシェアに肯定的なのか? それは、効率を考えると「そうならざるを得ない」からである。
たとえば、クルマを移動の手段だと割り切った場合、購入する際にかかるコスト、税金含む維持費をはじめとするランニングコストがバカにならないからだ。
しかも、毎日乗らないのであれば、「乗らない日のコストまでを無駄に支払っている」ことになる。
であれば、必要なときだけ、必要な時間だけ「クルマを借りる」といったほうが経済的なのは間違いない。 加えて、一定区間は電車や飛行機で移動し、そこからはクルマを借りるという方法を取れば、(全区間を自分のクルマで移動するより)時間だって節約できる可能性がある。
さらには自分で点検やメンテナンスを行う必要だってない。
効率的な生活を考えると「カーシェア」は必要不可欠だし、ボクは政府主導で、「カーシェア用のクルマは、路肩に専用の置き場を作る」といった感じで、どんどん普及させてほしいと考えているほどだ。
目につく範囲、どこにでもカーシェア用のクルマが停まっている(そして乗り捨てできる)という状況であれば、もっと利用のハードルは下がるだろうし、「ちょっとしたことでも」利用したいと考える人も増えるだろう。
カーシェア以外にクルマが生き残る道は?
現実問題として、日本は自由主義経済である。 よって国が企業に肩入れをすることもないし、カーシェア事業に力を入れるとも思えない。
だが、一部の国は「国策で」カーシェアを推進する可能性だってある。
そうなると、自動車を個人で所有する意味がなくなったり、そもそも個人で自動車を購入することを(高額な税金などで)制限するようになるかもしれない。
その場合、自動車メーカーとして生き残る道は2つある、と考えている。

一つは完全に「公共交通機関」として、つまりカーシェアリング用のクルマに特化することだ。
おそらくフォルクスワーゲンはこの可能性を模索しているのだろう。
そしてもう一つは、「たとえカーシェアリングが一般化したとしても、”自分で所有したい”と思える」クルマを作ることだ。
たとえばボクらは、PCやスマートフォンの画面で、いわゆる「名作」と言われる絵画を見ることはできる。
だが、そういった名作を、自分のものとして、家に飾り、常に眺めたいと思う人も多いはずだ。
別の例としては、時間を知るにはスマートフォンがあればいい。 だが、ボクらは腕時計を身につけるし、何百万円、何千万円といった腕時計を購入する人も少なくはない。
つまり、自動車についても同じことが言え、カーシェアリングが普及したとしても、「どうしても自分のものとして手元に置きたい」と思わせる、つまり所有意欲を掻きたてるクルマを作ったり、所有する満足を感じさせるクルマに特化することもまた、未来において自動車メーカーが生き残る道なのかもしれない。
つまりは「実用品」と「嗜好品」という考え方だが、これは他の業界においても”二極化”が進んでいる。
たとえば、ファッション業界においては「実用品」と「ハイブランド」との二極化が進み、外食産業においても「ファストフード」と「高級レストラン」といった二極化が進んでいる。
よって自動車にも「完全なる移動手段で、それ以上でもそれ以下でもないクルマ」と、「心を豊かにしてくれる嗜好品としてのクルマ」とに分化してゆく時代が来ると信じているし、どっちつかずな自動車メーカー、そしてクルマは完全に淘汰されるとボクは考えている。
[ライター・撮影/JUN MASUDA]