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更新2018.11.14

マニアのためのイベントから地域に根付くイベントへ。クラシックカーフェスタIN尾張旭2018

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鈴木 修一郎

この季節、全国各地毎週のようにクラシックカーイベントが開催されている事かと思いますが、今回は筆者の住む名古屋市からすぐ隣の尾張旭市で開催されるクラシックカーフェスタIN尾張旭にお邪魔してきました。



出来る事なら、今年は自分のクルマでエントリーしたかったのですが、5月のアクシデント以降長期修理になってしまい(近日中に修理完了予定)今年もエントリーはかなわずでしたが…

まずは、今回も駐車場のクルマから見ていきましょう。

まずは恒例の駐車場チェック




こちらは真っ赤なホンダS800。ちなみに画像右側は筆者が乗ってきた、代車のスズキアルト。現行軽自動車以下の大きさに収まるコンパクトさと、車高の低さがわかっていただけると思います。しかし1970年代に入ると衝突安全基準の厳格化により、こうした車高の低い小型のオープンスポーツカーの存在を世間が認めなくなってしまいます。



続いて1959年シボレーインパラ。「怪鳥が羽を広げたような」リアデザインが強烈なインパクトをもたらす59年型。一般見学者駐車場のクルマにも関わらず注目の的でした。

外車王バナー外車王バナー旧車王バナー旧車王バナー

クラシックカーフェスタIN尾張旭


まずは会場2輪の展示スペースから。現在日本のモータサイクルといえば4大メーカーに集約されているのですが、歴史を紐解いていくと日本の2輪メーカーは最盛期には自転車にエンジンを付けたモペッドタイプも含めれば200社もと300社ものメーカーが乱立した時代があり、名古屋市周辺にも自転車メーカーやモーターサイクルメーカーが100社以上存在した時代もあったそうです。

最近では、製造業の町愛知県でも忘却の彼方へと葬りされつつある「幻の2輪メーカー」の歴史を紐解いて後世に伝えようと活動している愛好者もいると聞きます。



デモでエンジンかけていた新明和ポインター、二式大艇を製造していた旧川西飛行機もまた新明和工業として戦後の民生品への事業転換で手掛けていた「幻のモータサイクル」です。

当時2輪車製造に参入していた企業の中には、そのまま消滅してしまった企業も多いですが、中には現在も存続する産業機器関連企業の名を目にする事もあります。


▲ホンダドリームCL250

CB250の派生モデルで、ブロックタイヤにセンターアップマフラーを装備したオン・オフ兼用モデルです。1960年代に入ると町工場レベルの2輪メーカーは淘汰され、日本のモーターサイクル製造は大資本のメーカーに集約されていきます。



クラシックカーフェスタIN尾張旭の名物「ポン菓子」の実演。昭和49年(1974)ホンダライフステップバンもまたエントリー車両です。クラシックカーイベントがマニアでなくても楽しめるものにする努力がこういうところで感じられます。


▲1960年(昭和35)ゴッゴモビル(西ドイツ)

元々は農機具メーカーだったグラース社の創始者の息子「ハンス・グラース」が戦後イタリアに行った際に、スクーターに興味を持ち、それを自社で製造出来ないかと着想した事が自動車生産のきっかけとなりました。そして1951年にゴッゴローラーというスクーターの製造を開始、1955年には4輪車のゴッゴモビルの生産に乗り出します。2ストロークの250ccエンジンで、日本の軽自動車黎明期の開発時に参考にされたともいわれています。

またゴッゴモビルの250ccモデルは日本の軽自動車規格内に収まるため、黄色ナンバーの軽自動車登録も可能です。(小板の白ナンバーは初年度登録1974年まで、この車両はオリンピックナンバーの白ナンバーが付いています)


▲1960年(昭和1)オースティン7ゴードンイングランドストリームライナーレプリカ

イギリスにおいて本格的な大量生産方式で4輪車の普及を促したオースティン7ですが、一方で安価なオースティン7に軽量な2シーターボディを架装して、スポーツカーやレーシングカーに仕立て上げるといういわゆるバックヤードビルダーも多く存在し、このクルマもそのバックヤードビルダーが仕立てたレーシングカーの一台をオースティンのシャシーをベースにワンオフボディで再現したクルマのようです。


▲昭和42年(1967)日産シルビア

シルビアとしては初代モデルとなりますがCSP311という型式を持つ通り、元々はSP型フェアレディのシャシーにクーペボディを架装した姉妹車となります。ボディはオールハンドメイドでボディシェルに継ぎ目が無いのが特徴です。



+2クーペにも関わらず随分大胆な(?)場所に純正クーラーが付いていました。4シーターといってもリアシートは緊急用と割り切っているのと、この時代はシルビアのような高額なクーペでもクーラーを選ぶ人はそれほどいなかったということなのでしょう。




▲昭和44年(1969)ホンダS800M

いわゆるエスハチでも最後期のモデルとなります。



大きなサイドマーカーが追加されたのは北米市場に対応させるため、ホンダS800も日本より海外で人気の高い国産クラッシックカーですが、意外や「エスハチ」の輸出先はヨーロッパのみで、最終モデルで北米の基準に対応させるためサイドマーカーを追加するものの、北米への輸出は無いまま製造中止となったそうです。


▲昭和41年(1966)トヨペットコロナ1600DX

先日のお送りした記事でも触れましたが、プレミオもモデル廃止によってコロナから続く、トヨタの中型セダンの歴史を幕を閉じようとしています。このクルマのオーナーは昭和レトロが好きでこのコロナを好きになったそうなのですが、以前のオーナーよほど大切に乗っていたようで、ボディを塗装し直した以外はまったくのノンレストア車とは思えないコンディションを保っていました。


▲1978年(昭和53)MPラッフェル

こちらはかなりの珍車ラッフェル、いわゆるMG-TDレプリカですが、このクルマはブラジルの家具メーカー「ラッフェル」のオーナーが趣味で作ったレプリカ、ベースはブラジルでも現地生産されたVWタイプ1、リアエンジン車のためフロントグリルはダミーでボンネット部分はトランクになっています。



リアのスペアタイヤケースが、エンジンフードとなりこの中に、空冷水平対向4気筒エンジンが納まっているのですが、他のMG-TDレプリカと違ってテールエンドがカーブを描いている所がVWベースであることを意識させます。

オーナーの方に話を伺ってみると「ラッフェルなんて知っている人はめったにいない」とのこと、筆者は子供の頃読んでいた自動車の児童書で何度か目にした記憶があり、クラシックカー好きとあって非常に印象に残っていたのですが、生産台数はそれほど多くないようで日本には5~6台しか入っていないのでは?という話でした。オーナーの方は過去に本物のMG-TDを所有していたそうで、手放した後に縁あってこのクルマのオーナーになったそうです。

ベースがVWだから本物より苦労しなくて、通勤や買い物などの普段使いもできてなおかつ、本物以上に珍しい所が気に入っているようでした。内装もシートも家具工房が作っただけあり、本当に戦前型のクラシックカーのような手作り感のある仕上がりが印象的でした。ちなみにラッフェル社は現在でも家具メーカーとして存続しています。


▲昭和44年(1969)スバル360スーパーDX

年式は不明ですが最終型スーパーDXでヘッドレスト付きなのでおそらく筆者と同じ昭和44年型でしょう、隣の芝生は青いとは言いますが…やはり綺麗にレストアされて一桁ナンバーが残っているスバル360は羨ましいです。



羨ましいポイントと言えばこのフォグランプ、スーパーDXの特徴的な装備なのですが、マイナスアースの電流が流れている関係上、電解腐食を起こしやすくオリジナルのフォグランプが良好な状態で残っている個体はめったにありません。


▲昭和41年(1966)ホンダT360

さっそくトナカイ風のコスプレをしていたT360。じつは知る人ぞ知る国産車初のDOHCエンジン搭載車でもあります。

ホンダは当初「ホンダS360」という360ccの軽自動車での4輪市場参入を計画していたのですが、「特定産業振興臨時措置法案」の関係で販売に不安のあったS360はお蔵入りとなり、後に軽規格よりサイズアップした「S500」でSシリーズは販売となりますが、一方で安定した需要の見込まれる軽トラック市場から4輪車市場への足掛かりを作ろうと投入されたのがT360、コンポーネンツは当初スポーツカーとして発売予定だったS360のシャシー(当時の2座席スポーツカーはトラックと同じラダーフレームも珍しくなかった)エンジンをそのまま使用。30馬力/8500rpmとトラックに有るまじき高回転、高出力型で商用車としては少々扱いにくい部分も否めなかった事でしょう。ある意味、往年のホンダらしいクルマかもしれません。



ミラーには360cc規格時代の遺構が残っていました。自賠責保険のステッカーです。軽自動車検査協会が発足したのは1972年、翌1973年から軽自動車に車検制度が導入されます。それまでは250cc以下のモーターサイクル同様、車検免除で自賠責を切った時点で公道走行が可能でした。そのため、ステッカーも今のような裏貼りではなく、モーターサイクル同様、表貼りで大体はミラーに貼っていたようです。

マニアのためのイベントから地域のイベントへ




ここ数年クラシックカーイベントが「マニアのためのイベント」ではなく地域に根差したイベントになりつつあるのをひしひしと感じます。よく、年式の区切りで苦労するという話を聞きますが、それは一方で幅広い年齢層で「クラシック(古典的)」と認識しているクルマが増えているということなのかもしれません。

自動車産業の街である愛知県にとって自動車は産業でもあり文化でもあるのです。

[ライター・カメラ/鈴木 修一郎]

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