更新2021.11.30
「六本木のカローラ」「小ベンツ」がすっかり死語となった令和3年末に思うこと
ryoshr
今から30年以上昔のあのバブルの頃のクルマ事情を振り返ってみた。
言わずもがな、その頃から変わったことがたくさんある。例えば最近高くなったガソリンも、同時はレギュラーであれば1リッターあたり100円以下、軽油にいたっては70円前後、出始めだったハイオクでも110円しなかったように思う。
今と比べると随分安かった。それだけは確かだ。
そして、自動車に関連する法律も税制も大きく変わった。ドアミラー、ハイマウントストップランプが正式に認可されたり、1年車検がなくなったり、逆に車齢によって重課税されるようにもなった。
それにしても、あの頃、お年寄りによる踏み間違いの事故って聞いたことない気がするのだが、最近急に増えたのはなぜなんだろう?などと思うが、今回そのことには敢えて触れないでおく。
そう、こうして振り返ってみると変わったものはたくさんあったが、変わっていないこともあると思う。
男の子たちの「カッコいいクルマに乗りたい」「(女の子に)モテたい」という気持ちは、若干の強弱の違いはあるにしても、脈々と流れる「偽らざる本心なんでないか」と思う。
筆者をはじめ、クルマは好きだったが貧乏で、バブルの波に乗りきれず・・・。当時憧れの存在だった輸入車には乗れなかったが、モテたい一心でいろいろなことをしていた気がする。令和3年のカレンダーが残り1枚になろうとしているタイミングで、そんなことを思い出してみた。
■ナンパに行くときはできだけ大きなクルマで行く
バブルの頃に輸入車がもてていたのは都会だけで、田舎は「バブルだから」という理由だけで輸入車や(当時の)3ナンバー車が急に増えたという印象はない。
とはいえ、ナンパに行くときは国産の5ナンバー車でも、できるだけ大きなサイズのクルマを持っている友人のクルマで行ったように思う。例えばマークIIやチェイサー、ローレルやセドリック・グロリアといったクルマを選んだものだ。友人本人のクルマではなく、お父さんのクルマだったこともあった。
しかし、当時の女の子たちはクルマのサイズでナンパOKかNGかを判定していた様子はなかったような気がする。
ナンパしている本人のスペック(問題?)をいったん除外すると、多分、女の子たちはまずナンバーでふるいにかけていたように思う。
当時は湘南ナンバーがなかったので、やはり品川・横浜あたりのナンバーは戦果良好で、大宮・習志野などのナンバーでは、よほど条件が揃わないとナンパは成功しなかった。
しかし、大きなクルマで行く意味は別のところで発揮された。海の近くでナンパをしていると、地元のヤンチャな人に叱責されるケースがあった。
「君たち、私たちの居住エリア内で風紀を乱すような行動は謹んでいただけませんか?」をそれぞれの土地の方言で比較的大きな声で注意されるのだ(諸般の事情により原文の掲載を控えています)。
そういえば、極端に車高が下げられていたり、派手なスポイラーが装着されたクルマから叫ばれるケースが多かった気がする。しかし、大きなクルマの場合には、その手の注意を受ける確率がかなり下がることを経験的に学んでいたように思う。これは今の時代も変わらない気がする。
リアガラスに「ドライブレコーダー作動中」のステッカーを貼るよりも、2世代前あたりのメルセデス・ベンツSクラスに乗っていた方が「魔除け(煽り対策)」としてよほど効果的、という認識はあながち間違っていない気がする。
■パワーウインドウがトレンディ?
今となってはサイドウインドウがモーターで上下するのが当たり前だし、若い人はウインドレギュレーターのハンドルの使い方がわからない人もいるらしい。ダイヤル式の黒電話の使い方がわからないことと同じことなのかもしれない(ちょっと違うか・笑)。
バブルの頃、特に輸入車の豪華装備のなかでもパワーウインドウはダントツに羨ましいものだった。
当時は国産車向けのアフターパーツでレギュレーターハンドルのところにモーターボックスを後付してパワーウインドウへ改造するものもあったが、貧乏な我々にはそれすらも高嶺の花だった。
そこで、肩を動かさずにハンドルを回す練習をした。大真面目に、だ。今で言えば、エスカレーターを降りていくパントマイムのようなもので、瞬間芸かと思われるかもしれないが、割と本気で自然な笑顔でスイッチをカチっと押すかのようにハンドルを回すようになれば、モテるかもしれないと本気で考えていたものだ。
しかし、当時のハンドルはどのクルマも重く、なんなら両手を使わないとハンドルが回らないクルマも多かった。その練習はそうそうに諦め、最初からウインドウは開けておく作戦へと切り替わっていったわけだ。
時代が一周したのか、いまでは手動のウィンドウが「当時モノっぽくてスパルタンでカッコいい」と思う若い世代のクルマ好きもいると聞く。カッコいいかどうかはさておき、古いクルマであればあるほど、故障要因となる装備が減るのはいいことだ(笑)。
■せめて、タバコだけでも輸入モノ
輸入車を愛車にすることは果てしなく遠い道のりだと思っていたあの頃、せめて小道具としてのタバコだけでも輸入モノにしていた人も多かったと思う。
今ではタバコの健康被害に配慮して、国内外のタバコメーカーがモータースポーツのスポンサーになることはなくなってしまったが、当時の四輪・二輪のレースではタバコメーカーがたくさんスポンサードしていたことを記憶している人も多いと思う。クルマ好きな人たちは、応援するクルマをスポンサードしていたブランドのタバコを選んで吸ったりしていたものだ。
当時、国産タバコは一箱200円前後だったはずだが、輸入タバコはそれよりも50円から100円は高かったように思う。マールボロ、ラーク、ラッキーストライク、キャメル、ロスマンズ、555という名前を聞くと、そのロゴとともにそのロゴが大きくボディに貼られたクルマを思い出すに違いない。
クルマで言えばF1やパリダカ(ラリー)、バイクでいえば鈴鹿8耐などを駆け抜けていたクルマやバイクのボディには、タバコブランドのロゴが光っていた時代だった。国産タバコよりもちょっと高い輸入タバコを吸って、ちょっとだけそんなクルマやバイクを応援した気になっていたものだ。
当然、国産タバコよりもかっこいいと思ってたし、カッコつけるにはちょうどいいアイテムだった。ちょっと脱線すると、海外タバコに詳しくなかった筆者は黒いボディにゴールドのアクセントが入ったロータスに描かれていたJPSがタバコのブランドということを後から知ったなんてこともあった。
そのスポンサーがタバコメーカーかどうかというよりも、なによりその頃のクルマやバイクに貼られていたロゴマークはそれぞれがカッコいいものだった。
そして、ところかまわずモクモクとそんな輸入タバコを吸っていた人たちも、なぜか自分のクルマの中だけは禁煙にしていたし、潔癖症が進むと土足厳禁というルールを課していたというなんともアンバランスなことになっていた人も多かったように思う。
■「六本木のカローラ」「小ベンツ」がすっかり死語となった令和3年末に思うこと
「バブル当時に現役だったBMW3シリーズ(E30型)や、メルセデス・ベンツ190シリーズ(W201型)は、それぞれ「六本木のカローラ」、「小ベンツ」などと揶揄されたものだ。
ただそれは、BMWもメルセデスも「高級車」というある意味「レッテル」を貼られてのことだ。
おじさんのアイドル・森高千里さんの「私がおばさんになっても」の中では、当時オープンカーでブイブイいわせていた彼氏もおじさんになったらお腹が出るものと決められていた。
これもおじさんはお腹が出ているものという「レッテル」というか、当時の常識だったのかもしれない。
しかし令和の今、BMWもメルセデスもトヨタやニッサンと比較してもべらぼうに高いわけではないし、無駄にコスパが悪いわけでもない。
そういう意味では、令和の時代は「XXXはこういうもの」という既成概念的なステレオタイプな決めつけはもう、通用しない時代になったと強く感じている。
森高千里姫に今でも胸踊らせるおっさんたちは、そんなにお腹が出てない可能性もある(笑)。
バブルの時代は、何だかものすごく決めつけの時代ではないかと思い返すことが多かったように思う。
あれから30年経った今、そういう決めつけに縛られる必要もなくなったように感じていて、拡大解釈かもしれないけれども、お金持ちではない、普通の人もBMWやメルセデスを自分で買うクルマの選択肢に入れるようになったんではないかもしれない、と思ったりもしたことも事実だ。
「六本木のカローラ」「小ベンツ」がすっかり死語となった令和3年末に思うこと。
今から思い返してみると、なんとも漫画のようなというか、笑い話なようなアンバランスなことを、一生懸命やっていたように思う。
当時のおじさんたちは若者たちがやっていたおかしな行動を咎めるでもなく、バカにするでもなく、時にはサポートしてくたりもしていた気がする。ありがたかったなあ。
筆者自身がおじさんになった今、イマドキの若者たちが今回書いたようなバカなことなどするはずがないことを知ってはいる。
若い人にはもう少しバカバカしいと思うようなことにエネルギーを使ってみて、いい思い出を作って欲しいと思うところから老害が始まっていることも理解しているので、今回はこのあたりで止めておくことにする。
それにしても、あの頃、貧乏だったけど楽しかったなあ(しみじみ)。
[ライター・ryoshr/画像・Mercedes-Benz、BMW、AdobeStock]