イベント
更新2023.11.22
今もとめどなく魅力あるクルマ達に会いに。ビトルボフェスタ2017 イベントレポート
中込 健太郎
今でも「こんにちは」の挨拶の前に、「中込さん、クルマ壊れませんか?」と聞かれることは珍しくありません。随分なご挨拶だ、と思う反面、この国では幾多のこのシリーズのマセラティに関する「風評」が蔓延してきたので、それも無理はない話なのですが、この際はっきり申し上げておくと、そう私にご挨拶される方の多くがお乗りの、もっと穏便そうなクルマなどよりもはるかに壊れませんしお金もかかりません。
それも、かろうじて動いているのではなく、今もとめどなく魅力を振りまいてきますので、乗るほどに新鮮な気持ちになり、乗るほどに惚れ直すようなそんなクルマでございます!(まあ、外装パーツはじめ、汎用品の少ないクルマですので、案外なんでもない板金のようなことで思いがけず戻ってこない、という経験はありますが。)
マセラティ430を購入したのが「買うなら年を明かす選択肢はない」と思っていた、マセラティ創立100周年の2014年の秋のこと。それからもうすぐ3年になるのですね。早いものです。前述のような思いがけずいい出会いで私のもとにやってきた430。購入してからいろんなお友達ができ間ました。いろんな体験もできました。今でもこれと入れ替えで放出したシトロエンBX16TRSは「取っておけばよかった」と思うこともしばしばですが、それでも、あのクルマだけでは味わうことのできなかった体験を、マセラティ430は私にもたらしてくれたことは間違いないでしょう。(手放さなければよかった、という点では、最初の愛車W124も、つなぎで何となく購入したプレサージュライダーも、昨年末買い手がついて私の元を突如旅立つことになったシルビアヴァリエッタについても言えることではあるのですが……)
なかなかライター風情では、日々がカツカツ「火の車」というより「日々クルマ」と言いう感じ。追われ、転がる日々の小生。購入後すぐにお邪魔したマセラティクラブオブジャパンのイベント(マセラティ100周年を飾る公認イベントとしては世界で一番最後のものでした。)に参加してから、私自身の入会は今も先延ばしになっている始末。オーナーに対してはいろいろな体験をさせてくれているのに、オーナーはそんな体たらくな私のところへ嫁いできて、なんだかかわいそうなわが430。挙句にまるでクラウンみたいに普通に使うんですから、気の毒なほどです。
そんな状況ですので、「ビトルボフェスタ2017」の開催の案内を見つけたときには大至急参加することにしました。私のクルマのコンディションはおかげさまでいいものですが、とはいえビトルボでなくてもクルマなんて言うものは限りあるもの、いつ壊れて、朽ちて、路傍で佇むことになるかもわからないのです。今このタイミングで「健やかなるビトルボ」があること自体のありがたさ、ご縁というのがあるのです!折角の機会であるので、仲間たちとの再会もさせてあげて、オーナーの私はともかく、いちいち異端車扱いされる「ビトルボ」のリムジン430の晴れ姿は私自身ちょっと見てみたかったのです。
▲出発前夜はなんだかそわそわしてしまい、結局朝を待たずに出発。以前取材して顔なじみなったおじさんのいる足柄SAで温泉に入って夜を明かした。
2010年に「ビトルボを100台集めよう」ということで開催されたビトルボフェスタ。あまりルーティン化するのもちょっと違うだろうし、その後、会場になった日本平ホテルの全館改装などもあり、開催されることのなかったこのイベント。リニューアル後も実は芝生庭園での撮影などもできる、ということになったりして、急きょ開催されることになったのだという今回のビトルボフェスタ。前回100台を目指して結局85台が集まったこと、急きょ開催されることになったこと、そして、あれから7年。ビトルボ自体を維持する環境は一層厳しくなっていることなどもあり、主催者の読みでは「20台くらい集まればいい方」という感じだったということのようですが、ふたを開ければ53台のエントリー。そして大幅に想定を超える勢いだったので、途中で募集を打ち切らざるを得なくなったのだとか。
▲静岡は筆者が中学高校の6年間、静岡聖光学院の寮に入っていて過ごした第二の故郷のような場所。日本平は母校の裏山でもあるのだ。懐かしい母校の通学路にある小鹿の二ツ池の桜。ついクルマを停めてしばし佇んでしまった。
マセラティのメーカー自体は、できれば蓋をしたい時代のようですが、しかし、かなり人気のギブリや、レヴァンテみたいな新たなカテゴリーのクルマにも進出しているマセラティ。100周年を過ぎてから勢いにも弾みがついてますね。しかし、一時販売が大きく落ち込み、モデナからマセラティの工場の灯が消えそうなときに、アレハンドロ・デ・トマソが「モデナから灯を消してはいけない!」と涙を流したとか流さなかったとか。そんな浪花節ならぬ「モデナ節」で経営に手を差し伸べ生きながらえたときに、3シリーズのようなもう少し低価格なクルマで量販を、と開発された全く新しいモデルがビトルボでした。サイズはコンパクトながら、内装は高級で。価格は3シリーズなどよりも高価格というボジションを確立し、最盛期には年間5000台も生産されたことがある、人気のクルマとなりました。その後、その整備性の悪さや、品質の難もあって、人気は衰えますが、いち早くツインターボを採用するなどというメカニズムは非常にチャレンジングなもの。
そして、現在のマセラティの4ドアモデルもすべてターボ車になったあたり、小生個人的には最新のクアトロポルテ、ギブリ(ギブリベースのレヴァンテも結果的には)ビトルボの「その先のストーリー」なのではないかと思うほど。孤高のマイルストーン、それがビトルボなのです。前置きが長くなりましたが、今回のビトルボフェスタの前は、まさにこんな風に一人脳内で饒舌になって、なかなか眠れず、前の晩に家を出てしまったほどです。
静岡はかなり温暖な場所。雪が降ることも稀ですし、南九州や四国などに近い気候なのではと思うほど。しかしながら今年は例年に比べてかなり桜の開花が遅かったのだとか。ということで、本来は「もう桜が完全に散ってしまっている時期」だったはずのこのビトルボフェスタ。なんと日本平ホテルに着くと、満開を経てようやく散り始めるところ。素晴らしいではありませんか。イベント自体は日曜日ですが、前泊される方もいらっしゃるというのでそちらに加わることにしました。土曜日の15時過ぎ、マセラティのビトルボモデルが続々到着。ようやく春らしくなった日本平パークウエーをビトルボたちが連なってドライブ。途中で主催者の方が走行写真を撮ってくださったりしました。
日が暮れると、オーナーの皆さんとお食事です。普段は周囲から場合によっては奇異な目で見られることすらあるビトルボオーナーはしかし、温厚で和やか。ほかの車種のイベントで、もっと険悪なというか、どこかとげのあるような雰囲気のイベントだってなくはないように思いますが、こんなに温和な雰囲気なイベントはマセラティだからでしょうか。
▲サンルーフ付きはなかなか珍しいようだが、ついている以上乗るたびに降っていなければ開けることにしている。車内は春の置き土産でいっぱいになってしまった。
あるいは、胆力の鍛えられたビトルボオーナーの集まりだからでしょうか。この日も私の430を仕上げられた練馬のスペシャルショップ「マイクロデポ」の岡本さんも同席されましたが、この国でいわゆるビトルボへの画竜点睛を手掛けた職人さん、そこまでこだわった愛好家の方が大勢いたおかげで、今やこのクルマ本来の性能を語る時を迎えたと言ってもいいのではないでしょうか。
神がかった設計だがしかし、組み付ける工場のおじさんはややむらっけがあったのか、たぶん多くの個体がラインオフした段階では本来の精度が出ておらず、当初目論んだ性能に達していなかった個体も多かったのかもしれません。しかし、今残っているクルマはエンスージアストを二度見させる魅力を放つ名車がほとんどなのではないでしょうか。乗るとわかりますが、お金のかかり方がこのディメンジョンのクルマではちょっとあり得ないくらいかかっていますし、実にエンジンが性能を湧き出す折々で、感心させられる制御が働いています。しかもCADを使わず。マエストロの手でそうなるように引かれた線を形にしている。
多少機会としては気まぐれなことはあるのです、まるで生き物のように。雄々しく加速しますが、ちょっと目を伏せたくなるほど艶やかだったりもするのです。そんなクルマの苦労話をする人はいません。私は幸運にもそんな苦労と呼べるものは支払いの金策位なものでして、それよりもご苦労をされた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、そんなことを、同じクルマを駆って日本武尊の伝説の地まで集いし仲間と話すのは時間の無駄、無粋でもあります。それよりも、そんなことがあってもなお余りある魅力を共有し、心から歓びに浸るかのようなひと時。
クルマの集いはぜひこうありたいものだとつくづく感じたものです。夜が更けるまでビトルボの話。こうしたらもっと早くなるな、などともくろんだりする話。この時間、愛車は静岡の街を見下ろす駐車場で休んでいますが、オーナーのだれもがマセラティのビトルボ系モデルを所有していたからこその時間を味わったことでしょう。
▲2次会、3次会と会を進めても話が尽きることはない。ほんといいクルマに巡り合えたものだと思ったものだ。
あくる朝、朝食をすますと、当日参加の参加者とも合流するため駐車場に向かいます。日本平ホテル自慢の芝生庭園に停めて改めて集い、オーナー同志の交流を深める時間とします。
一回りしてから、ビトルボ~僕の430や、顔つきがオリジナルのビトルボに近いモデル、ギブリ、シャマル、クアトロポルテ、3200GTという風にグループに分かれ、少しずつ芝生に入っていきます。新しいモデルでも20年前のクルマ。
一応「オイル漏れなど心配なクルマは段ボールを敷いて下さい」というアナウンスがありました。紳士的なオーナーですので、数台は下に敷いていたクルマもいましたが、コンディション的に難のあるようなクルマはいません。
またそれ以上に注意されたことは「芝生の上で急加速しないでください」ということですが、あれは、世の風評どうり「3000回転以下では走らない」などというシロモノがいたらどうしようもないことですが、そんなところで巻き上げる様なクルマは一台もいませんでした。しっかりとトルクの沸き出るジェントルな挙動のクルマとジェントルな運転のドライバーばかり。そういうことを体感できるだけでも乗ってみてよかったと思うわけです。
芝生の上で記念撮影のあと、全員で食事をしました。海外からはビデオメッセージが届いたりしました。海外にもビトルボの愛好家は沢山いるのです。「愛車でそこに参加できないのがとても残念。」そんなメッセージをくださいました。ビトルボ世代のマセラティが近年ヨーロッパでも再評価される始めているのだそうです。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの越湖会長もあいさつに立ち「クラブの立ち上がる前、マセラティが5台くらい集まるだけでも興奮する時代がありました。
今これだけのクルマが集まる。何かあのころの思いがよみがえるようです。」とあいさつし、そんなイベントを取りまとめた、白上夫妻に敬意を表して一枚の写真が贈呈されました。それは1980年秋に撮影された、ビトルボの一番最初のランニングプロトタイプの写真です。この時歴史がつながったと言っても過言ではありません。「完成したのが秋だったので、夏場に燃料がパーコレーションを興すトラブルはここで洗い出すことができなかったようですが」と越湖さんが紹介すると、会場からは笑いがこみ上げていました。
▲マセラティクラブオブジャパンの越湖会長(右)から写真を贈呈される今回の発起人白上さん(左)素敵な会の開催に私も心よりお礼を申し上げたい。
今集えることの歓び。こうしてオーナーも愛車の健やかさあってこそです。この後また別れを惜しみつつ参加者は帰途についていきました。クルマそれぞれのオーナー同士の集いはあるでしょう。ビトルボオーナーの集い、なかなかいいものです。そしてそんなビトルボマセラティ430、惚れ直してしまいました。
また久しぶりの高速巡行のあと、エンジンは心持ち軽やかになったような。やはり普段から使えるクルマですが、本領はハイウェイクルーザーなのだなあ。しかしいいクルマだなあ、駐車場に置くと改めてそんな気持ちがこみ上げてきました。クルマとの暮らしは限りあるもの。未来永劫一緒にはいられないかもしれません。しかしながらこれからも可能な限りこのクルマの良さを堪能しようと思います。
▲当日通常通り結婚式も執り行われていた。その脇をビトルボは出入りすることとなった。末永くお幸せに。
[ライター・カメラ/中込健太郎]
それも、かろうじて動いているのではなく、今もとめどなく魅力を振りまいてきますので、乗るほどに新鮮な気持ちになり、乗るほどに惚れ直すようなそんなクルマでございます!(まあ、外装パーツはじめ、汎用品の少ないクルマですので、案外なんでもない板金のようなことで思いがけず戻ってこない、という経験はありますが。)
マセラティ430を購入したのが「買うなら年を明かす選択肢はない」と思っていた、マセラティ創立100周年の2014年の秋のこと。それからもうすぐ3年になるのですね。早いものです。前述のような思いがけずいい出会いで私のもとにやってきた430。購入してからいろんなお友達ができ間ました。いろんな体験もできました。今でもこれと入れ替えで放出したシトロエンBX16TRSは「取っておけばよかった」と思うこともしばしばですが、それでも、あのクルマだけでは味わうことのできなかった体験を、マセラティ430は私にもたらしてくれたことは間違いないでしょう。(手放さなければよかった、という点では、最初の愛車W124も、つなぎで何となく購入したプレサージュライダーも、昨年末買い手がついて私の元を突如旅立つことになったシルビアヴァリエッタについても言えることではあるのですが……)
なかなかライター風情では、日々がカツカツ「火の車」というより「日々クルマ」と言いう感じ。追われ、転がる日々の小生。購入後すぐにお邪魔したマセラティクラブオブジャパンのイベント(マセラティ100周年を飾る公認イベントとしては世界で一番最後のものでした。)に参加してから、私自身の入会は今も先延ばしになっている始末。オーナーに対してはいろいろな体験をさせてくれているのに、オーナーはそんな体たらくな私のところへ嫁いできて、なんだかかわいそうなわが430。挙句にまるでクラウンみたいに普通に使うんですから、気の毒なほどです。
そんな状況ですので、「ビトルボフェスタ2017」の開催の案内を見つけたときには大至急参加することにしました。私のクルマのコンディションはおかげさまでいいものですが、とはいえビトルボでなくてもクルマなんて言うものは限りあるもの、いつ壊れて、朽ちて、路傍で佇むことになるかもわからないのです。今このタイミングで「健やかなるビトルボ」があること自体のありがたさ、ご縁というのがあるのです!折角の機会であるので、仲間たちとの再会もさせてあげて、オーナーの私はともかく、いちいち異端車扱いされる「ビトルボ」のリムジン430の晴れ姿は私自身ちょっと見てみたかったのです。
▲出発前夜はなんだかそわそわしてしまい、結局朝を待たずに出発。以前取材して顔なじみなったおじさんのいる足柄SAで温泉に入って夜を明かした。
2010年に「ビトルボを100台集めよう」ということで開催されたビトルボフェスタ。あまりルーティン化するのもちょっと違うだろうし、その後、会場になった日本平ホテルの全館改装などもあり、開催されることのなかったこのイベント。リニューアル後も実は芝生庭園での撮影などもできる、ということになったりして、急きょ開催されることになったのだという今回のビトルボフェスタ。前回100台を目指して結局85台が集まったこと、急きょ開催されることになったこと、そして、あれから7年。ビトルボ自体を維持する環境は一層厳しくなっていることなどもあり、主催者の読みでは「20台くらい集まればいい方」という感じだったということのようですが、ふたを開ければ53台のエントリー。そして大幅に想定を超える勢いだったので、途中で募集を打ち切らざるを得なくなったのだとか。
▲静岡は筆者が中学高校の6年間、静岡聖光学院の寮に入っていて過ごした第二の故郷のような場所。日本平は母校の裏山でもあるのだ。懐かしい母校の通学路にある小鹿の二ツ池の桜。ついクルマを停めてしばし佇んでしまった。
マセラティのメーカー自体は、できれば蓋をしたい時代のようですが、しかし、かなり人気のギブリや、レヴァンテみたいな新たなカテゴリーのクルマにも進出しているマセラティ。100周年を過ぎてから勢いにも弾みがついてますね。しかし、一時販売が大きく落ち込み、モデナからマセラティの工場の灯が消えそうなときに、アレハンドロ・デ・トマソが「モデナから灯を消してはいけない!」と涙を流したとか流さなかったとか。そんな浪花節ならぬ「モデナ節」で経営に手を差し伸べ生きながらえたときに、3シリーズのようなもう少し低価格なクルマで量販を、と開発された全く新しいモデルがビトルボでした。サイズはコンパクトながら、内装は高級で。価格は3シリーズなどよりも高価格というボジションを確立し、最盛期には年間5000台も生産されたことがある、人気のクルマとなりました。その後、その整備性の悪さや、品質の難もあって、人気は衰えますが、いち早くツインターボを採用するなどというメカニズムは非常にチャレンジングなもの。
そして、現在のマセラティの4ドアモデルもすべてターボ車になったあたり、小生個人的には最新のクアトロポルテ、ギブリ(ギブリベースのレヴァンテも結果的には)ビトルボの「その先のストーリー」なのではないかと思うほど。孤高のマイルストーン、それがビトルボなのです。前置きが長くなりましたが、今回のビトルボフェスタの前は、まさにこんな風に一人脳内で饒舌になって、なかなか眠れず、前の晩に家を出てしまったほどです。
静岡はかなり温暖な場所。雪が降ることも稀ですし、南九州や四国などに近い気候なのではと思うほど。しかしながら今年は例年に比べてかなり桜の開花が遅かったのだとか。ということで、本来は「もう桜が完全に散ってしまっている時期」だったはずのこのビトルボフェスタ。なんと日本平ホテルに着くと、満開を経てようやく散り始めるところ。素晴らしいではありませんか。イベント自体は日曜日ですが、前泊される方もいらっしゃるというのでそちらに加わることにしました。土曜日の15時過ぎ、マセラティのビトルボモデルが続々到着。ようやく春らしくなった日本平パークウエーをビトルボたちが連なってドライブ。途中で主催者の方が走行写真を撮ってくださったりしました。
日が暮れると、オーナーの皆さんとお食事です。普段は周囲から場合によっては奇異な目で見られることすらあるビトルボオーナーはしかし、温厚で和やか。ほかの車種のイベントで、もっと険悪なというか、どこかとげのあるような雰囲気のイベントだってなくはないように思いますが、こんなに温和な雰囲気なイベントはマセラティだからでしょうか。
▲サンルーフ付きはなかなか珍しいようだが、ついている以上乗るたびに降っていなければ開けることにしている。車内は春の置き土産でいっぱいになってしまった。
あるいは、胆力の鍛えられたビトルボオーナーの集まりだからでしょうか。この日も私の430を仕上げられた練馬のスペシャルショップ「マイクロデポ」の岡本さんも同席されましたが、この国でいわゆるビトルボへの画竜点睛を手掛けた職人さん、そこまでこだわった愛好家の方が大勢いたおかげで、今やこのクルマ本来の性能を語る時を迎えたと言ってもいいのではないでしょうか。
神がかった設計だがしかし、組み付ける工場のおじさんはややむらっけがあったのか、たぶん多くの個体がラインオフした段階では本来の精度が出ておらず、当初目論んだ性能に達していなかった個体も多かったのかもしれません。しかし、今残っているクルマはエンスージアストを二度見させる魅力を放つ名車がほとんどなのではないでしょうか。乗るとわかりますが、お金のかかり方がこのディメンジョンのクルマではちょっとあり得ないくらいかかっていますし、実にエンジンが性能を湧き出す折々で、感心させられる制御が働いています。しかもCADを使わず。マエストロの手でそうなるように引かれた線を形にしている。
多少機会としては気まぐれなことはあるのです、まるで生き物のように。雄々しく加速しますが、ちょっと目を伏せたくなるほど艶やかだったりもするのです。そんなクルマの苦労話をする人はいません。私は幸運にもそんな苦労と呼べるものは支払いの金策位なものでして、それよりもご苦労をされた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、そんなことを、同じクルマを駆って日本武尊の伝説の地まで集いし仲間と話すのは時間の無駄、無粋でもあります。それよりも、そんなことがあってもなお余りある魅力を共有し、心から歓びに浸るかのようなひと時。
クルマの集いはぜひこうありたいものだとつくづく感じたものです。夜が更けるまでビトルボの話。こうしたらもっと早くなるな、などともくろんだりする話。この時間、愛車は静岡の街を見下ろす駐車場で休んでいますが、オーナーのだれもがマセラティのビトルボ系モデルを所有していたからこその時間を味わったことでしょう。
▲2次会、3次会と会を進めても話が尽きることはない。ほんといいクルマに巡り合えたものだと思ったものだ。
あくる朝、朝食をすますと、当日参加の参加者とも合流するため駐車場に向かいます。日本平ホテル自慢の芝生庭園に停めて改めて集い、オーナー同志の交流を深める時間とします。
一回りしてから、ビトルボ~僕の430や、顔つきがオリジナルのビトルボに近いモデル、ギブリ、シャマル、クアトロポルテ、3200GTという風にグループに分かれ、少しずつ芝生に入っていきます。新しいモデルでも20年前のクルマ。
一応「オイル漏れなど心配なクルマは段ボールを敷いて下さい」というアナウンスがありました。紳士的なオーナーですので、数台は下に敷いていたクルマもいましたが、コンディション的に難のあるようなクルマはいません。
またそれ以上に注意されたことは「芝生の上で急加速しないでください」ということですが、あれは、世の風評どうり「3000回転以下では走らない」などというシロモノがいたらどうしようもないことですが、そんなところで巻き上げる様なクルマは一台もいませんでした。しっかりとトルクの沸き出るジェントルな挙動のクルマとジェントルな運転のドライバーばかり。そういうことを体感できるだけでも乗ってみてよかったと思うわけです。
芝生の上で記念撮影のあと、全員で食事をしました。海外からはビデオメッセージが届いたりしました。海外にもビトルボの愛好家は沢山いるのです。「愛車でそこに参加できないのがとても残念。」そんなメッセージをくださいました。ビトルボ世代のマセラティが近年ヨーロッパでも再評価される始めているのだそうです。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの越湖会長もあいさつに立ち「クラブの立ち上がる前、マセラティが5台くらい集まるだけでも興奮する時代がありました。
今これだけのクルマが集まる。何かあのころの思いがよみがえるようです。」とあいさつし、そんなイベントを取りまとめた、白上夫妻に敬意を表して一枚の写真が贈呈されました。それは1980年秋に撮影された、ビトルボの一番最初のランニングプロトタイプの写真です。この時歴史がつながったと言っても過言ではありません。「完成したのが秋だったので、夏場に燃料がパーコレーションを興すトラブルはここで洗い出すことができなかったようですが」と越湖さんが紹介すると、会場からは笑いがこみ上げていました。
▲マセラティクラブオブジャパンの越湖会長(右)から写真を贈呈される今回の発起人白上さん(左)素敵な会の開催に私も心よりお礼を申し上げたい。
今集えることの歓び。こうしてオーナーも愛車の健やかさあってこそです。この後また別れを惜しみつつ参加者は帰途についていきました。クルマそれぞれのオーナー同士の集いはあるでしょう。ビトルボオーナーの集い、なかなかいいものです。そしてそんなビトルボマセラティ430、惚れ直してしまいました。
また久しぶりの高速巡行のあと、エンジンは心持ち軽やかになったような。やはり普段から使えるクルマですが、本領はハイウェイクルーザーなのだなあ。しかしいいクルマだなあ、駐車場に置くと改めてそんな気持ちがこみ上げてきました。クルマとの暮らしは限りあるもの。未来永劫一緒にはいられないかもしれません。しかしながらこれからも可能な限りこのクルマの良さを堪能しようと思います。
▲当日通常通り結婚式も執り行われていた。その脇をビトルボは出入りすることとなった。末永くお幸せに。
[ライター・カメラ/中込健太郎]