
ライフスタイル
更新2017.07.29
「あいつがスーパーカーオーナー?」と妬んでいるうちは永遠に欲しいクルマは手に入らない
松村 透
仮に、新車のランボルギーニ アヴェンタドールを買おうとしたら、筆者の実家の地域であれば新築の一軒家が手に入ります。若くしてアヴェンタドールを買えるということは、(その方法はさておき)何らかのリスクを背負ったその対価だと思うのです。もちろん、実家がお金持ちだから買える(多少なりとも援助してもらえる)というケースもあるはずですが、こればかりは運命なので気にしても無意味だと考えています。
妬みたくなる気持ちも分かる。かつて自分もそうだったから・・・

筆者が最初のクルマを手に入れることができたのは24才のとき。運転免許を取得してから5年の歳月が過ぎていました。その間は、親のクルマを借りたり、友人のクルマの助手席に乗せてもらったり・・・。では、なぜ買えなかったのか?それは単純に「お金がなかったから」です。何度か安いクルマを買おうとしたけれど、なかなかいいご縁に恵まれず・・・。あれは忘れもしない二十歳のとき。20万円でフォルクスワーゲン ゴルフGTI(ゴルフII)を買わないかというお話しをいただいたときも、なかなか決断できず断ってしまったのです。ああ、あのときの自分をハリセンでぶっ叩きたい・・・。
20代半ば近くともなれば、同級生たちはすでに2台目、3台目へと乗り換える人もちらほら。いわゆる「オトコの60回ローンを組んで」新車を買う仲間もいました。それはもう羨ましくて仕方なかったです。こちらはというと、買えもしないのに地元の中古車販売店に行ってクルマを眺めたり、カーセンサーや、いまとなっては懐かしいウィズマンを書店で立ち読みしたり・・・(この時代はインターネットはほとんど普及していませんでした)。クルマも持っていなかったし、暇だったこともあり、某所に展示されていたランボルギーニを眺めるためだけに、片道50kmくらいの距離を夜な夜な自転車で走ったことが何度もありました。いまにしてみれば、何だか悶々とした日々を過ごしていたように思います。
妬んでいると運も縁も逃げていく?

筆者の後輩(大学生)の愛車を取材させてもらったときのことです。ようやく記事が完成し、公開の日を迎えました(画像のNSXはイメージ。このときはカレントライフの取材ではありません)。公開された記事は、その媒体が運営している各公式SNSでもピックアップされるため、たくさんの読者の方の目に触れることになります。
後輩の記事が公式Facebookページで取り上げられると、さっそくさまざまなコメントが書き込まれていました。筆者も、そして後輩も、ある程度は予想し覚悟もしていましたが、心ないコメントもちらほらと・・・。「どうせ親に買ってもらったんだろ」とか「金持ち」、「ボンボン」など・・・。後輩もさすがに心を痛めたようです。
後輩の名誉のためにいっておくと、(車種は伏せますが、画像のNSXのような高級車ではありません)クルマはヤフオクで購入していますし、ビジネスホテルの夜勤のアルバイトで貯めたお金の大半をつぎ込んで現在の愛車を手に入れています。後輩は「親が買ってくれるくらいなら、どんなに安くてもクルマなんて要らないです!」と言い切る男です。そんな後輩も今年は就活の年でしたが、早々に大手企業への内定が決まったのだとか。就職してお金が貯まったら、念願だったロータス エリーゼ(シリーズ1)の中古車を買うんだと張り切っています。
「ほとんどの人が何らかのリスクを背負ったから買えた」という真実

前述の後輩もそうですし、筆者がこれまで手に入れたクルマもそうだと思うのですが、何らかのリスクを伴っていることは確かです。虎の子の貯金を頭金に充てたり「こんなローン組んで大丈夫かな」と、内心どきどきしながらサインしたり、勢いで収入を超える車両本体価格のクルマを買ってしまったり・・・。
筆者の知り合いの方(60代/会社経営)もある高級車をお持ちですが「こんなのラクして買えるわけがないよ。他の人がカレンダーどおりに休んだり、海外旅行に出掛けているときに脇目もふらず頑張って働いたから買えたんだと思うよ。そこはスルーして(高いクルマを)持っていることだけを見てを妬む人が案外多いかもしれない」と仰っていました。傍目には、高級車に乗ってゴルフ三昧で、さらには夜の街に出撃・・・。一見すると遊んでばかりいる方でも、かつては不眠不休で働いたからこそいまがあるという視点で観ると、また印象が変わってくるかもしれません。
諦めたらおしまいだけれど、妬んだら最後。なぜなら・・・

筆者は心理学の専門知識がないので、あくまで素人考えになってしまうのですが、妬むということは「自分にはできないけれど、それを実現している人が自分の意識の届く範囲にいて何とも悔しい」という心理のように思えます。インターネットやSNSが普及している昨今では、この「自分の意識の届く範囲」が拡大しています。ときには知りたくない情報が入ってきてしまうこともあるでしょう。いわゆる「リア充自慢」などはその例かもしれません。
欲しいクルマを身近な人がポンと手に入れて、うわべでは「おめでとう」と伝えても、そのウラでは「●●●●が買うなんてありえない!」などとSNSで毒吐きをしていたら、どういうわけか、いつのまにか本人の耳に入ることになります。一見するとポンと買っているようでも、貯金を切り崩したり、奧さんに何度も何度もプレゼンをしてようやくokをもらったり、見えないところで苦労もしているはずです。
人それぞれ欲しいクルマがあると思うのですが、例えばフェラーリ250GTOのような別次元のクルマはさておき、諦めてしまったらそこでおしまいです。さらにいうなら、妬んだら最後です。そんな人には「いい出物があるよ」という話しは不思議と巡ってきません。それはなぜか?「おれには買えない」、「本当に出物か分からない」、「置くところがない」等々、『ことごとく否定から入ってしまう』からです。妬む人って、否定ありきになりがちだから、いろいろなものが離れていってしまうように思います。かつて自分がそうであったように。
結果として、本来なら手元にくる「・・・かもしれなかった」機会を逃している可能性も充分にありえるように思います。繰り返します。妬んだら最後です。「おっ、いいね!」と思えるようになったとき、「いい出物」が一歩、自分に近づいてくるようように思えてならないのです。
[ライター・撮影/江上透]